ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

摂取するものが私をつくっていく

やっとここまできたというかんじです。何はともあれ、ぶどうの袋掛けの作業がひと段落となりました。昨年に比べると、房の数も総じて多いので。どうしても物理的に時間がかかってしまうんですよね。だからどうなるかといえば、ぶどうの収穫も昨年より時間がかかるということ。楽しみな反面。出荷の期間には限りがあるので、その部分を意識しながら出荷をしなければ。

 

 

とお仕事は順調そのものなのですけどね。私が隅っこを借りている野菜畑も順調そのもので。収穫が少しずつ進んでいます。Instagramには自分用のタグ*1をつけてその経過をのせているので、後で見返すことができるのですが。なんとも植物の成長を見守るのは楽しいもので。ああ、ついちょっと前に種・苗を植えた気がするのに、もうこんなに大きくなっているのね〜。と一人野菜を見ながらニンマリとしています。

 

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ピーマン最高です。

 

そして何よりも、収穫した日に食べるということです。採りたての野菜は美味しいのはもちろんなのですけど、自分で作っているぶん上乗せで美味しく感じます。また、私の大好きなシシトウなんかは、成長が早いので、収穫したら、数日待ってまた収穫。もうしばらくは楽しく食べることができそうです。かるく火を通して、もこみちくんのように塩をふりかけるだけで、もう何本でも食べれちゃいそうな気がします。

 

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ミニトマトもモリモリとれそう

 

前にも触れたことがありますが、なんでおじちゃんたちが普通の仕事の後に畑仕事に精を出すのか。どんどんわかってきますね。自分が育てたものを、収穫してその日のうちに食べるよろこびはなんとも言えないものです。また、自分で種から育てて経過を見守るだけで、大いに学びがあるものです。そしてなによりも自信にもつながります。種を蒔かなければ収穫できないとはよく言ったもので、人間の世界でも通じる話ではあります。

 

生きることは食べること

 

なんて、どこかで聞いたような言葉ですが、毎日摂取する食べ物によって今の私が造られているわけで。そう考えたとたんに、体に良いものを食べよう!って気持ちになりますし、色々なものに生かされているのだぁと。感謝の気持ちすら湧いてくるのです。

 

そうすると、今度は普段生活している環境に目が行くわけです。先ほどの話が口から摂取するものなのだとすれば。目から、耳からは何を摂取しているのかってことも気になるようになります。過去にデザインの仕事をしていた私からすれば、目から摂取する情報は美術館行くことなのかもしれないし。知的欲求を満たす本を読むことかもしれません。

 

そして耳。耳というのは良いか悪いかなんでも入ってきてしまう。だから私にとってネガティブに捉えてしまうような場所には近づかないようにするし、私にとって栄養になるような話が聞ける場所には積極的に参加することなどを自然としている感じです。もちろんネカディブな事を聞きに行く必要も時にはありますが。

 

何気ないように毎日を送っていますけど。意外と何を摂取しているのかということは気にしていないものです。それほど自分をどの環境に置くかって大事になってくる。それによって未来の自分がどうつくられていくかがある程度想像ができるとおもいます。

 

私たちは摂取するものでつくられている。

 

とするのであれば。もっとカラダとココロが喜ぶ、栄養のあるものを進んで取り入れていきたいもの。

 

ちなみに、最近は私はやけに夏バテっぽいのですが、なんだか動物性のタンパク質が圧倒的に足りないからだと気付きまして。昨日は久しぶりに豚肉を食べました。そうしたらなんだかやけに元気がみなぎってきて。日中の仕事中でも元気いっぱいでした。よほど何かがの栄養素が欠乏していたからでしょうか。野菜ばかり食べているのも健康的だと言われますが、やっぱりバランス。大事ですね。

*1:気になる方はInstagramで #sasabatake を検索してみてくださいませ