ほどほど絵日記

鍬を置いて、山を降りた人

人をどう生かすか

静岡に戻って、しばらくが経ちました。

 

ありがたいことに前職の会社へ、出戻らせていただくことになりました。2週間ほど経ちましたが、半年も働いていなかったわけですからなかなか体のリズムを整えるのに苦労しましたが、ようやく整ってきたように思えます。

 

今は自宅を6時半くらいには家を出発しています。だいぶ明け方は冷えていて寝床から離れられないですが、窓を開けて冷気を取り入れると、とっても清々しい。車をしばらく走らせていると、徐々に太陽が昇っていく様子がわかります。明るくなっていくと共に、日差しが徐々に運転席に届き始めます。ほんのり暖かい。ちょっと寒いけれど窓をほんのり開けて車を走らせていると、なんとも言えず心地いい。

 

こうなんとも、久々に仕事をしてみると。以前勤めていた感覚とはなんだか違う心持ちなのです。それだけ自分が変化したのか、会社が変わったのかはわかりません。でも変わった割合でいったら、私自身が変化していることのほうが大きいように思えます。

 

しばらく動いていなかった時には、いろいろなことを考えたり悶々と過ごしていたけれど。一度動き出すとそんなことを考えなくなりますね。なんかあれもできる、これもできるって思えてくる。仕事に向き合う面でも、できないことばかり目に向いていたこともあったけれども、少し制限があるだけでできることにフォーカスできるものです。だって、できないことをいつまで考えたって、できないものはできないのだもの。

 

私も社会人になってからは10年以上経っていることもあって、私より年齢の若い社員さんたちがたくさんいます。数年間、人里離れたところでお仕事をしていたからどう接したらいいかと悩むかなぁと思っていたけれど、実際にはそうでもなかったり。私が成長したからだ!って自身を持っていえます!ってこともなく。きっとみんなの人柄いいんです。ありがたいことです。

 

なんだか以外にも役にたっているなぁと感じたのは、畑で聴き続けていたオーディオブックでしょうか。畑に足を踏み入れる前にまずはオーディオを再生するところからスタート。ぶどうばたけの下でずっとオーディオブックを流しながら仕事をしていたのです。なかでも愛聴してたのが孔子論語渋沢栄一などの中国哲学の類であったり、「人を動かす」「7つの習慣」などの原理原則の本だったり。人に接することは少なかったけれど、人に接するための本ばかり繰り返し繰り返し、何十回、何百回と聞いていたことに気がつきました。

 

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仕事的にも、スムーズに皆が仕事ができるようにする役割となっていることもあって、自然とそちらのほうに意識が向いていきます。どうしたら皆が気持ち良く働くことができるのだろうか、楽しく働くことができるだろうかって。特に気になることが、仕事をうまくこなせているのに、自信をもって行動できない方がなんと多いことか。何かしら仕事がうまくいっていないことや、もっとこうしたほうがうまくいくのにという事に気付いているのに、それを進言する事ができないようで、なんとも歯がゆいことといったら。って偉そうにって感じなのですが。

 

こう私はあまり怒ったり、叱ったりすることがなくて。自分の兄弟間とかでしかないのですが、やはり必要な場面ではしっかりと言わなければならない時も出てきそうです。

 

ちなみに、最近読んでいる本あって。それはこちら。

 

 

私はどちらかというと、なんとな〜く性善説よりだったり。ということで。それなら性悪説の本を読んでみようと私には足りない部分があると思うので、ある本を手に取りましたと。韓非子。やっぱり私の視野はまだまだ狭いなぁと。様々面を知るからこそできることの幅が広がりそうです。

 

大好きな鬼平犯科帳長谷川平蔵も言っていたけれど。

 

人間というのは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く。

 

人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない。何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、それを世間の目にふれさせぬため、また、つぎの悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ 

 

だからこそ、そうならないようにもできるというものか。

 

なんとも、本屋さんで鬼平犯科帳の決定版が出ていて、また手に取りそうになってしまいました。2度あることは、3度ある。また欲しくなる。不思議な魅力があるものです。

山をおりる日

お世話になった山梨から離れました。

 

怪我の影響もあります。怪我をしたから仕方なくと言ったら聞こえはいいけれど。なにより気持ちを取り戻すことができませんでした。

 

昨日最後の片付けを終えて四年と少しお世話になった、雇用促進住宅を明け渡しました。

 

古くて、お湯が出なくて、シャワーがなくて電気を消すスイッチもないようなお部屋。はじめて見たときには住むことに躊躇していたのですが、一人で住むにはとっても広くて、収納もたくさんあるお部屋。ぽつんの六畳のお部屋に置かれた四人掛けのテーブルでおいしいお酒と料理を並べながら、いろいろ食べて、話してと楽しい時間をいっぱい過ごしました。引越しの片付けをしているだけでも寂しかったのですが、テーブルを解体して運び出した後が一番寂しかったかな。

 

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いろいろありました。

 

山梨にいた時間は本当に幸せな毎日だったと思います。毎日朝早くに野菜畑に向かって、水やりと手入れをして。そこからぶどう畑に行って農作業をして、仕事終わりにまた別の野菜畑のお世話をして帰路につくという毎日。繁忙期にはとても作業量が多くて、大変な時期もあるのだけれど。全然嫌になることはありませんでした。パートナーに作ってもらった、特製のおむすびをもたせてくれた時は本当に嬉しくて、お仕事のことよりも早くお昼にならないかなぁと、待ちわびながらお仕事をしました。お家でご飯を作って待っていてくれる時は、なんとも幸せな時間でした。

 

いろいろな出会いもありました。初めは山梨に友人がいなくて。いろいろなところに出向いて行って、動いた結果なのか北から南まで北海道の方から九州の方までたくさんの方と知り合う機会に恵まれました。それで不思議なことに最後に山梨県内の知人が増えていくことに。住んでいた集合住宅でも多くの気の合う仲間に恵まれたことはとてもありがたかったなぁと。いつもお酒の席では、調子に乗って喋ってばかりおりましたがお許しいただければ幸いです。 

 

山梨に行ってからの農業の歩みと心の変化をに少し振り返ってみます。 

 

山梨にいく前は自分で選択をしたことのない、他責の人でした

考えてみると、本当に情けないかぎりでして。自分で選んでこなかったから責任は自分にないし、自分で何かをしようという気持ちにもなりませんでした。当時はやる気がわかなくてとか、熱意がなくてなんてことを散々言っていたけれど、自分の人生に責任を持っていないからそうなるのは当然だったように思います。

山梨に行ってすぐの時には、自立するためにもがいていました。

山梨に行ってからはぶどう栽培に関わって、一年ということもあって。なかなか思うように仕事をこなすこともできないし、毎日が一生懸命。だけど結構自立しているような気になって、なんだか偉そうだったなぁなんて。なんだか自由を手にした気になって、自分のことをばかり考えている人の気持ちがわからないただの放漫な偉そうな人間でした。

しばらくすると、自分の居場所ができました。

しばらくはひたすら自分と向き合う時間でした。自分はぶどう農家としてどうしていこうか、どうやって生きていこうかをひたすら考えていました。なんだかんだでノープランな私だったので、まずはぶどうの栽培を継続することから。そこから地域の農家やワイナリーの方と知り合う機会に恵まれて少しずつですが、こうやっていけたらいいな。こうしていこう!という目標が形成されていきました。 

自分で独立してやっていけそうだ

2年ほどシーズンを通してぶどう栽培に関わることで、こうしていけば農家としてやっていけるであろうという自信が生まれてきて、独立へ向けてさまざまな研修を受けました。県が行っている各種研修を通じて、栽培だけでなく経営についても学ぶことができたりと夢が膨らみます。

 

パートナー出会ったのもこの時期。なんとも頭でっかちで、どうしようもない私に自分が世間知らずであることや、至らないことがたくさんあることを教えてくれました。そうして自分の弱さをようやく認識することができました。時には厳しいこともあったけれど。どんなときでも支えてくれて徐々に変わっていくことができたように思えます。

独立に向けて歩き出す

農業委員会さんに申請をしてからしばらく間が空いておりましたが、ようやく畑を借りる目処がつきました。自分の畑をもってスタートできるところまできました。念願だったワイン用のぶどうの苗も手に入れることができて、一帯を任せていただけることになったので、実際に耕作放棄地を耕して、支柱を植える場所を計測し、ユンボを使って穴を掘って。数十本の苗を定植して。わくわくドキドキでした。

 

と。私のぶどうの歩みはここでストップ。数日後に怪我をしてしまいました。

 

sasariki.hatenablog.com

 

静岡から山梨へ行くときに、地元の友達には私はこう言っていました。

 

「うまくいかなかったら、泣きながら逃げ帰ってくるから」

 

実際に山梨に行ったときにはどう思ったかといえば、今までデスクワークをしてきたので、肉体労働が耐えられなくて嫌になって帰ってきてしまうかもしれない・・・。そんなところから初めて、一年、二年、三年、四年と継続することができました。

 

ここまで好きなことができたのは、好きにさせていただいたのは、多くの方に応援していただいたからこそ、ここまで続けることができました。本当にありがとうございました。

 

また怪我をしてから、多くの方に力をもらいました。パートナーには本当に心配をかけてしまいました。自分がもうこれ以上よくならないかもしれないと思うたびに、もっと曲がる!元に戻る!と弱音を吐きそうな私に喝を入れて、リハビリにのぞませてくれました。農業へ戻れるようにと治療に、リハビリと尽力していただいた先生達。また多く方に励ましをいただきました。本当に心強かったです。

 

来春には体の中に入っているプレートやボルトを抜ける見通しが立ってきました。肘については可動域が良くなるように、靭帯の手術にのぞみます。もう一度リハビリになりますが、もうリハビリへ耐性は結構付いているので大丈夫なはず。少しでも良くなるようにもう一踏ん張りがんばります。

 

静岡に逃げ帰ってしまった私ですが、山梨に顔を出しにいきます。

またお手柔らかにお相手いただければ幸いです。

 

ありがとうございました。

となりのおじいさん

「毎日することがないでしょう」

「入院していると暇だよね」

「周りの人がおじいさんおばあさんだから大変だね」

 

病院のスタッフ、患者さんにこんなことをいわれておりましたけれど。

 

意外とそんなことはなくって、ありがたいことに同じ病室の方が良い方ばかり。たくさんお話をする機会がありました。意気投合までいけたかはわかりませんが。毎日コーヒーをご馳走して頂いたり。毎朝一緒に6:30からのラジオ体操を一緒にやったり。リハビリの送り迎えをしたり。山梨から静岡へパソコン持ってきてもらってからは、指先は普通に動くので同室のおじいちゃんのイラストを描いてみたり、担当してくれたリハビリの先生などのイラストを描いておりました。

 

静岡の病院で仲良くさせていただいたおじいさんはとっても面白い人。大正12年生まれの94歳。昔の話をたくさん聞かせていただきました。始め同じ病室になったときに世間話をしていて。年齢や出た学校の話をしていたら。

 

「おらの孫と同い年で、同じ学校じゃないか」

 

となんだか不思議な縁があって。そこから一気に打ち解けていきました。

 

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今の静岡市になるまでのお話。今はだれも泳ごうとは思わない地元の巴川ちびまる子ちゃんにでてくる川)にはフナやうなぎやらエビやらなんでも採ることができるきれいな川だったそうで、当然ながら子供の頃にみんなで泳いだりしたそうです。昔は水泳の授業なんてものはなかったから、地元の池で、年上のお兄ちゃんに泳ぎを教わっていたそうです。小学校の時には、電話やベルなんかものはないから通学の際に、友達の家の外から大きな声を出すとか。自分たちの家で作った野菜を手押し車に乗せて、舗装されていない道をがたごとしながら集荷場にもっていたとか。

 

戦争のお話。ご自身は船に乗って樺太のあたりまで護衛船に乗っていったことがあると。その時にはとっても水が貴重だったので。小さいタライ一杯の水で歯を磨いたり。顔や体を拭いて洗っていたと。長いと2ヶ月くらいお風呂に入ることができなかったそうで。港に船をつけた時には。皆で背中をこすり合って垢を取っていたよと。

 

あとは海軍にいたときの体操。「海軍体操」なるものがあって、そのなかの天突き体操というものを教えてもらったり。簡単に言うと。スクワットと腕上げを足したようなもの。

 

指導官 「天突き体操始め!!」

隊 員 「よいしょ〜。よいしょ〜」

 

と皆で大きな声で掛け合いながら。教えていただいたときにおじいさんが声を出すのですが。その声がなんとも大きいこと。声が小さかったり、ちんたらやっていると指導がはいるとか、入らないとか。

 

23歳のときに終戦を迎えたそうですが。そのとき周りの友達と抱き合って泣いたことを覚えているそうです。そのときにおじいさんはこう思ったそうです。

 

「自分は今日生まれ変わったんだ。だから今日から新しい人生の始まりだ」

「だから自分は今94歳だけれど。生まれ変わったから71歳なんだ」

 

 「自分は生き残ることができて。長生きすることができている。だからみんなの分も生きていかなけばならないんだ」

 

このお話を聞いたとき。心打たれるものがありました。

 

 

今回病院に入院してみてまず第一に思ったのは。患者さんのほとんどがご高齢の方だったということ。限られた病棟内のお話ですが、私より年齢が若い方は山梨の病院で二人いたかいないかというところ。静岡のリハビリ病院の回復期の病棟では、入院した当時私の次に若い方が60歳前半の方でした。入院されている方の8、9割が女性の方。またその女性の中の8、9割の方が膝から大腿骨、腰周りの怪我をされてリハビリをしているということでした。なんだか社会の縮図を見ているよう。医療費を含めていろいろな税金が高くなるとかならないとかそんな話を見聞きするけれど。実際に中長期入院してみて実感としてなんだか理由がわかった気がしました。

 

時折、福祉、年金や医療費など。ご高齢の方に対して風当たりが強いニュースや話題が上がることがあるけれど。今の自分たちが平和な日本で生活できていることを思うと、先人の方々にもっともっと感謝をしなければと。

 

 

さてさて。今日はそのおじいさんとランチのお約束があります。数ヶ月同じ病室で過ごしただけだけれど。こうして退院後にも交流をすることができるのはとっても幸せなことです。

 

ちなみに食べにいくのはとんかつさん。おじいさんはお魚が苦手で。入院しているとき。こっそりおじいさんのお魚を私が食べてあげたのは内緒です。

退院しました。

毎朝起きると、家から歩いて数十分のお墓へと散歩をしております。わかってはいたけれど、ほんとうに夏模様でびっくり。しかしながら、こうして太陽を感じながら歩くのは本当にしあわせなことなのだと。実感しています。

 

 

6月の末にようやく入院生活が終わり、退院することができました。

 

 

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病院のテラスから。

 

3月19日からの約3ヶ月ちょっとの入院生活。

 

はじめはどうなってしまうんだろうかというところから。自分の脚で歩くことができるようになり。腕もケガした時からは考えられないほどに回復して。できないこと。不便なことはあるけれど。日常生活は行えるようになりました。

 

ここまでこれたのは頑張って療養をして、リハビリをした私の努力・・・はちょっとあったけれど・・・多くの人たちに助けられて、支えてくれたから。

 

思う通りになかなかリハビリが思ったように進まなないとき。どんな時でも私を支えてくれた愛するパートナーが心の支えになってくれました。彼女がいなければここまで来ることはできなかった。本当にありがとう。

 

入院中多くの方々がお見舞いにきてくださったこと。はじめはどうしても自分のケガのことを話すけれども。いつも通り普通の話をすることができてとっても嬉しかった。ありがとう。

 

色々な方からのメッセージ。たくさんの励ましの言葉をいただいたこと。とても力強く感じました。ありがとう。

 

山梨の病院では、運ばれて来た私を先生、看護師さんから関わってくれたすべての皆さんが、私を救ってくれました。

 

静岡の病院では。痛い痛いわめきながら、逃げようとする私を。がっちりホールドして。グリグリと曲げてくださったリハビリの先生方のおかげで歩けるようにも、腕自由が戻って行きました。

 

それらがなければここまで回復することはできなかったことと思います。

 

病院に入院していたとき。

 

患者さんから、先生、看護婦さん。みなが口を揃えてこう言っていました。

 

 

「若いから大丈夫」

 

なんだかはじめは皆より少し年齢が下だから。みんな同じこといって〜なんて。ちょっとした挨拶代わりのいっているだけなのかなぁと。不思議な気分だったんです。

 

でもこれっておまじないなのかもしれないなって。

 

そう言われると。確かに大丈夫な気がしてくる。治る気がしてくる。

 

今の現状は普通に歩けるようになりました。しかし腕はまっすぐ伸びません。肘を曲げて顔を洗うことができません。しかしまだ希望はあるようです。もちろんリハビリ病院へ行くのももちろん。毎日お家でもストレッチからリハビリを続け少しでも元に戻るように。

 

決して、諦めません。

生きる力

17日前。農薬をまいている途中で、乗っていた農業機械が坂で止まらなくなってしまい、壁に何度か激突して横転し、ヘリコプターで搬送されて緊急手術へ(当たったとこから、記憶がないです)

せっかく先週に、新しい畑へシャルドネを植えてこれからだって思っていたのに。たくさんたくさん野菜の種を買い込んでいたのに。お出かけしたいところも。本当に来年度に向けて意気揚々としていた私はおられてしまいました。


事故の際に主に

 

  • 右大腿骨骨折 真ん中でポキっと
  • 左肘複雑骨折 細かく折れてしまう
  • 左鎖骨骨折 肩側がポキっと
  • 左肋骨骨折 10本あと2本でコンプ
  • 左肺気胸 肺が圧迫され穴が数個
  • その他 各裂傷やら、打撲やら。

 

まだ怖くて自分ではレントゲン写真は見てないのですが。脚は骨の中にボルトががつん!と。腕の二箇所はネジとプレートでピッタンコ。肺には溜まった血を抜く管が(先週末に抜けました❗️)


2週間前は寝たきりで呻いていることしか出来ず。少しずつ怪我しなかった腕、脚が動くようになって、ご飯が自分で食べれるようになる。今では車椅子を左足と右手で乗って動くことができる。

 

その反面。リハビリで何度挑戦してもなかなか歩けない。肘が全然曲がらない。肩が持ち上がらない。包帯が外れて見た目は普通だし。できることが増えてきて治っているつもりでいるけれど。出来ないことが次から次へと出てくるようであ〜っとなる。

 

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右手と左足はグイグイ動くよ。

 

 

でもね。たくさんの人が応援してくれているんです。パートナー、家族、友達、仕事仲間、そのさらに友達。こんなにも自分ことを思ってくれる人たちがいる。そう思うと頑張れるし、はやく前の姿に戻ろうって思えるんです。

 

怪我の功名ではないけれど。怪我をしたから、車椅子に乗ってから気づけることも多いのです。特にエレベーターの車椅子のボタン。普通のボタンより下に付いていますよね。何気なく低いなぁとは思っていたけれど。すごいんですよ。車椅子に乗るとめちゃくちゃ押しやすいんです。

 

また、病院内に付いている何気ない手すりもあるからスムーズに動けることもしばしば。バリアフリーなんて言葉もあるけれど健常な時には分からなかった世界が目の前に溢れていて新鮮です。


今年は桜の下からは、お花見することは叶いませんでしたが。パートナーに連れ出してもらって、院内の庭園へ。そこから柵越しにみた道沿いに咲いた桜が遠くに見えて、近くに見えて。とってもステキに見えました。またセブンイレブンのカフェラテの美味しかったこと❗️(コーヒー2週間ぶりでした)


まだまだ見通しは立ちませんが。もうしばらく山梨で頑張ったら、静岡のリハビリ病院へ転院となります。その際には冷やかしでも良いので顔を見にきてくれると嬉しいです。それも励みになりますから。


さてさて。もうすぐお夕飯が運ばれてきます。わたしには病院食がとっても美味しく感じて毎回ご飯が楽しみです。普通の生活に戻ったら全ての味付けが薄くなることが容易に想像できます。その時が来るように。焦らずのんびりリハビリ頑張ります。

失敗を考えながら

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芽傷処理、間違ったところに傷をつける芽が出なくて大変なことに!

 

今シーズンの剪定を終え、そして芽傷処理へと移行しました。ようやくといったところでしょうか。葡萄とスモモの剪定。合わせて2町歩半いかないくらい。例年ですと2月の中旬くらいには終えている剪定なのですが、今回は3人体制のところを師匠と2人で。私のおてて達がんばりました。私たちの畑はすべて短梢栽培。長梢剪定よりは迷わずバシバシ切ることができるけれども。ハサミを動かす回数は多いわけでして。2月の中旬。寒くて指先がコチンコチン。指が痛くてまあ大変。それも後半になればなるほどに太陽の光に助けていただきまして、一人頭1.5倍時間。枝の本数を切ったわけですが不調も特になく。乗り切ることができました。

 

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芽傷専用

 

剪定が終わると、芽傷処理、粗皮を剥ぎ、お薬まきまき、苗の定植を。そんなことをしているうちに、スモモの花が咲き出して花粉の採取。受粉をして・・・。おっと。葡萄の萌芽が始まって芽かきをして、誘引して、房作りして、粒抜きして、袋かけて、収穫して、肥料撒いて・・・。ってまた剪定に戻ってくると。春が訪れるとあっという間に果樹が成長して実をつけるので。振り回されているうちにあっといまに時間が過ぎていくんです。そうして、収穫後にあっという間に収穫が終わりましたって書いているんですよ。きっと。

 

 

さて。先日あるイベントにて新規就農者向けの相談会なるものに参加してきました。なんとも今回は相談を受ける側として行ってきたんですよね。なんだか不思議な感じ。こんなこと初めて・・・。ん。よくよく思い出してみると前職の時も母校の専門学校の卒業制作発表会とか、OBとして話をしてたりしていたんだっけ。なんて。

 

こうセミナーやら、相談会やらで色々と質問を受けたり、応えたりしてくうちに。この人に何を与えることができるだろうか。何かを得てもらうにはどうしたらいいか。って考えることがほんの少しできるようになりまして。

 

 

「あなたはどうしたいですか。何がやりたいですか」

 

 

その返答にたいして、私からはこんなことを教えることができます。それを実現するためには◯◯や□□のような方法がありますよ。私はこうしてきました。ああしてきました。それで今この状態にいます。それが全てなんだろうなぁってことなんですよね。私のフィルターから通した。「いいこと、悪いこと」「うまくいったこと、うまくいかなかったこと」があるだけで。あれもこれも知ってる知ってるという従来の私のダメダメ加減が思い出されて苦笑いなのですがw

 

 

偉そうに書いている私もきっと「あなたはどうしたいですか」って学生の時やら新入社員のときに聞かれたら、答えに窮しているのが容易に想像できて冷や汗ものなのは内緒ですが。ようやく私も色々なことに自分でGOを出すことができてることを実感いたしました。

 

 

冬の時期の仕事は個々に作業をしているので。農作業のお供のオーディオブックを聞くのがはかどってしまって。より楽しく作業できております。ちなみに今聞いているのこちら。

 

  

www.febe.jp

 

 

色々なところで紹介されている名著なので、読んだことある方も多いかもしれません。聞いていると過去に日本が関わった戦争から、なぜ失敗したかを学べるというところでしょうか。

 

読めば読むほど(聞けば聞くほど)にうんうんと。う。会社の上下関係、職場環境。学生時代のクラス、先生と生徒の関係など。似たようなことがあちらにもこちらにも。一つ飛ばして二つ先にもあってびっくり。それがまた私の苦い体験にも通じたりして。記憶の底から上がってきては、また落ちていく感じ。

 

  • 心の中では答えがででているのに言える雰囲気ではない。言いたくない。
  • 「上官はこう思っているのだからこうしよう」という勝手な推測
  • 「相手の戦力はこの程度だろう」という楽観的観測
  • 「あいつは頑張っているのだから」という感情を優先する

などなど

 

 

日本人の特性を感じることができると同時に。場の空気を読むこと。察すること。人情といった。日本人では普通にしていること、良しとされていること?が、ことがここまで悪く働いてしまうことがあるんだぁと。

 

また失敗についての事もさる事ながら「こうして日本はどんどん窮地へ追い込まれていったんだな」ということから、自ら体験した事のない、周囲に戦争を体験した人がいない今。戦争についても知る事ができることも貴重な機会をいただいている気もします。おすすめです!と言いたいところですが。全部を聞くためには12時間以上あるのでかなり長いかもしれません。というか長いです(私はようやく折り返しでのこり7時間を切りました)

 

失敗についての本を聞いていながら、耳に集中しすぎて芽傷処理を間違えてしまって、春に芽が出てこないってことにならないように。気をつけながら元気に明日も畑で作業をしたいと思います。

貸し借り

今日は農業委員会へと足を運びました。なんでかといえば葡萄を作るための畑をさがしているから。農業委員会とはなんぞやっていうのは調べてくださいなというか、なんとも説明がまだできないので調べてもらいたいのですけれど。一応は行政の一組織というところでしょうか。私の地域では各地区ごとの代表を三年の任期で選出しているそうで。私は今回土地を借りたいという「借り手」とすると、農業委員会さんは「借り手」「貸し手」の間に入って調整をしてくれる。という位置付けでしょうか。

 

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 たくさんの知見をいただきました。

 

農業委員会さんで色々な方とお話をしていて。やっぱり実際の作り手の皆さんからお話を聞くのと、現地に住んでいるわけではない人があれやこれやと言っている事とでは、大きな隔たりがあるのだなぁとつくづく。農地集約化だとか、もっと効率化だとか、ドローンがなんとかとか、これからはIotだとか、JAさんがああだこうだとか。ご高齢の方がなかなか頑固で土地を貸さないだとか。

 

確かにおっしゃることは御尤もなことかもしれないし、現地で働く人たちの工夫も必要かもしれない。でも結局ほとんどが批評家になっているだけなのかなぁと。今は人それぞれにある程度の自由があって、生き方にも様々な選択ができる時代なので。その人がどんな生き方を制限できないよなぁと。もし本当にアイデアがあって、もっと良くできると思うのであれば、実行してくれる人を探すもよし、みんなやりたいことで生きていきましょうって。

 

 

今日は農業委員会の役員の方ともお話ができたのですが、一般の方が知っているような有名どころの品種(生食葡萄)は種なしが主流になっていて。種ありから種なしへシフトした品種についてはじりじりと生産量がさがっていて。出荷量の推移をみるとやがて種あり葡萄は市場に出回るものはなくなっていきそうなのではという感じ。

 

 

消費者さん:お子さん達は葡萄は種がない果物との認識も広がっている

青果市場 :種ありは運送の面、日持ちしないなど品質の維持がしづらく扱いにくい

生産者  :価格の差があり、収穫から出荷までに時間的余裕がない。手間がかかる

 

 

あくまで一部をかつまんで例をあげているけれど。他にも市場に最適かされていった野菜はたくさんあるわけで。よく聞く話ではきゅうりとか。昔とくらべて「艶があり、イボがなく、色が濃く、見栄えがよく」なんていいことだらけに見えて。ただただ硬いだけ。なんて言う方も。確かに私自身も畑でつくる昔からのきゅうりの品種だと。イボが刺さるくらいに痛いし。粉がふいているし(ブルーム自分自身を守る)、日持ちしないしっていうけれど。明らかに食感が違っていて、パリッとではなく。シャキシャキ、シャクシャクって感じ。味も野性味がある感じ(あくまで私の実感で)

 

 

そうそう。以外も山梨の葡萄って関東都市圏にほぼ出回っているかと思いきや、関西方面にも多く出荷されているようでちょっとびっくりでした。関西方面では有名な葡萄の産地として大阪、岡山があるので。そちらの葡萄が食べられているのだとばかり。

 

 

 

私は現在新規就農者という位置にいるわけですけれど。畑を借りることに限らず大変だ!と周りで言われることが多々有ります。って、新規就農者というところにもいろいろあって。

 

近縁(親が生産者等)に農業を生業にされている方がいる場合

  • そのまま事業継承する
  • なんらかの理由により、家族、親類などが事業継承する(Uターン)
  • 農業系の学校を卒業して、独自に就農をする。

 

近縁に農業を生業にされている方がいない場合

  • 農業系の学校を卒業して就農する。
  • 農業生産法人などへ就農(雇用される)する。
  • 上記などで技術習得をしたのちに独立する(←私はここに向かっている)

 

違う土地からきて、農業未経験の方が大変ということですね(当たり前ですが)

 

 

農業へたどり着くルートって色々あると思うけれど。私の場合は近縁にも農業をされている方がおらず。農業学校にも入ることもできず・・・と。ほんのちょっぴりだけ大変でしたが、運良く今の師匠に拾っていただいたというところでして。運というか、縁という要素も結構大きい気もします。就農者さんの話を聞くと、あれよこれよと畑を貸してもらえた、住む場所が見つかったなんて話。あるあるですから。

 

 

今のところ自分が思った通りかどうかわからないけれど。徐々に思い浮かべていた場所へ導かれているようにも感じます。醸造用の葡萄の苗を新たに植えて、栽培することにもなりそうですし。運がいいのかもしれません。縁に恵まれているのかもしれません。 はたから見てどうかは別として。自分でそう思えること、感じることが。新たな縁を呼んでくれそうです。

 

 

さて。先日は下の畑にいって。堆肥を播いて畑をならしてきました。春が近づいていくごとに、あれもこれもと野菜の種を植えている自分が浮かんできます。今年で野菜作りも三年目。こちらもより美味しい、良い野菜を収穫できるように。楽しく桑を降りたいと思います。

 

sasabatake.com