弱みの意識は果てしない
「本日の最高気温は○○では30度まで上がる見込みです」
近くの畑で同じく作業をしている方のラジオから聞こえてきました。ラジオを聞きながら農作業に勤しんでいる方は結構いらっしゃいまして、TVのない生活をしている私からしてみると「ああ今そんなことが世の中で起こっているんだ」なんてことがザラにあります。そんなことを思うたびに、やっぱり自分は世間とはちょっと離れているなぁと実感します。唯一ラジオを聞かなくてもわかるのは体感温度だけで、13〜14時の間は特に日差しも厳しいですが、体も慣れてきているので。家に帰れば心地よい疲労感が眠りを誘います。寝ようと決めたら5分ともちませんもん 。
雨よけのビニールの下での誘引は暴れて絡まって大変です。
最近は農作業を2人で向き合いながら誘引という作業をしています。植物は基本太陽に向かって、上ヘ上へと伸びていきます。それでは困るので、棚のワイヤーにテープで枝をくくりつける仕事をしています。2人作業しているので、時折話をするのですが、その方によくこういわれるのですよね。
「○○君は口がうまいからなぁ、なにもでてこんよ」
「またぁ、そんなこと言ってからに」
その方は仕事が早いので私はいつも
「□□さんは丁寧で仕事が早いですね〜」
「今日もその帽子格好いいっすね、どこで買ったんですか!」
なんてことをちょいちょいいったりして、場をゆるくしています。そうやって話すことでちょっと場が和らぎますし。疲れているのは変わりないけれど。一息ついてまた仕事に集中できると思うからです。
仲の良い(と私が勝手に思っている)人が相手となると、より顕著にいやらしい、わざとらしい言い方をしたりするので(私と接した方はわかるかも?)「口が上手いねぇ」なんて返答されることが多かったりするのですが、それとは別にこう言われることがあります。
「どうすればそんな風に話すことができるんですか?」
・・・これは褒めなのか!?褒めなのか!と調子に乗る前に。
そんな風に・・・・意外とそう聞かれるとなんでだろう?と、困ってしまう部分だったりします(逆に私も知りたい!)無意識の部分なので、私は普通に話をしているときに、どんどん相手に興味をもって色々聞いてしまい、どうしても深い話になってしまいがちなので、その場が重くならないように自然と楽しく、笑いながら話ができるようにしているのだと思います。
・・・・と、
実はそれは建前で、私はいつかのある強み診断で「説明上手」という項目が「弱み」に属していると判定を受けたことがあるのです。ようは説明下手ってこと。話すことに関してはコンプレックスに行かないまでも、どうしても遠回りの話をしたり論点が外れていってしまうことを意識の底でずっと気にしています。 だからそうならないように、相手に多く質問をして聞くように心がけて(あまりできていませんが)、話をあまりしないように仕向けて避けている節があります。
ここ最近知り合った方の仲で、イベントというか、多くの人の前で話をしている方がいらっしゃるのですが「あんな風になれたいいなぁ」と隠れて思っていたりするのが実態としてあります。大勢の人前で話すことが得意ですっていう人はあまりいない気がするし、だからこそ余計にすごいなぁと思っています。
そんなこと思っている中で、こんな話に出会います。
或るひと曰わく、雍や仁にして佞ならず。
子曰わく、焉んぞ佞を用いん。人に禦(あた)るに口給を以ってすれば、屢屢(しばしば)人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。
当時は弁の立つ人を賢者のようにもてはやしていた・・・
ある人が雍仲弓をみて、
「彼は仁者ではあるけれども、弁が立たないのは惜しいことである」
孔子はこれにたいして
「どうして弁がたつ必要があろう。いたずらに口先のうまさで世を渡れば一時的に成功することもあろうが、往々にしてこれがために人に憎まれるだろう。」
「雍が仁者がどうかしらないが。弁舌が立たないことは帰って美徳であり決して短所ではない。」
「どうして弁がたつ必要があろうか。」
人々を戒めたのである。
なんともこれを聞いて、ハッとしたのと同時に。救われて、確かにそうかもしれないなぁと腑に落ちた感じでした。
話すのがうまくて。なおかつ人を巻き込んでいる方々を見ていると、私は「いやぁ、すごいなぁ」「あれくらい話ができればなぁ」と無い物ねだりをしてしまうけれど。話をうまくできないことは短所ではないのだよと、いわれると救われる部分がありました。
弱みは強みでカバーする
という言葉を聞いたことがあります。私も強みに関しては色々な本を読んで「よし!強みを伸ばしていこう!」と分かったつもりでいるのですが、やっぱり何かの場面で弱みと思っている部分が露見してしてしまい、意識し始めるともうとまりません。あれだけ「強みを意識しよう」と思っていてもです。まるで弱みほど強いものはないような。
これだけこう思って、書いてみてもやっぱりもっと話をするのがうまくなりたいと思うのですから、私もまだまだだなぁと思うわけですが、普段自分が短所だと思っていることは、自分がそう思っているだけで、周りの人から見たらそうでもない場合がほとんどかもしれませんね。