ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

「ぎゃ〜トラブルだ」の、その後に

久々にぶどうばたけに戻ってきたら、今シーズン最後の防除でした。要は畑にお薬を撒く作業。日中は暑いので早朝から薬を撒く車、スピードスプレーヤー(通称SS)に乗って、ゆっくり畑をのっそり撒き回ります。今年最後ということで、気を引き締めて撒きました。というか撒いていたのですが。なんででしょうか。すんなりと行かないのですよね。ある畑を撒き終って、ちょっとハンドルを切り返して、次の畑へと思った瞬間に「ばっこんっ」と何かを乗り越えまして。乗り越えた瞬間に前にも後ろにも進まないと。降りてみてみると、前輪と後輪の間に大きな岩が・・・。岩を乗り越えてハマってしまったのですよね。これはまずいと思って、タイヤの下敷きになる岩を探してきて、私になりに脱出を試みたのですけど。焼け石に水のごとくで。前輪は土を掘りあげて、半分ほど埋まってしまいました。結局師匠に助けを求めまして、脱出と相成ったのですが。

 

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もがけばもがくほどタイヤは地面へと埋まっていく 

 

今年は本当にトラブルが多くて。SSに乗るのは年に6回くらいなのですけど。何事もなく終ったのは1、2回であとは何かあるんですよね。なんでしょうか人間って面白いもので、こう悪いことが続くと何かあるんじゃないか・・・。って自然と傾くようで、最後に師匠に

 

「今年はトラブルばかりで申し訳ありません。なんかあるんでしょうか私って」

 

と言わずにはおれませんでした。

 

と。こうして今年の防除は終わりまして。あとは畑の草刈り、出荷の準備をして。収穫の時期を待つのみとなりそうです。収穫は始まればあっという間。だからこそ、健康だけは保ちつつシーズンを終えることができればと思っています。

 

 

 

さて。今日は朝から雨模様で降ったり止んだり、予定していたことができずじまい。自分の野菜畑に行って。苗床の準備をしたり、ナスの更新剪定をして秋茄子に備えようとか色々考えていたのですがそれもできず。どうしようかなと思っていたところ「そうだそうだ。近いうちにお客さんが来る予定がある」と思い出し。朝から部屋の大掃除をしておりました。カーテンを全て外して洗濯。網戸を外してブラシで汚れを落とす。部屋の配置換え、いらないと思った服、本、雑貨などをまとめてゴミ袋へ、など。少しは部屋の床にかかる重量を減らすことができたと実感できるくらい整理ができました。

 

そのおかげ?ではないですが、部屋もすっきりで時間もできたので、その後はずっと本を読み返しておりました。最近はちょうど「幸せについて」の基準?考えかた?に変化が起きているタイミングなので過去に買っていたポジティブ心理学関係の本を本棚からまとめてとって、付箋のある箇所を一通りみたり、ぱらぱらとなんとなくやってみたり。そんなことをしてました。

 

実は読み返すきっかけになったのも、もう一つ理由がありまして。それは地元に帰省した折に、ひさびさにリアル本屋さんに出向いたときにある本に出会ったからなんです。

 

 

ポジティブ心理学は人を幸せにするのか―より良い人生を生きるためのルール

ポジティブ心理学は人を幸せにするのか―より良い人生を生きるためのルール

 

 

 

なんとも面白いことに先月出たばかりだったし(後で知ったけど)タイトルがまさに私の今の関心ごとというか、心の奥にひっそり隠れていた疑念そのものだったのです。私もネット社会の波に飲み込まれているので、大半がネットで購入するようになっておりました。本屋さんに行くにしても、書評や、好きな著者さんのお勧めなど、情報を集めてからまとめてリアル本屋さんで買うということをしておりまして。言うならば「目的買い」の人と化しておるんです。これはこれで悪くはないのですが。やっぱりリアル書店行かないとですね。だって行ったから出会ったのですもん。いかんせん偶然の出会いがないので行かないとダメだなって実感(無駄遣い防止にもなる利点もありますが)

 

 

また、この本の中に過去に私が持っている本のほとんどに触れられていて。ありゃ?こんなこと書いてたっけか。と思う引用が多数あって。引用をみてはいちいち本棚を眺めて手にとって確認。また引用を見つけては・・・と振り返るように仕向けているんじゃないのかって思うくらいに、きっかけをくれる本でした。

 

 

さて、ちょうど読んだ中にすぐに実践できたものがあったので。少しだけ触れてみます。

 

 

それは・・・

 

3つの基準で説明スタイルを判定する

 

という項目。

 

起きた出来事に対して

 

  • 永続性 (永続的 or 一時的)
  • 普遍性 (普遍的 or 特殊的)
  • 個人度 (内 的 or 外 的)

 

上記3つを使って判定をする。

 

 

楽観的な人の場合・・・

 

良いことが起きた時

いつもそう、なんでもそう、自分の能力による結果

(永続的、普遍的、内的)

 

悪いことが起きた時

今回限り、この件に限り、自分以外が引き起こした結果

(一時的、特殊的、外的)

 

 

悲観的な人の場合は、良いこと、悪いことの反応が逆になるそうです。

まさに起きたことは一つ。捉え方は無限大ということ。

どうとらえるかによって、印象も変わりそうです。

 

 

 

ちょうど、冒頭で少しお話した私の出来事にも当てはめることができそうです。

 

 

畑で私がSSを石にはまってスタックしてしまった。

 

この起きたことに対して、説明スタイルを組みあげてみると。

 

 

・・・ちなみに今回は悪いことが起きた時ですね。

 

 

 

トラブルだよ。またSSでやってしまったよ、やっぱり俺が運転するとこうだよ、俺は運転するの下手くそだなぁ。(永続的、普遍的、内的)

 

 

 

と初動は悲観的な部分から入りました。

しかし、それは長くは続かず。

 

 

トラブルだよ。まっこんなときもあるよね、そういえばいつもと違うルートを通っていたし、たまたま通ったところに石がそこにあったんだから。(一時的、特殊的、外的)

 

と、心が落ち着いていきます。 

 

 

私自身を分析してみると。もうちょっと若かりし頃は悲観的な部分をずっと引きずるような、肝の小さい奴だったのですけど。少しは大人に?なっているようで初動は悲観的だけれども、すぐに楽観的な感情が覆い尽くしていくようで。ちょっとした悪いことであれば1分も経たないうちに。とても悪いことが起きてもだいたいすぐに切り替わるようにできているようです。ここ最近のスピリチュアルにどんどん寄ってきていて、何事もそのままに受け入れる心のスペース広くあるのかも。

 

 

私の説明下手・不足でわかりづらいところもあるやもしれませんが、なにか良いこと、悪いことと自分で感じたことに対して、当てはめてみると面白いかもしれませんよ。また、なんとなくピンときた方、興味が出てきちゃった。なんて場合は本屋さんで手にとってみても。「幸せについて」って先に触れましたが、これ言うと心配されたりするのですが、別に病んでいるわけではなく正常です。ずっと考えていることに変わりはないのですけど。

 

 

 

うん。しばらく考えに耽る毎日でしたけど、そこから脱出するための糸口。ありそうです。