ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

ミニマムな生き方

明け方と夕方に肌で感じる風がひんやり感じるようになりました。まだまだ周囲に見える山々は緑が濃いけれども、確実に秋が近づいてきていますね。葡萄の収穫が始まって一週間。作業も慣れてきたので作業は肉体的にはちょとくる物がありますが(かがむので腰がね)収穫を楽しむ余裕が出てきて楽しく作業ができています。

 

正直にいうと、先週の始めの方は長期休みが明けた後だったので、カラダが慣れなくて大変でした。夜型でお酒をずっと飲んでいたこともあって毒気におかされていたんですよ。それも規則正しい生活によってすっきり!カラダの調子もいい感じです。仕事を終えてお風呂に入った後のご飯とお味噌汁がおいしくて本当に困ります。

 

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(朝方の丘の上から。右上にうっすら富士山わかりずらいか・・・)

 

さて。今日は一緒に働いている人とお昼休みに話をしている時にお金の話になったんです。

 

「○○君も農業なんか始めちゃったら収入も全然低くなるでしょうでもね、あんまり心配する事はないと思うよ。収入は少ないのしれないけど(税金を)とられる物も減るから来年はすごく楽になると思うよ」

 

「自分も病気で入院して全然働かない時期があって、ほとんど収入なかった時おかしいくらい税金が少なくなったよ」

 

なんて話。こうして色々聞いて行くうちに。ああ、そうだ。自分も低所得者なんだなぁとちょっと感じたんですよね。

 

また久々にあった専門学校時代の先生に合った時は・・・

 

「すごいなぁ〜。○○君はその年で脱サラなんだよなぁ。今は脱サラして色々やる人がいるし、うまく行くと思うよ」

 

なんて言われる訳です。

 

脱サラ。この言葉ってなんでしょうね。あんましいい響きではないと私は感じるのが、どうなんでしょう。サラリーマンから抜けるってニュアンスもあるようで。サラリーマンの仲間ではなくなるって事なんでしょうかね。起業する人とかそういう人にも使いますが。

 

会社員時代より全然収入はないのは事実なんですけど、あんまし金銭面での不安はないのですよね(もちろん人間なので不安がゼロではないですが)それは支出が減っているからというのもあるので、以前に比べて生活費かかってないですからね。もし前述の税金が少なくなるのであればますます生活費が少なくなります(もちろん払う税金が少ないのであれば、日本国には貢献できていないって事もあるので好ましくないとも思うのですが)

 

こうして思うのが、自分はミニマムな生活をしているのかなぁって。収入は少ないけれども人から野菜とか含めて色々頂いたりするんです。人に自分が作った手作りのジャムとかで、作りすぎてあまった物を持って行くと「ありがとう。じゃあね、これを持って行きな〜」みたいになって、それが別の物になるんです。もしかしてこれが、物々交換ってやつ?とか思ったり。

 

そうして生活をしていると、私の場合は周りの人に何かしたいって思ってくる訳ですよ。だって自分は周りの人から与えられているって実感があるからです。恩はどこかでかえさなければ。それもあってか、地域の問題を解決したり、町おこしの部分に興味が行くのかもしれません。

 

それに、色々欲しいものもあるにはあるのですが、そこまで求めなくなりましたしね。見せびらかす必要もないし、学生の時にはあれほどあった見栄(格好付けとか、調子に乗っているっているとか)の大半はどこかへ行ってしまいました・・・。

 

これからどこへ私は向かうのだろうとか考えちゃいますもんね。自分で笑えてきます。こういうとき「やっぱり自分変わっているのかも?」って実感します。そんな事を考えているともう眠くなってきました。明日も朝は早いのでこれにて。