ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

必要ないかどうかは、今のあなたにはわからない

それは一週間前の風の強い日。春の嵐とも言える強風に煽られた私の洗濯物は気づいた時にはもう遠くへ飛んでいった後でした。表に出て探したですが。ついに見つからず。ああ、やってしまったって。それと同じくして、私達が作業小屋兼、倉庫のテントも強風にあおられていたらしく、屋根にかぶせていたビニールシートはどこかへ飛んでいき、骨組みはボロボロ。自然の力ってここまですごいのだなぁと。改めて感じる一幕でした。

 

ということで。アクシデントに見舞われた作業小屋はもうつかえませんので、新たに今日はその作業小屋の代わりになる場所を増築しようとなりました。いつも両手に構えているハサミの代わりに、電動ドライバー、のこぎりをもって。必死に木材と格闘をしていました。作業小屋とかを2月の終わりに改築した事もあって、効率は抜群に上がっています。角材とかまっすぐ切る事もできなかった私ですが、全然余裕で行けますし。ドライバーでのネジ打ちもこなれたものになりました。

 

f:id:riki-yan:20150319214905j:plain

のこぎり。だいぶ様になってきたよ。 

 

 

こういった作業って一見すると農業と関係ないし。それも一週間以上も続けて小屋を作ったことも合ったので。「いつまでやるんだろう」「こんなことするためにきたわけではない」とか。一昔前であったらちょっと疑問におもったり、嫌になってしまう一幕も合ったかもしれません。最近は成長できたのか?新しくやることに対しては拒むことがなくなってきました。受け入れるという感覚でしょうか。やっと私も大人の考えになってきたのかもしれません。

 

 

今は昔。学生時代の時。よく先生に怒られていた同級生(今での仲良しの友人です)が時折つぶやいていた言葉があるんです。

 

「これって勉強する意味があるの?」

「なんで勉強しなければいけないのよ」

「必要ないから、俺はこの◯◯の今日はいいや」

「将来役に立たたないから、別に真剣に勉強しなくていいんだよ」

「好きなことだけやっていればいいんだよ」

 

どうでしょうか、皆さんの周囲にも一人や二人いませんでしたか?

 

5つ目の「好きなことだけ〜」というのは、今の私からするとプラスに働く部分があるので、それもありだよなぁと思うので、属性がちょっと違うかも。

 

それでですね。その後社会人になった時に呟く言葉があるんです。

 

「もっと勉強しておけばよかった」

「なんであの資格をとっておかなかったのだろう」

「大学に行っておけばよかった」

 

どうでしょう。私もコチラのワードは散々言っているのですが、特に「英語」はもっと勉強しておくべきだった。と思うのですよ。年末にも英語圏の方と食事をする機会が合ったのですけどね。まあ喋れない事。簡単な事もアタマに浮かばない。というか単語すら出てこない。唯一出てきたカンニングカンニング!」って言葉を連呼しながら、iPhoneの翻訳アプリを指さして会話してたんですからね。必死だったのはわかりますが、まあ恥ずかしいですよね。

 

 ・・・

 

脱線しました。

 

 

大人になった時に「◯◯しておけばよかった」というのは。なぜ起こってしまうのか。私の実体験からだと「将来は予測できないから」ということなのかなって(誰でもわかるよ!ってごめんなさい)

 

そのギャップって、どうして生まれるかといえば。

 

現在の自分と未来の自分は違う人間

 

これに尽きるのかなと。またほかの言い方をすれば。

 

過去の自分と現在の自分は違う人間

 

とも言えるかもしれません。その時の自分の頭のなかで想像できる世界では必要ないって判断をくだしていることなんですよね。将来自分がどうなっているかは想像できないのです。やりたいこと、夢、使命などが明確に出ている人間であれば好きなことだけやればいい、いいかえれば好きなことだけを取捨選択できるんです。どれだけの人が学生の時にその領域にいるのかと考えれば、大半の方は明確になっていないのではないでしょうか(あくまで私の学生の時の話です。今は違うかもしれません)

 

人間は生きていれば、経験が蓄積されていきます。いろいろな人と出会います。住んでいる環境、住んでいる場所などで若干違いはあるにせよ、ランダム性が働いているんです。そうなると、将来はどうなっているかは誰にもわからないということです(想像できたり引き寄せるツワモノもいるかもですが)

 

  • 小学校時代はよくわからないけど、陸上に目覚めて走ってました。
  • 中学生時代に農業をやるなんて考えられませんでした、普通の勉強が嫌でした。
  • 高校時代(工業系)は多分、ものづくりをやるのだろうなって思ってました。
  • 専門時代は映像系のクリエイティブな仕事につきたいと思ってました。

 

というように、私の例はこんな風に。

 

想像できていないんですよね、未来。専門時には「最後は田舎で農業やりたい」とは自分の口から言っていたようですけど。いやぁ〜定年後とか想像してたよきっと。まさかこの歳でこうなるとは思いもよりませんでした。逆にでも予想を裏切って良かったなぁと思うのは、なんとなく続けていた習字のお陰で、なかなか字が綺麗に書けるのは、嬉しい誤算だったり(それくらいかw)

 

 

今日やっていた大工仕事も、もしかしたら将来役に立つかもしれないのですよ。自分が農地を借りたりして、近くに住む場所がなければ小屋を立てるかもしれません(ちょっとハードル高そう)もしかしたら犬小屋を作ってくれって言われるかもしれない。例えが悪いし、つながっているかは疑問ですけど、そうなる事もあるかもって。そう思うと、今やっている作業も少なくとも「無駄」になることはないだろうと。

 

とまあ、今日もですね。いつものごとく一人で黙々と木を切って、釘打って、ノミ削りしていたら雨が降ってきて雨宿りをしていたら、なんか小屋ばっかりいじっているなぁと、なんとなく考えていたんですよ。その矢先に「今日は切り上げようか」ってなって、仕事は早上がりだったんです。明日も変な天気だそうな。パパっと小屋を仕上げてしまいたいものですね。

 

スカッとかれてほしいものですね。

 

 

 

 

 

 

そだそだ。忘れてました。

 私の場合は農家になる片鱗がすでにあったのでした(おとなになって見つけました)

 

幼稚園の時に「くだものやさんになりたい」って文集に書いていたんですよねぇ。不思議

 

まったくもってなぜそう思ったか理由がわかりませんけど。

 

・・・なんか必然だったかも。