ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

“感謝”をする順番が間違っていた

おやすみ前半戦。本当にありがたいことにお誘いをいただきまして、街へちょっとお酒をひっかけに出かけましたところ、普段顔見知りでもちゃんと話をしたことなかった方ともお話できました。それもこれも、顔合わせをしてくれる友人のおかげですね。ありがたいことです。

 

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さて、その話をさせていただたというのも、よくお酒を飲みに行くお店のオーナーの方なんですけどね。そのお店の店長さんとは普段からよくお話をさせてもらっていたのですけど、オーナーさんとは挨拶程度だったのです。私って、うまく言えば「人見知り」、悪く言えば「付き合う人を選んでいる」ので、なかなかその後に深くお付き合いをするというか、ご飯を食べに出かけたり、話をしたりする人って多くいるようで、いないんですよね(よくよく考えると)

 

その中で、親の話になりましてね。そのなかで気づきがありましたので。

 

大体親の話をするときは文句とまでは言わないですけどだいたいこのワードを口走っているんです。

 

「親のようにはなりたくない」

「車にお金をかけている奴は人的に合わない」

「偉くなって人を使う人間にはなりたくない」

「付き合う友達は選ぶ」

 

お酒のんだ時の大体定番です。(いつも偉そうですごめんなさい)

 

反面教師って言葉がありますけど。それを当てはめて私は話をするんです。それを私から聞かされて、帰って来た言葉が。

 

「親を自慢してるようにみえるよ」って

 

それを聞いた瞬間に。認めたくはないけど。結局そうなんだろうなって腑に落ちてしまったんですよね。色々文句を言っているようで自慢の親なのかもしれないって。それを恥ずかしくて認めていないから、悪く言っているのかもって。俗にいう学生時代の「好きな子にちょっかい出す」心理かしらね(違うかしら)

 

それから続けて

 

坊っちゃんだろ〜お前は〜」

 

なんて言われるわけですよ。そんなことなだろう。って私の中では思っているのですけど、実はそういわれるのも一度や二度ではないんですよ。前の会社の仲の良いパートさんたちに坊っちゃんっていわれてたし・・・そうなってくると、いよいよ「自分って坊っちゃんなのかも?」とか考えが変化していくわけで・・・

 

これまで生きてきた中で、嫌だなぁと思う出来事も多々ありましたけど「不自由」を感じたことはなかったし、そう思うこともなく育ってきたんですよね。だから何も考えなくても「普通の生活」をできてきたわけです。その「普通に生活できていた」ってことは「普通に生活をさせてもらっていた」ということですよね。そうさせてもらったということです。

 

色々これまで「感謝」って友人や関わってくれた人達にはしてきたんですけど(そうじゃなかったらすみません。すぐにかけつけますw)あまり自分を育ててくれた親には言ったことがなかったなぁと。親にもっと感謝しないとダメだなぁとつくづく思いました。

 

やっと気づきました!ワタシ!

 

と言ってきれいに?締めたいところですけど。ありがたさには気づいていたけど「感謝」として実行する勇気がワタシにはなかっただけだと思うので。素直に感謝をしなければですね。できれば先に友人よりも先に・・・

 

もしかしたら、ずっとできていなかった「親と和解する」ってこと。ようやく目の前にあった小高い壁を取り除くことができそうです。