ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

失敗を考えながら

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芽傷処理、間違ったところに傷をつける芽が出なくて大変なことに!

 

今シーズンの剪定を終え、そして芽傷処理へと移行しました。ようやくといったところでしょうか。葡萄とスモモの剪定。合わせて2町歩半いかないくらい。例年ですと2月の中旬くらいには終えている剪定なのですが、今回は3人体制のところを師匠と2人で。私のおてて達がんばりました。私たちの畑はすべて短梢栽培。長梢剪定よりは迷わずバシバシ切ることができるけれども。ハサミを動かす回数は多いわけでして。2月の中旬。寒くて指先がコチンコチン。指が痛くてまあ大変。それも後半になればなるほどに太陽の光に助けていただきまして、一人頭1.5倍時間。枝の本数を切ったわけですが不調も特になく。乗り切ることができました。

 

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芽傷専用

 

剪定が終わると、芽傷処理、粗皮を剥ぎ、お薬まきまき、苗の定植を。そんなことをしているうちに、スモモの花が咲き出して花粉の採取。受粉をして・・・。おっと。葡萄の萌芽が始まって芽かきをして、誘引して、房作りして、粒抜きして、袋かけて、収穫して、肥料撒いて・・・。ってまた剪定に戻ってくると。春が訪れるとあっという間に果樹が成長して実をつけるので。振り回されているうちにあっといまに時間が過ぎていくんです。そうして、収穫後にあっという間に収穫が終わりましたって書いているんですよ。きっと。

 

 

さて。先日あるイベントにて新規就農者向けの相談会なるものに参加してきました。なんとも今回は相談を受ける側として行ってきたんですよね。なんだか不思議な感じ。こんなこと初めて・・・。ん。よくよく思い出してみると前職の時も母校の専門学校の卒業制作発表会とか、OBとして話をしてたりしていたんだっけ。なんて。

 

こうセミナーやら、相談会やらで色々と質問を受けたり、応えたりしてくうちに。この人に何を与えることができるだろうか。何かを得てもらうにはどうしたらいいか。って考えることがほんの少しできるようになりまして。

 

 

「あなたはどうしたいですか。何がやりたいですか」

 

 

その返答にたいして、私からはこんなことを教えることができます。それを実現するためには◯◯や□□のような方法がありますよ。私はこうしてきました。ああしてきました。それで今この状態にいます。それが全てなんだろうなぁってことなんですよね。私のフィルターから通した。「いいこと、悪いこと」「うまくいったこと、うまくいかなかったこと」があるだけで。あれもこれも知ってる知ってるという従来の私のダメダメ加減が思い出されて苦笑いなのですがw

 

 

偉そうに書いている私もきっと「あなたはどうしたいですか」って学生の時やら新入社員のときに聞かれたら、答えに窮しているのが容易に想像できて冷や汗ものなのは内緒ですが。ようやく私も色々なことに自分でGOを出すことができてることを実感いたしました。

 

 

冬の時期の仕事は個々に作業をしているので。農作業のお供のオーディオブックを聞くのがはかどってしまって。より楽しく作業できております。ちなみに今聞いているのこちら。

 

  

www.febe.jp

 

 

色々なところで紹介されている名著なので、読んだことある方も多いかもしれません。聞いていると過去に日本が関わった戦争から、なぜ失敗したかを学べるというところでしょうか。

 

読めば読むほど(聞けば聞くほど)にうんうんと。う。会社の上下関係、職場環境。学生時代のクラス、先生と生徒の関係など。似たようなことがあちらにもこちらにも。一つ飛ばして二つ先にもあってびっくり。それがまた私の苦い体験にも通じたりして。記憶の底から上がってきては、また落ちていく感じ。

 

  • 心の中では答えがででているのに言える雰囲気ではない。言いたくない。
  • 「上官はこう思っているのだからこうしよう」という勝手な推測
  • 「相手の戦力はこの程度だろう」という楽観的観測
  • 「あいつは頑張っているのだから」という感情を優先する

などなど

 

 

日本人の特性を感じることができると同時に。場の空気を読むこと。察すること。人情といった。日本人では普通にしていること、良しとされていること?が、ことがここまで悪く働いてしまうことがあるんだぁと。

 

また失敗についての事もさる事ながら「こうして日本はどんどん窮地へ追い込まれていったんだな」ということから、自ら体験した事のない、周囲に戦争を体験した人がいない今。戦争についても知る事ができることも貴重な機会をいただいている気もします。おすすめです!と言いたいところですが。全部を聞くためには12時間以上あるのでかなり長いかもしれません。というか長いです(私はようやく折り返しでのこり7時間を切りました)

 

失敗についての本を聞いていながら、耳に集中しすぎて芽傷処理を間違えてしまって、春に芽が出てこないってことにならないように。気をつけながら元気に明日も畑で作業をしたいと思います。

貸し借り

今日は農業委員会へと足を運びました。なんでかといえば葡萄を作るための畑をさがしているから。農業委員会とはなんぞやっていうのは調べてくださいなというか、なんとも説明がまだできないので調べてもらいたいのですけれど。一応は行政の一組織というところでしょうか。私の地域では各地区ごとの代表を三年の任期で選出しているそうで。私は今回土地を借りたいという「借り手」とすると、農業委員会さんは「借り手」「貸し手」の間に入って調整をしてくれる。という位置付けでしょうか。

 

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 たくさんの知見をいただきました。

 

農業委員会さんで色々な方とお話をしていて。やっぱり実際の作り手の皆さんからお話を聞くのと、現地に住んでいるわけではない人があれやこれやと言っている事とでは、大きな隔たりがあるのだなぁとつくづく。農地集約化だとか、もっと効率化だとか、ドローンがなんとかとか、これからはIotだとか、JAさんがああだこうだとか。ご高齢の方がなかなか頑固で土地を貸さないだとか。

 

確かにおっしゃることは御尤もなことかもしれないし、現地で働く人たちの工夫も必要かもしれない。でも結局ほとんどが批評家になっているだけなのかなぁと。今は人それぞれにある程度の自由があって、生き方にも様々な選択ができる時代なので。その人がどんな生き方を制限できないよなぁと。もし本当にアイデアがあって、もっと良くできると思うのであれば、実行してくれる人を探すもよし、みんなやりたいことで生きていきましょうって。

 

 

今日は農業委員会の役員の方ともお話ができたのですが、一般の方が知っているような有名どころの品種(生食葡萄)は種なしが主流になっていて。種ありから種なしへシフトした品種についてはじりじりと生産量がさがっていて。出荷量の推移をみるとやがて種あり葡萄は市場に出回るものはなくなっていきそうなのではという感じ。

 

 

消費者さん:お子さん達は葡萄は種がない果物との認識も広がっている

青果市場 :種ありは運送の面、日持ちしないなど品質の維持がしづらく扱いにくい

生産者  :価格の差があり、収穫から出荷までに時間的余裕がない。手間がかかる

 

 

あくまで一部をかつまんで例をあげているけれど。他にも市場に最適かされていった野菜はたくさんあるわけで。よく聞く話ではきゅうりとか。昔とくらべて「艶があり、イボがなく、色が濃く、見栄えがよく」なんていいことだらけに見えて。ただただ硬いだけ。なんて言う方も。確かに私自身も畑でつくる昔からのきゅうりの品種だと。イボが刺さるくらいに痛いし。粉がふいているし(ブルーム自分自身を守る)、日持ちしないしっていうけれど。明らかに食感が違っていて、パリッとではなく。シャキシャキ、シャクシャクって感じ。味も野性味がある感じ(あくまで私の実感で)

 

 

そうそう。以外も山梨の葡萄って関東都市圏にほぼ出回っているかと思いきや、関西方面にも多く出荷されているようでちょっとびっくりでした。関西方面では有名な葡萄の産地として大阪、岡山があるので。そちらの葡萄が食べられているのだとばかり。

 

 

 

私は現在新規就農者という位置にいるわけですけれど。畑を借りることに限らず大変だ!と周りで言われることが多々有ります。って、新規就農者というところにもいろいろあって。

 

近縁(親が生産者等)に農業を生業にされている方がいる場合

  • そのまま事業継承する
  • なんらかの理由により、家族、親類などが事業継承する(Uターン)
  • 農業系の学校を卒業して、独自に就農をする。

 

近縁に農業を生業にされている方がいない場合

  • 農業系の学校を卒業して就農する。
  • 農業生産法人などへ就農(雇用される)する。
  • 上記などで技術習得をしたのちに独立する(←私はここに向かっている)

 

違う土地からきて、農業未経験の方が大変ということですね(当たり前ですが)

 

 

農業へたどり着くルートって色々あると思うけれど。私の場合は近縁にも農業をされている方がおらず。農業学校にも入ることもできず・・・と。ほんのちょっぴりだけ大変でしたが、運良く今の師匠に拾っていただいたというところでして。運というか、縁という要素も結構大きい気もします。就農者さんの話を聞くと、あれよこれよと畑を貸してもらえた、住む場所が見つかったなんて話。あるあるですから。

 

 

今のところ自分が思った通りかどうかわからないけれど。徐々に思い浮かべていた場所へ導かれているようにも感じます。醸造用の葡萄の苗を新たに植えて、栽培することにもなりそうですし。運がいいのかもしれません。縁に恵まれているのかもしれません。 はたから見てどうかは別として。自分でそう思えること、感じることが。新たな縁を呼んでくれそうです。

 

 

さて。先日は下の畑にいって。堆肥を播いて畑をならしてきました。春が近づいていくごとに、あれもこれもと野菜の種を植えている自分が浮かんできます。今年で野菜作りも三年目。こちらもより美味しい、良い野菜を収穫できるように。楽しく桑を降りたいと思います。

 

sasabatake.com

誰のお口へと

葡萄の剪定もいよいよ後半戦といったところ。まだまだ朝は寒く感じますが。日中はだいぶ暖かく感じる日が続いております。また、日中あまり日が当たらない畑は終わらせることができたので、あとは南向き斜面の温かい畑だけ。ずっと日が当たっているだけで指先、足先、頭先と。先という先がとっても楽チン。背中に太陽があるだけでなんと心強いことか「もうすぐ春だね」なんて言っている人も周りにちらほら。外でお仕事している私からしても、春が近いづいているのがわかります。気温だけでなく。耳からも春の足音が聞こえます。というか。鳥さんたちが賑やかに鳴いてますから。

 

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 チェーンソーでバッサバサ。結構重いです。

 

そうそうまだまだお仕事的には忙しくはないので、色々なセミナーやらにでておるのです。最近だと果物の輸出のセミナーやら、新規就農者に向けての就農して数年経った方のお話をきいたりなんて。

 

 

輸出をするとしたら。

 

果物を輸出するってどういうことかとか。そもそもどんな国に輸出されているとかいないとか。初めて知ったのですが、日本の果物の輸出量No1って不動の「りんご」なんですよね。明治やら大正やら。かなり昔から輸出をしているというのはびっくりでしたが。

 

 

あとは放射能の問題。未だに特定の5県に関しては輸出を禁止されていたり、その5県以外でも証明書やら検査証やらと。影響はまだまだ大きく。難しいのだなぁという印象。解禁されている地域も増えてきているようですが、それでも一週間以上かかる地域であったり。いくら政府が安全ですよっていっても。それは日本内での話ですから。「安全」って本当に難しいことですよね。

 

  

あとはやっぱり、各種手続き、運ぶためのコストやら。相手の国に到着するまでに多くの人、企業が関わるので。どうしても価格乗ってきてしまいます。そうして割高になった果物は誰が買うのかといえば、その国のアッパー層なんですよね。「自分が作ったものを誰に食べてもらいたいのか」という観点からみてみるとどうでしょうか。最近Netflixで見ていた美味しんぼの中でも、会員制である美食倶楽部のシェフがハンバーガーを開くというエピソードの中で、美食倶楽部では会員である富裕層にしか料理を食べてもらうことができない。もっと色々なひとに自分の作った料理を届けたいという理由からハンバーガー屋を開く、なんてこともありましたから。

 

 

日本はこれから人口が減ってくるといいます。その分胃袋も減っていくということ。その反面アジアの大半の国は人口が増えていくようです。いいものを作っていれば売れるんだという人もいるけれど。その「いいもの」を食べるひと、買える人が日本にはそもそもいなくなってしまうかも・・・。こうやって未来のことを考えるだけで頭の良い運動になりますよね。

 

 

就農して数年たつと・・・

 

皆が共通しておっしゃっていたのは「周りの人はいつでも見ている」ってことでしょうか。はじめは色々とああだこうだ言われるけれども。草刈りやら一生懸命に畑で作業している様子を見ていくうちに信用が生まれてきて・・・。ってこれまでも、農務事務所、市役所、農業委員会、その他多くのところで言われているところですが。みな口を酸っぱくしていっていたので。当たり前の積み重ね。大事ですよね。

 

 

となんとも珍しくそれっぽいことを書いてしまいました。いつもより肩が凝るわけです。

 

 

野菜畑の方は、できる畑から寒起こしをしています。凍った土を掘ってはひっくり返していくのですが。まだまだ標高の高い畑に関しては「永久凍土かよ!」って思うくらいにカチカチ・・・いや、ガッチガチに凍っているので耕すことすらできません。スコップが普通に跳ね返りますからびっくりしてしまいます。

 

ジャガイモの種芋がホームセンターでもだいぶ並ぶようになってきたのをみて、去年はジャガイモを作りすぎたという嬉しい反省があるので。今年は少し控えめにして。他の芋類を植えてみようかと思ってみたり。こちらは楽しい創造しすぎて、結局たくさんとれるか、全滅するかという結果が多いので。もうちょっと植えたいな、食べたいな。と思うお野菜たちを選んで作っていけたらと思います。

 

 

ちなみに、先日野菜の雑誌でみた、三尺ささげが頭からはなれません。

 

 

三尺ささげ (春まき) (262)

三尺ささげ (春まき) (262)

 

 

登梨降静

先日、私の周りで今冬2回目の雪が降りました。この雪が降りましたというのは詳細に言えば「積もりました」ってこと。なんやかんやで数年山梨に住んでいる私ですが、雪が積もる回数は少ない気がします。あくまでも現時点では。日本海側にお住いの方々は大雪に見舞われているお話を聞くのですが。どうも実感がわきづらいところ。地球温暖化が進むと蒸発する水の量が増える分。大雨、大雪になりやすくなるという話も聞くので。なんだか確かにそうなのかもしれないなぁとも。農業に従事している方々には天候に関係してくるので、なんともいえないところでしょうか。

 

最近はお仕事も悪天候でなければ毎日畑に出向いて剪定の作業をしています。

 

「この畑の葡萄は昨年あまりよくなかったな」

「今シーズンはどんな葡萄がとれるかな」

 

なんて考えながら。延々と枝を切っていくので、このほかにも色々思考が広がっていくんです。だからと言って気持ちが飛んで変に枝を切ってしまうということはないのでご安心を。

 

過去にも同じようなことを書いている気もしますが、結局いろいろなことを考えた時に最終的にたどり着くのは「幸せについて」「死について」の部分でしょうか。

 

幸せについて

 

「どうしたら幸せになれるだろうか」って今までは考えていたのですけど。そうではなく「自分は幸せだ」と思うことが増えてきました。なんといいますか、探すことに意識がなくなってきたからとも言えるのかもしれません。いつも側で応援してくれる、大切にしたい愛するパートナーがいる。やりたいことである葡萄。農業を仕事にできているという奇跡。なんだかんだでこれまで生きてこれている。こうしてブログを書くことができている。だから私は恵まれていて、とっても幸せなんです。感謝することと幸せが繋がっているかのようにも感じます。

 

そうして幸せだと感じることができるから。もっと幸せになるにはどうしよう。パートナーをもっと幸せにするにはどうしたらいいのだろう。自分に関わる人が幸せを与えるにはどうしたらいいのだろう。って。もっともっと幸せを大きくしていくことができるんです。なんかわかった風に言えば

 

「自分のなかの幸せに気づくこと」

 

これができれば、あとはその幸せをどうやって大きくしていくか。色々方法があるのだと思うけれど。自分が幸せを感じることができれば、自分の幸せを分けるというか、与えることなんだと思うんです。なんでもそうだけれど。持っていないものは与えることができない。幸せを与えることができることは、自分のなかに幸せがあるということの裏返しになりませんか?

 

 

今、パートナーは体調を崩していて寝込んでいて。とってもとっても心配で心配でしかたなくって。ずっと気になってしまう。心配したり、心配されたりすることは実はとっても幸せなこと。想う相手がいること。繋がっているという感覚をもてていること。本当に幸せだと思います(早くよくなりますように)

 

 

死について

 

なんだか暗く思えるけれどそうではなくって。死を意識するというのは。時間を意識することだと思うのです。人は何をするにも生きていく上で必ず消費するものがあって。それはどんな人にも平等に与えられているもの「時間」だと思うのです。それはお金より大切なもの。死を意識して初めて時間の大切さに気づく。何をすべきかと考える。七つ習慣のなかでも「自分の葬儀」を思い描くということに触れています。それが目的を生むのだと。

 

 

 

そうそう。週末に私の住まいに初めて地元の友人が遊びにきました。私のおうちに来たことある人はどんな人がいるのかなぁと、指を折ってみたのですが山梨を除くと長野と東京の方くらいでして。片手で済んでしまうくらい。ん〜。私の済んでいる周辺ですと農産物といいますか。果物がおいしい季節や、お酒の新酒が出る時なんかはそれを目当てなら・・・。あとはなんだろう。そんなことを想像しながらおうちで待っていたのですが。

 

「いいところに住んでいるなぁ」

 

友人をお迎えした時にしきりに聞いた言葉。なんといいますか。私も山梨に住み始めた時は周りには自然があって。遠くには白く積もった高い山々があって。となんとも静かで良いところだなぁと感じたものですが。住んで数年経つといい意味でも悪い意味でも馴染んできてしまうのでしょうか。

 

「いいところに住んでいるなぁ」

 

と言われた時に反射的に

 

「そうかなぁ」「そんなことないよ」

 

最近は口には出して言うことは減ってきたものの、一瞬でも心に思ってしまうことが、なんだかなぁと。内側から見ているのと、外側から見ているのでは見えている景色は違うんですよね。きっと。それにしても、話の内容はいつも違うけれど、なんだかいつもと変わらず聞こえてしまう不思議な感じであっという間。少しの時間でしたが。楽しんで帰ることができたようで何より。なんとも知己と言える友人がいるのはありがたいことですね。うん。これも幸せだ。

 

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 悪友の2人

 

さてさて。明日からまた少し冷えそうです。お仕事している時の寒さは耐えられるけれど。曇りで風が強い日だと如何にもこうにもカラダが縮こまってしまってしかたありません。いつもながら立春のあとの寒さは厳しい気がしてなりません。

覚悟よりも動機

今日は寒かった。本当に寒かった。足先はこちこちのひえひえ。痛いくらい。山から吹き降ろす風は少しだけ出ている鼻っ柱にビュンビュンと吹いてきて、お鼻がもげるんじゃないかってくらいに吹き付けてきました。風って本当に人間の体温をうまく奪うようにできていますよね。冬に吹く風はもうやめてくれって言うくらいに辛いものだけれども。夏の暑い日差しの中で時折吹く風は恵みのように感じ、畑で汗をす〜っとひかせてくれる。季節関わらず、そよ風も強風も同じように通り過ぎていくけれど。その時々に感じる印象はだいぶ違うものですね。

 

 

今年は剪定の作業を師匠と二人で行っています。昨年の末から始まった作業は来週の半ばくらいで全体の畑の半分を終えることができそうです。剪定も四年目というところ。毎年やっているからこそ、成長している部分もあってバシバシ全体の枝の配置を考えながら切っていくことができます。それはそれで嬉しいことだけれど、どうしても好調に枝を切っていくと指に負担がかかってくるもので。調子にのってバシバシリズムよく切っていくと時折感じる「ビリビリッ」とした痛み。おうちに帰って、冷たい水でお米を研いでいるとじんじんしてたまりません。俗にいう商業病ってやつ。うまく付き合っていかねば。

 

 

そうそう。最近は新たな仲間をということで。師匠の隣にちょこんと座って。面接の席に同席することが何度か。各地域によって状況は様々かと思いますが。共通しているのはなかなか人が集まらないということでしょうか。いまは売り手市場で色々言われているけれど、景気は上向きでしょうからわざわざ農業をって言う人も見つかり辛いのかもしれません。

 

 

さて、何回か面接の場に座っていると。なんとなくですが「農業には覚悟が必要だ」と盛んにイベントやら、フェアやら、行政やら。とりあえず何度か問いかけられる意味がなんとなくわかったきました。結局何かしらの「動機」が伝わってこないと、一緒にお仕事をしようってできないなぁってことです。どんな職種も共通だと思うけれど。

 

農業って見た目ほど簡単じゃなくって。繁忙期にはおやすみがない時もありますし。肉体的にも結構ハードなこともあります。それでもなんで自分はぶどうに関わっているれど、楽しいんですよね単純に。好きなことを仕事にできているので続けられるんです。というか毎日の生活に入り込んでいるので続けているという意識もだいぶなくなってきている感じ。数十キロのコンテナを何回も往復して運ぶのは結構力がいるけれど。それが嫌でやめようとは思わないし。雨がカッパの中に入り込んで気持ち悪い。けれどやめようとは思わない。

 

 

「なんで◯◯を栽培したいのですか」「どうして◯◯の仕事をやろうと思ったのですか」って結構重要な問いかけであって。私からすると「なんでぶどうなんですか」って。やっぱり動機ってとっても大事。

 

地元の方であれば・・・

 

  • 周囲が果樹の畑に囲まれているしやってみたい。
  • 親が農業をやっていて
  • 周りの耕作放棄地をなんとかしたい。

 

なんてそんな動機もあるかもしれません。

 

動機ってなんでもいいとは思うのだけれど。面接の場で動機を問いかけしてみると。ぼんやりとした動機すら持っていない方が意外に多くてびっくりしたんですよね。

 

 

  • 「生活のため」っていわれても、他にもっと割のよい仕事もあるわけですし。
  • 「大変でも大丈夫です」「力仕事も大丈夫です」「・・・も大丈夫です」って全部大丈夫って言われてしまうと。本当に大丈夫かしらって。尚且つ結局受け身であって、ただ耐えられるっことなので。自ら判断できるのだろうか?

 

 

なんか色々偉そうに言っているけれど。自分はどうだったか。思い返してみると農業をやりたいというのはあったらしい。専門の友達には「農業やりたいんだよね〜」ってしきりに漏らしていたようですし。社会人になってからは「俺は自分でワインをつくるよ」って、いつも酔っ払いながらもっともっと偉そうに周囲に言いふらしていたようですし。経緯はどうであれ自分にはぼんやりでも動機があったことが幸いして。今の状況にいるようです。

 

 

そのぼんやりとしていた動機でも。なんだかんだで想像していたことが現実になってきているような気がします。自分が必要な時に機会が訪れている気がしますし。なんどか壁みたいなものやってくる。そしてその壁も結構高いやつが急にそびえ立ったりする。私は優柔不断で頭がよくないので。どうすんだよこれって、もぞもぞしていると「ラッキー!こっちからいけるじゃん!」って抜け道を発見したりもしますから。

 

 

今まではなんだか自分目線でしかなかったけれど。面接の場に一緒に座っているだけで。なんだか自分って意外と動機はある方だったかも?って思えてきて。ほんのちょっぴりだけど。勝手にそう思い込んで変な自信が湧いてきちゃったぞ。どうしようって話でした。

 

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防寒対策はしっかり!

 

まだまだ寒気が流れ込んできているようで。冷え性な私には辛い時期。指も痛いし、足も寒いよりか痛いし。お腹冷えるし。お鼻がかぴかぴになるけれど。じっと畑で枝をもくもくと剪定するのも幸せなことですよね。今季のぶどうがたわわに実っているところを想像しながら明日以降も畑でいつもどうりのんびり作業をしたいと思います。

くるまの下

いやぁ。暖かい。こんなに暖かい日が続くとぶどうたちが目覚めてしまって、水が上がってしまうんじゃないか。なんて師匠と少しばかし心配だねって。ある一定の気温が続くと休眠打破ってことで冬の眠りから覚めるのですけれど。木の一部だけ目覚めてしまって、また寒い日が続いてなんて繰り返してしまうと、芽吹きが揃わないこともあるとかないとか。寒いより、暖かい方がありがたいけれど。もう少しこの季節らしい天候が続くと嬉しいところです。私が熟睡している時に起こされて、そこから寝付けないところを想像するといやですもんね。

 

さて、今回は車検のために山を降りてきました。

 

別に帰って来なくても現地で車検やらやればいいのにって、いわれるけれど。いつも見てくれる担当の方やら、いつもよくしていただいているので。やっぱり帰ってきてみてもらった方が気持ちのいいものです。それに加えて多少大きな部品交換ももあったり、年間でなかなかの距離を走るので、安心して乗れるのが私にとっては一番重要なことなようです。

 

と。それに加えて、いつも私の車の担当者の方といつもお話のするのですが、それがとってもありがたいことで。自分は狭い世界にいる分、他のお仕事をされている人する機会は貴重なんです。

 

 

最近の軽自動車は高くなった?

 

昔と比べて厳しくなる基準、それに伴う装備。軽自動車だからと言えない安全性の意識の変化。ひと昔前にはなかったものがどんどん搭載されてとのことで。結局のところ消費者さんの欲しいものをどんどん叶えていったら、そりゃあコストも上がってくるよね。そんな印象を受けました。じゃあそのコストが上がったところをどう削減していくか。車に使用されているどんな部品でも削減する努力はしている・・・けれども販売価格は上げることができない。ってこんなのは繰り返されていることでしょうし。他にもいろいろな要因があるとは思いますが、手に入れた便利、安全は手放せない。そこから前には戻れないのだなぁと感じました。

 

 

スライドドアがやっぱりいい。

前に乗っていたのが家族みんなが乗れる大きな車でスライドドアだった。

子供と孫を乗せてお出かけをするから。

 

って本当に増えましたよね。スライドドア。

 

自分のお子さんが成人して自立すると。残るのは大きなお家と大きな車ってことなんでしょうか。

 

 

お客さんの年齢層の変化

 

いつもお願いしているディーラーさんの支店は静岡の街のはずれの住宅街で比較的古い建屋も多くご高齢の方々が住まわれている地域にあるんです。支店長さんは他の支店から移動してきて半年ちょっと。お客さんのところへ仕事で車を走らせたりしていく中で、街の様子を観察していると例にもれず空き家が思ったより多くあると。また一軒家におじいちゃん、おばあちゃんが一人で住んでいることが多くてびっくりと。中には80歳以上の方が一人で運転してきて。これは一人でおうちにおかえししていいのかなという例もあるとか。

 

なんといいますか、私がお仕事をしている地域ではご高齢の方が元気に軽トラックを運転しているので、危なっかしいとかあまり感じないし、普通にみえるのですけれど。車の運転の頻度が全然違うので。なかなか難しい部分もあるのかもしれませんね。

 

だいたい、学生から就職への変化の時に。車を買うっていうような流れはほとんどないと。40歳前後の方のボリュームが増えているような気がしますとのこと。

 

 

ある一部の地域のお話だけれども。なんだかどこかで似たような話を聞いたことをある。年齢各歳別人口が変化するだけで色々な問題が起きてくる。少子高齢化って当たり前のように言っているけれど。どんな場所にも否応なく影響を与えているかのようです。

 

よっぽど過疎だ過疎だって言っている地域の方が実は大丈夫な気がしてしまうのは私だけでしょうか。

 

 

車検から戻ってきた明細をしげしげと眺めると、なんとも今回は部品の交換が多くて思った以上にかかってしまったなぁという印象。その中で車に乗り始めてから初めてだったのが

 

下回り防錆塗装

 

なんだこれって。融雪剤である塩化カルシウムの影響か!って。当たり前に思われそうだけれど。やっぱり雪が降る地域を走る車になったのねって。なんだか感慨深いものがありました。明日は降雪の話もあるようですし。久々の雪に舞い上がらず。安全運転を心がけたいと思います。

 

 

そうそう。実家の庭の金柑をうちのおじじちゃんが収穫していて。

 

「欲しいなら持って行っていいぞ」と。

 

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おばばちゃんはよく金柑を煮てくれて、そのシロップをお湯割りにして飲んだことがあるのですが。なんとも香りが良くて酸味もそれほどきつくなく。柑橘大好きな私にはよだれものなのですが。おじじちゃんはそこまで好きではなく。使い道がないとのことなので、ありがたく収穫してあった実を全部頂戴してきました。シロップにしようか。お酒につけようか。そんなことを思いながら眠りにつこうと思います。

 

 

みずたまもよう

今日は風も少なく。なんだかポカポカ日和。大寒波がくる。大雪が降るかもしれない。そんなことを聞くたびに身構えたりするのですが。私の住んで居る山梨の地域はぜんぜんそんなことを感じさせないくらいの晴天が続いておりました。地元の友達には雪が降るから大変だね〜って言われるけれど。ぜんぜんそんなことはなくって。そりゃあ温暖な静岡に比べれば寒いのだろうけれど。山梨も一部地域を除けばそんなに雪って降らないんだよね。数年住んでる私の感覚ではあるけれど。

 

 

だから山梨から北へ向かうと。途端に心配になるんです。雪が積もっていないかな。道路は凍っていないかなって。強い気持ち半分にワクワクが半分。日曜日は朝から車を走らせて松本までビュビュンと。山梨を抜けた県境から路肩に白いものが見えた瞬間からなんだか嬉しい気持ちに。つい最近まで雪って富士山の上に積もるもので、普段の生活とは縁遠いもので尚更に。

 

 

松本。寒い場所を避けるように。室内へ屋内へって感じで動きまして。今回はパートナーと一緒に初めてこちらに伺ったんです。

 

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松本市美術館

 

なんだかね。見たことあるような水玉模様。自分の周りでも多くの人が記念撮影していた、見たことない品種の大きなイエロー&ブラックのかぼちゃさん。私は少しばかしお名前を伺ったことあったり、テレビで見かけたことがあった草間彌生さんの作品たち。本人の見た目と相まって、なんだかすごい人なんだなぁとだけ。

 

赤と黒で書かれた水玉の絵のキャンバスを2段で数枚繋げてある作品があったんですよね。しばらくソファーに座って、じーっと見ているのだけれど。しばらくすると動いているように感じるんですよね。そのなかになんだか吸い込まれていきそうになったり。つなぎ合わせている間から何か湧き出てくるような。もしこれがずっと見えていたら。そのなかに自分が囚われていたら・・・。

 

 

幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。

 

 

総合失調症というものには詳しくないし、認識が違っているかもだけれど。この説明を見た時になんだか色々と感じることがあって。その中でも特に「絵にし始めた」っていうところ。とってもヒントがあると思うんですよね。多くの人が不安や悩みなどと普段付き合っていると思うけれど。結局のところそのほとんどが「よくわからない」「つかみどころない」から生まれてくるものがほどんどだと思うんです。

 

  • 不安や悩みを頭の中から、外へ出すことができたなら。
  • 絵に描くことができたなら。
  • 文字にすることができたなら。

 

ああ・・・私はここに悩んでいたんだって。そう気づけることもあると思うんです。

 

草間さんが昔今を比べて、どんな気持ちで絵を製作しているのか。それは当人にしかわからないことだけれど。もしかすると絵を描いている時、筆を動かしている時には目の前の絵に集中しているので逃げることを忘れているかもしれない。もしかすると書きあげた後には安堵の気持ちでいるかもしれない。

 

 

自分のなかにあるものを表現すること。大切だなぁと。

 

 

その後は、なんだかんだでお店でいただいたことがなかった、山賊焼きを食べに行ったり、古い蔵をリノベしたカフェでのんびりしたり。なんだかちょうど松本あめ市なるイベントをやっていたりして。縁日にお出かけしているようでなんだか楽しい気持ちになりました。

 

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カフェで読書をしながら、コーヒーを待つ。

 

 

そうそう。その前日は実はこっそりと新年会だったんです。私の住んで居る場所にはありがたいことにワインの栽培、醸造に関わっていながら、同年代ということで親しくさせていただいている仲間がおります。その中のメンバーのお宅やら、私のおうちでやらで定期的に集まって、各自ワインやフードを持ち寄っては今年のブドウの生育はどうだとか、採れたぶどうどうだったとか。栽培やら醸造やらの談義で盛り上がっております。

 

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 フジマルさんの「vin-shu」

 

 

いつもワインを持ち寄っていただいていて(本当に感謝しております)その年どしのビンテージのワインを同じ時期に飲んでいると。毎年安定しているなぁ。これは去年と比べてとっても美味しくなっている。なんだか香りがぜんぜん違うね。なんて一丁前に言えるようになってきたり。飲み始めた時はまだまだ出来たばかりのワイナリーさんでも、数年たっていくと個性を感じられたりして。ワイナリーさんの成長とともに、飲み手のほうも成長させてもらっているような気がして。なんだか嬉しくなるものです。

 

 

静岡から出てきた時には、仕事関係以外での付き合いが全くなくって。だからこそいろいろなところにお出かけしたり、遠出したりしてそれはそれで多くのつながりができたけれど。近くにいる友人はまたいいですよね。気軽にというか、気兼ねがないといいますか。普段顔を合わせていなくて、近くで頑張っている人がいるのがわかるだけで。自分ももっと頑張らないとな。成長しなければ。そんな気概も生まれてくるんです。なかなか普段お礼は言えないけれど。とても感謝しています。ありがとう。

 

 

お腹いっぱいなところに、寒空の中歩きで無理やりコンビニ連れて行って、カップラーメン大盛りを買わせてしまってゴメンなさい。これからもよろしくどうぞ。