ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

順応

身体が今の生活のリズムにフィットしてきています。今の季節は出勤する時に太陽が昇ってくるし、帰る時にはもう日が沈んでいる。だから私に足りないのは日光を浴びる時間が足りません。冷えた空気の中で太陽の光を身体に受けてポカポカする感じがとっても心地よいのですが。おかげさまで私の肌の色は順調に白い方へと推移しています。

 

さて、仕事を始めてもう直ぐ1ヶ月経とうとしていますが。不思議と順応してきているようです。私の職場には年齢が上の社員さんがいないこともあって、なんだか変な感じ。農業をしていたときには、ほとんどが経験豊かなベテランさんばかりと仕事をしていたのですが、今度は真逆になってしまいました。だからと言って困ることはなく。皆さんが良い方ばかりなのでなんともありがたいことです。

 

先日、仕事終わりに久々に職場の同僚とご飯を食べに行ってきたのですが。前に私が勤めていたときと、現在の会社の様子や雰囲気など。こんなことがあったんだよ〜と色々と聴かせていただきました。やはり年月によって人も体制も変わってきたのだなぁと。しかし結局のところ変わらないものもあるわけでして。それは社内での上下のコミュニケーションだったり。「今の若いもんは〜」とかは、記憶している限りは私の口からは言っていないと思いますが、いつの時代もいつも課題に上がるのは同じことなのかもしれません。

 

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食事といってもラーメンがいい感じ。

 

つい最近までの私の心の中には、やりたいことをやっていることが一番の幸せなことなんだなぁ。って思って生きていたなと。もしかしたらそう思うことで行動していたのかもしれない。だからこそ自分のやりたいこと実現するためにってこと山梨で畑に立っていたんです。しかしそのやりたいことができなくなってしまった。確かに悲しかったし、寂しかった。

 

じゃあ今の自分は不幸なのかと思うと。そうではないように思えます。周りから見たらどうなのかわかりませんけれど、自分の中ではやりたいことができなくなったからといって不幸ではないようです。自分にできることをまずはやっていこうと思って、仕事に就いてみると。あれもできる、これもできるってなってくる。なんだか自分に制限ができたことで、思考が整理されたように感じるのです。とまあ、生きているだけで丸儲けの実感は強しですね。

 

今の世の中には様々な「モノ」や「コト」であふれています。だからこそあれもいいかも、これもいかもって選べない。賢さもそうかもしれない。こうしたらああなる。ああしたらこうなるかもしれないと、想像を働かせることによって動き出すことができない。実際に私にはその気があって、なんでもかんでも初動が遅かったりするのですが、制限があることで動き出すのも早くなったかもしれません。

  

実は制限があったり、不足している状況だったとしても、人間はそこから工夫しようって、知恵が湧いてくるんです。だから不足している世界も幸せだし、満ち足りた世界も幸せなんだろうなって。

 

「なんだか私って幸せかもしれない」ってふと感じることができたときが自然な幸せかなぁと。

 

「人のいい面に目を向けましょう」「いいところ探しをしよう」って見たり、聞いたりするけれど。私なんかとっても未熟なので、言われてしまうとあんまし「いいこと」って見つからなくて、「悪いこと」のほうへと吸いこまれそう。幸せも似たようなことで、探したって見つからなさそう。

 

「幸せと思うから幸せ」

 

うん。しっくりくるようになってくるから不思議です。