できない想像って、単に知らないだけのこと
とりあえず、昨日で冬場の農作業はキリがつきました。月末からは春の作業とというか。オンシーズンに入って行くことと思われます。とまあ、ありがたいことにその前に休みをいただける事になり。早速仕事終わりに急いでシャワーを浴びて、ああシャワーなかったお湯を沸かして湯浴みをしてから。山梨から塩尻に直行して「ワインなのだ!」に参加してきました。
【3月20日(金)19;00】大門商店街でワインなのだ!vol.32 | Facebook
仕事のお休みは不定期ですので、今回のお休みのタイミングはとても助かりました。だって、今回のワインなのだ!のゲストがVOTANO WINEさんだったから。だってね。だってね。塩尻のワイナリーさんで唯一、一度も行ったことない。一度も飲んだことがない。VOTANOに行ったことがないから、ずっと未コンプだったのですよ。でも今回ようやく塩尻ワインはコンプすることが出来ました。
今回頂いたのは、ニューリリースの13年をフルラインナップでいただけたのです。
こんな機会めったにないよ。
ケルナー
シラー
・・・なんだこれ。こんなにいただけるんですかって。そう思うほどに来てよかった。塩尻にちょくちょくおじゃましていてよかった。そう思うほどに至福のひとときでした。一度も飲んだことのないワインって、ワクワク感がすごいんですよ。そんな必要ないのに、自分の過去に飲んできたワインの知識を総動員しこんな味なのかなぁ、こんな香りかな・・・再現がないのです。飲んだ時の予想の裏切り方がすごいと「なんだこれ!」って。口にも出てしまいますから。しかもありがたいことに少人数だったので、作り手の坪田さんに根掘り葉掘り質問し放題だし。
最高でした。
塩尻では桔梗ヶ原という地域が昔からのぶどうの産地、またワイン用葡萄に関しても知られておるのですが、今回のVOTANOさんの畑は「洗馬」という地域で採れた葡萄を使って醸造をしています。醸造や収穫時期の違いもあるにせよ、とても個性というかその土地の味がにじみ出ているような。そんな気がしてなりませんでした(ただのワイン好きの私の見解です)申し訳ないですが、私もまだ未開の地でもあります。今度は畑なども歩いて見て回りたいと思っております。
私も将来はワイナリーを開きたい。というかその予定で勝手にいるので。1人ワイナリーツアー(という名目の飲み歩き)と称して、ワイナリー巡りを去年はひたすらしていました。いやぁ、今思い出しても思い出が蘇ります。業界関係者を除けば、日本のワイナリー、産地をかなり巡っている自負もありますw なんでそんなことをしていたかといえば、楽しみのほかに、あこがれの部分を現実として引き寄せようとしていた感があります。周囲の知人からは「お前ならできるよ」って言っていただけることもあるのですけど。それだけでは自分の不安というか、未知の部分は解決しないんです。やはり実際につくている現場に行かなければ。
でもですね、色々なワイナリーに行けば行くほどに「やっぱり金銭的、法律の部分の壁があるのかもしれない」って思うようになって立派な設備、広大な土地、醸造の専門家。どれをとっても自分には持ち合わせていないんです。そういったことばかりを考えてしまうのですよ。そうなるとどうなるか。明快ですね。
お金がないとできない
土地(農地)がないからできない
醸造の知識がないから造れない
みたいな。
でもそれってどういうことかといえば。できないじゃなくて、わからないってことかなとか思ったり。お金がなくても、土地がなくても、醸造の知識がなくても、普通にやっている人を見たことがないからだって。
それでも私は解決しようとして、自然と行動できていたようで。
多くの本を読んだり聞いたりして、お金がなくてもなんでもできることを知りました。
実際に農家として働くことで、農地の事を目で見て理解することができました。
そしてなんのめぐり合わせなのか、最後の項目。その部分を解消してくれる瞬間が昨日訪れたのかなって。勝手に私は思っています。
「百聞は一見にしかず」って言葉。
百聞は一見にしかずとは、百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見たほうが確かだということ。
だいたいイメージつくと思うので、例は挙げませんが。それに近いことだと思うのです。
人間が◯◯ができないとイメージをする時。できないイメージが湧いてしまう、考えてしまうというのは案外違っているのかもしれません。それはできるイメージが出来ないだけなのかなって。決してできないイメージをしているのではないと思うのですよ(言い回しがややこしや〜ですね)
じゃあどうするかといえば、想像できない部分は、現実に見て知ればいいんですよ。頭が足りなければ足を使えばいい。もっといろんな人に合えばいい。目の前にできる人、実現している人を見た瞬間にできることを知るんです。そうすると道が開ける、もっといえば言い訳ができなくなります。
とまあ、いつにも暑苦しい感じになってしまいました。ごめんなさい。それだけ良い日だったということです。
いい日だったということでの言い訳ですが。昨日もお酒を飲み過ぎて、結構周囲の人には迷惑をかけてしまったかもとかおもったり。なんか気持ちよく酔っ払いすぎて、愛用していた、がま口財布が落としたのか、忘れたのか、行方不明になりましたからね。ワインに酔ったのではなくて、昨日は自分に酔ってましたね。失礼いたしました。
さて。昨日は塩尻に泊めていただきまして。本日の朝一で山梨経由で静岡に返ってきました。うちのおばばちゃんのお墓ができたということで、ようやく納骨の運びになったからです。四十九日は過ぎましたけど、それだけがずっと気がかりだったのです。それも明日でひと区切り。気持ちの部分でも煮え切らない部分がずっとあったのですが。いくらかココロも一段落できそうです。