ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

スーパーマン的な。

ちょっとお休みができたので、ふらっとお出かけをしたり、もろもろの片付けをしたり、畑をかき回したりと。のんびりモードです。2月末で春めいてきたとはいっても、風が少しあるだけで寒いなぁ寒いなぁと、ついつい口に出してしまうので、ますます寒いってなっていくのですが。しかし、天気が良い時に表に出て歩いているだけで、背中はポカポカするし。空気は澄んでいて。この時期ではない爽快さを味わうことができます。

 

 

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 四柱神社。街中の神社さんとは。なんとも不思議な空間。

 

 

 

そんな中。ちょっとした空き時間でNetflixで見ていたんですよね。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

 

ちょっと前の映画だったとは思いますが。いやぁ、なんとも壮大なスケールで、アクションもすごかった〜と。人並みのような、どこかの普通の感想に落ち着いてしまうのが常なのですが。強大な力を持つ物の苦悩って、一般目線からでは見えないのですよね。一方にとっては助けになっても、その反面では加害者になってしまうといったように。現代では、富の偏在にもなんか似ているなぁとも思えて。なんだかなぁって。

 

 

 

ヒーロー物って見るのは好きです。特定のキャラクターや映画が好きっていうのはないのですけど。ついつい見てしまうのですよね。とはいっても私の子供の頃のヒーローって、子供の頃についつい見ていたのは、平日の夕方にやっていた水戸黄門の再放送から始まり、大岡越前暴れん坊将軍御家人斬九郎剣客商売なり、鬼平犯科帳だったりして、時代劇小説への道へと進んでいったわけですが。

 

 

ん〜ちょっと違うか。

 

 

スーパーマンってとてつもなくチートな能力があって。一部の弱点を除けばほぼ無敵なわけなのですけど。その能力の中で数百万人の中から一人の声を聞き分けることができるというところに目がいきました。この能力。無条件に悪い声も良い声も聞こえてしまうとしたならば、どうでしょうか。(意図しなければ聞こえないのかもしれませんが・・・)しかも自分には力があるわけです。そうなると動けば救えるわけです。逆をいえば動かなければ救えないと。

 

 

人を救うか救わないか。選ぶ自由はあるけれど。人々を救わないという選択をした場合。動かないでいるだけで、救えない人たちの声ばかり聞こえるわけです。それもずっと(老化とかあるのかな?)別にそんなの気にならないぜ〜って思っても、毎日のように悪い声ばかり聞こえていたらどうでしょうか。とりあえず私は耐えることができません。じゃあその立場にいたらどうするかって考えたら、動いて。助ける。ここにたどり着きそうです。

 

 

なんとなく私がスーパーマンだったら〜の話をしてしまったけれど。スーパーマンにはなりたくなぁと(なれないけどね)スーパーマンとは違えど、「スーパー」◯◯な人はたくさんいるんですよね。誰かが取り上げた瞬間に、いつの間にか広まっていって。スーパーになってしまっている。皆に能力と、その存在を知られているんですよね。そしてそのスーパーな人に祭り上げられてしまうし、その人の様になりたい人もたくさん出てくる(さすがにもう窓から飛べるはずだって飛んじゃう人はいないと思うけど。)

 

 

その期待もエネルギーに変えられるひともいるけれど。全てのひとはそうではないんですよね。スーパーになってしまうと。スーパーな期待があるから。勝手に期待されるて、どんどん周囲が期待へと傾倒してしまう。そうして勝手に祭り上げた人たちは、勝手に評価する側に周って支持となって、そのスーパーな期待が外れてくると、途端に不支持となることも。(私の主観です)

 

 

書いているだけで、スーパーマンは大変そうだなぁとなってしまいました。

 

 

しかしラッキーですよね。そこまでスーパーマンのように聞き分ける耳がないから。知らないで済む世界があるし、それで悩むことはない。だから結局何者にもならないし、なれないことがわかると、どれだけ軽くなるか。楽に行動できるか。スーパーマンになろうとしないで、人間でいるということが一番能力を発揮することができるし、スーパーな◯◯のようにならないで、自分という存在があるだけで幸せなんです。こっそり良いことも悪いこともできちゃうのですから。するかどうかは別としてw

 

 

自分ができることを、皆がやっていけば。スーパーマンは役割を終えることができる。スーパーな人がずっと存在しているということは、もしかしたら一人一人がやれることをやっていないから。依存しているから。からかもしれません。変な表現かもですが、スーパーな人の居場所を作らないことが、実はスーパーな人のためになるのかもしれません。目立ちたい人は別だけどw

 

 

 

私はなんで時代劇に走って行ったのだろうっていうと、そこには人間味というか、人情というか、その時代に生きていた人たちのリアルが伝わってくるような気がするからなんですよね。 決まって、いつも誰かが犠牲になってしまうし、救えない人たちもいる。はかなさとかともあるけれど。それでも未来に向かって良くも悪くも進んで行く感じがなんとも。

 

 

と、ごめんなさい。スーパーマンについてはにわかで、知ったか。ちょっと見ただだけで書いてしまいました。あしからず。