ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

不自由なほうが ”心と体” が自由になる

前日お酒を飲んでいる時にキャンプの誘いを受けまして。キャンプ素人で役にたつかわからない、何も道具を持っていない、仕事についてない。そんな2人を混ぜてもらって、初夏の日差しが降り注ぐなか、新緑が山いっぱいにあふれる静岡の奥地へ行ってきました。

 

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マル秘スポット?ということで。私達以外は誰もいない特等席というか良い場所にテントを構えて。のんびりスタート。テントを皆ではったり。夜の焚き火に使う木を拾ったりと準備の部分から。やっぱりお酒をのみながら、昼はお肉を囲んでのBBQ。夜は野菜たっぷりのお鍋。ということで完全に満喫させてもらいました。

 

なんか動物の足跡とかも発見したり、吊り橋をがたがたさせながら渡ったりして面白かったですよ。

 

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(夜のひと場面)

 

まあ、キャンプとかって言っても今はBBQ一式のセットを貸してくれたり、トイレ、水道も併設してあるところも多いですし。私の中学時代では考えられない場所まで、3Gですが電波が飛んでおるわけなので、不便と言いつつもだいぶ環境が良い場所でキャンプとかできちゃうわけです。今回はそういった施設も何もないところなのでまあ男子はいけそうだけど、ちょっと女性の方は不便なそんな場所での一泊。

 

PCばかり触っているし、以外と潔癖症だし、ぐうたらな私からしたらかなり不便な場所でのキャンプだから、さぞかしつかれるだろうなぁって思ったんですけど。行ってみたら面白いくらいに調子がいいんですよね。焚き木を集めるときも、一人でずっとさがしてましたし。朝は空が明るくなってきて、四時半には起きてしまって。また焚き木を一人でさがしに上流まで探しにでてました(焚き火が相当楽しかったみたいですよ)

 

調子がいいっていうのも、楽しい時間を青空の下、川のせせらぎと、新緑あふれる木々に囲まれて過ごしたから・・・とか、きれいな星空を眺められたから・・・なんて環境の部分がやっぱり影響しているのでしょうけど。それの要件を差し引いてもお釣りがくるくらいプラスの効果がすごいんですよ。ずっと動いてたらか、体のコリといコリが全部どこかへ行ってしまったし(PCの前に座ってブログ書いている方が疲れる気がするくらい)

 

それでも、やっぱり洗い物とかで水道があると楽だなぁとか。トイレどうするのよ?みたいなこともあるので「不自由さ」がつきまとうのですけど。逆にそれが私には良かったみたいで。例えば、準備の部分。テントをはったり、野菜を切ったり、火をつけたり。そう時はみんな何も考えずに「自分のできることはないかな」って自発的に動くんですよね(それが普通ですけど)これって重要なことで周囲を察して「自分のできること」で動いているわけです。普段から水道でも、食事でも「与えられている」環境下だと動かない。いや動く必要がないですよね。

 

私もそうだった?かもなのですが、勤めている時に部分で空気を読んで「何をやらないか」なんて悪い意味での察し方をしていて、受動的な部分が多かったのですけど。そんな縛りは大きな自然の中ではないわけです(そんなやつはイノシシに食べられてしまえばいいよ)

 

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良い時間を共有させてもらえて、連れだしてくれた友達に感謝もさることながら。意外と私もまだまだ動けるぞと実感を持てたので(動いてましたよねw)これから農作業に従事するハードルが少しは下がったかもしれません。それも良かったかも?ですね。

 

いやぁ〜しかし、腕と足と顔が日焼けで痛い・・・。