ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

今昔コミュニティ

「毎日暑いですね」と、誰もが言っているような。そんな陽気が続いておりますね。しばらく “すもも” の出荷をしておるのですが、朝一から畑に出向いてすももをもいでいるので、ありがたいことに日が高く登った時には収穫を終え、屋根の下で選別作業をしているので、体力的にはだいぶ楽な環境です。しばらく陽気が続いておりますので、葡萄に生育にとってはとてもいい天気が続いておるのではないかと。豊作、不作なんて話がありますが、素人感覚ながら今年は葡萄にとってはいい年になるのではないかなぁと。密かに想像しております。

 

さて、先日の日曜日に久しぶりに塩尻に出向きまして、イベントに参加してまいりました。

 

【2015年8月2日】 しおじり まちの教室 補講 | Facebook

 

ちょっと今回のテーマが個人的に惹かれるものだったので少しだけ書いてみますね。

 

f:id:riki-yan:20150804101931j:plain

 

みなさん “講” ってご存知ですか?

 

kotobank.jp

 

私自身もうるおぼえでそこまで理解をしておるわけではないので、興味ある方はリンク先とか、勝手にしらべていただきのですけど。

 

なんか昔は各地域ごとで、講という集団を形成していたそうで。その集団に参加している(その土地に住む人は強制に参加する仕組みらしい)有力者などの上の階級から、最下層の人々から一律の金銭などを集め、その土地の施設や催事などする際にその集めた所から搬出したり、金銭の貸し借りもそこから行っていたそうな。いまでいう相互扶助の仕組みができていたということでしょうか。また、その集団の中では皆が平等の発言権があり、その中では誰もが意見を述べることができたそう。

 

今のように、住んでいる地域の人と関わらなくても、いきていける時代ですし。困ったものはお金があればサービスとして受けれる時代になったので徐々にその講という仕組みは廃れていったそうです。しかし、最近では震災などの自然災害が起きた際に否応なく、助け合う形になりますし、避難所などに集まれば特別扱いはされないわけで。

 

私の幼少期では子ども会とかの行事に参加していましたし(今はどうなのでしょうか)なにかしら、地域の行事にも参加していましたよね。今で言えば、私は団地の一種に住んでいるので、草刈りもやりますし、お金集めたりするので。ある意味そういった集団の中で生活をしているので。なんで参加しなくてはならないのだ・・・って思う反面。それによって、コミュニケーションが生まれているので、例えば「最近◯◯さんの顔をみないね〜」なんて事も聞けるので。良い意味で周囲の目によって助かっている部分があるのかもと思ったりも。

 

 

読み返しても、半分理解しないままに終わってしまいましたが。今はなくとも人々が生活を営む中で生まれた仕組みというものは、必要があって生まれたもの。すべてを今の時代に当てはめることは難しくとも、現代にアレンジした形で仕組みを活用してみるというのは面白い試みかもしれないと。思いました。

 

後世に伝えたいものをどう残していくか?という課題をよく目にします。また人口減少の中で各地域で色々とアピールしている事があります。どの技術、モノ、地域でも「◯◯がいい」「ここがすごい」ってアピールするのはだれでもできること。それらはただ残していくだけでなく、現代にどう合わせていくか、必要な物にさせていくか、そこに住むことでどう変わっていけるのかなんて。

 

結局はそれが創造できる、来る人に想像させる事ができる地域に人も集まるし、残っていくのだろうなぁと。それがひいては個人の幸せにつながっていくのではないかと。偉そうながらに思ったわけでした

 

私は農民なので、自分がもしそういったコミュニティーを作るのであれば。こうしたい、ああしたいというアイデアも幾つか思いつくことができたので。とても有益な時間でした。今いる人、戻ってくる人、外部から来る人。うまく相互に生きているような環境を作るにはどうすればいいか。私なりの考えを頭でもう少しまとめてみようと思います。

 

 

さて、今日は出荷の都合でお休みなので、朝から掃除機をびゃんびゃんかけて、洗濯物をバタバタ干して、床をキュキュっと拭き清めています。すももの出荷ももうすぐ終盤となり、つかの間のお休みに入りそうです。なかなかこのような機会はないので、今まで関わっていただいた方々を巡りたく、関西、近畿方面に出向く予定でおります。今回はどんな新しいご縁があるのでしょうか。

 

小さい車で、一人旅。想像するだけでわくわくしちゃいますね。