ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

周り回って元の場所に

ここしばらくはずっと、葡萄の成長具合になかなか追いつくことができず、明け方からせかせかとした作業が続いており、暑くて汗をかいているのか、冷や汗なのかわからないまま、いつの間にか週が終わっているという感じ。「今日何曜日だっけな?」ってふと気付いたときに呟くのですがチラッとiPhoneをみると「ああもう日曜なのか」ってこんな感じの独り言とかしょっちゅう。もうその季節なのかわかりませんが、夏の暑さのせいにしておきたいところ。

 

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休憩の日陰を探すのが大変です。 

 

 

ここ2ヶ月くらいは日中はがっつり農作業した後に、自分の野菜畑にいってさらに農作業をするというのが日課「俺は葡萄のあとに、野菜作ったりする気にならんよ」って師匠にいわれることがあって。確かにそうだなぁ、自分でもよく続くよなぁと思いつつも、野菜畑でちまちまと水やりしたり、誘引したり、脇芽とったりしていると、これはこれで疲れがとれるというか、気持ちが落ち着くというか、クールダウンになるというか、なんかプラスに働いているのです。

 

 

特にここ数日は晩春、初夏の野菜の初収穫ラッシュで、ビーツ、サニーレタス、玉ねぎ、にんにく、きゅうり、ししとうなどと、続いているし、新ジャガもたくさんいただいていて至れり尽くせり。よけいに楽しいのかも。自分で作っているから美味しく感じるのはもちろんなのですが、最近知人の姉様から

 

「安心感が贅沢だね」

 

ってお言葉をいただいて。さらに増し増しで味も気持ちも満たされているように感じます。有機とかエコとかには勝てないのかもしれないけど、自分で育てて、自分で消費する贅沢には変えられないよなと、さらに実感して。ますますのめり込んでいるようにも。

 

 

収集心の強い私の性も相まって、育てたことのない野菜、他の人がやってない種とかに手を出しまくってしまう。こんなところにも自分がでているなぁと感じます。収穫が近くなる作物があると、すでにそのスペースで何を育てようかって、ずっと思案してますもんね。最近ではホームセンター以外でも、種売り場を自然とチェックしてますから、よほど楽しいんでしょう(まるで他人事みたいに)

 

 

そんな風に生活しているので、どんどん周囲への関心が減ってきて困っています。まあ充実して、楽しいのだけれど「俺はこのままの生活をしていていいんだろうか」って思ったりもします。ありがたいことに「○○君はもったいないよ、なにか新しく始めればいいのに!」って何度かおっしゃっていただくこともあるのですけど。いいか悪いか今の現状に満足してしまっているようで、ますます欲が湧かないんですよね(欲がないわけじゃないですが)しいて言うならきっと調理道具がほしい!になりそうだし。

 

 

 

最近、農作業をしながらよく論語関連の本聞いていて「やばい今の私の状態はもしかして怠慢かも」「次の目標が必要なのか」って感じたと思ったら、他の編を聞くと「あれ、これが足るを知るってことなのか」となんだかよくわからない状態になっています。今のところの結論?としては、今自分は安定の位置にいる気がしているので、きっと必要なのは「苦労」なのかな?と思うに至っております。その苦労を十分に買うお金はそんなにないですけど。

 

 

ここまで書いてきて気付いたのは「今の関心事は自分に向いている」ってこと

 

 

少ないながらもいろんな人に、いろんな本に出会ってきました。そうすれば何かのタイミングで変化が起きると思っていて。そうしていろいろ外に向いていた意識は、どんどん自分に収束してきています。なんだか急がば回れ状態で駆け回っていたけれど、結局自分の元へたどり着いたというかなんというか。前は自分より若い人たちに「いろいろなイベントに行ったほうが」「面白い人たちの話を聞くのがいいよ」って我が物顔で偉そうに言っていたのが恥ずかしいくらい。

 

 

多分今の自分が同じ状況でなにか聞かれたら。

 

自分をもっと知りなさい。関心をもちなさい

 

ってことをいいそうです。

 

要は自分のことに意識を向ける時間をもっととればいいんじゃないかなぁってことをいつもながら、しつこく、延々としゃべってしまいそうで怖いです。

 

 

 

外から内へというのも。普通、自分を知らない人が周囲からの刺激を受けたところで、変化してないんですよね。ただ一緒の場にいて気持ちよくなっているだけ。本当にビビビッて変化が訪れる瞬間も訪れることももちろんありますが、イベントでもなんでも、その場を離れたら徐々にその意識がなくなっていって、いつの間にかあるべき日常、自分に戻っているんです。すごい人にあいにいくと、なんだかその気になっているってやつなんですが。本当に表面だけその気になっているだけの色々なことしても意味ないなって(全部私自身のことを書いてます)

 

 

じゃあどうするんだよって。ってことですが。

 

 

刺激に対して、自分がどう反応しているかを観察する

 

 

 

少し意識するだけでも、多くのことがわかります。あくまで私でいうと、

 

 

 

内容とかよくわからないけど、誘われたから参加した

 

 

 

ってパターンが一番楽しいし得るものがあります。変に頭の中で準備してないですし、フリーな状態で行けるのが良かったり。また私は人に興味が向くので。なにかのイベントに行ったときに一番気にになるのって、その人のフォロワーはどんな人たちかってことだったりもしますし。そうして一定の確率で「なんだこの人不思議な感覚の人だなぁ」「全然この人読めないぞ」って属性の違う人に出会ったら、もう最高。

 

 

 

 

ちょっとニュアンスが違うけれど、ある番組で武井壮さんの若いときの体調管理の話を聞いていて、すごいなと思った話があって。

 

 

「自分の調子がいいときってどんなときなんだろう」

 

って問いから始まって、天気でも、食べ物、体温でもとにかくなんでも記録していたと。そうして常に調子の良い状態を知り、それをキープしていた。

 

 

というようなお話しされていて。ここまでしてやっと自分を知ることができるんだよなって。じゃあ、自分はどこまで自分のことを知っているんだろうと思いを走らせても、結局よくわからないんです。というか考えてなかったんだなと気づくわけです。

 

 

 

しきりにチャレンジがどうとか、目標がどうとか、面白いことをやりましょう!ってなるけど、それを聞いて「よし俺も!!」ってすぐに行動へってなる人はいいけれど、私はなかなかそうはならなかった。でもそれは悪いことではなくて、ちょっと物怖じしちゃう気持ちがあるのであれば、無理に同調とか、真似しなくてもいいと思うんです。チャレンジも目標も義務になってしまったら重石にしかならないですから。そんなのその人たちに任せておけばいいやって、くらいに思っていればいいじゃないでしょうか。それが自分なんですから。自然とそのときがくれば、周囲にいわれるまでもなく、チャレンジしていたときの自分をみんな知っていると思います。

 

 

とだらだらと書いてしまいましたけど、自分ってなかなかというか。どんどん分からなくなっているというのが実感です。あしからず。

 

 

こんなことをかいているのも、重ねてきた年齢がそうさせるのか、山川夫妻が翻訳された本、関連本をまとめて買って、毎日寝る前に読み進めている(眠気に負けてだいたい数ページでもう意識ないですが)からなのか。よくわかりませんが、とりあえず瞑想をして探ってみたいと思います。もちろん睡眠学習ではなく。