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ほどほど "農民" 絵日記

なんかいつの間に農民になっている人

スーパーマン的な。

ちょっとお休みができたので、ふらっとお出かけをしたり、もろもろの片付けをしたり、畑をかき回したりと。のんびりモードです。2月末で春めいてきたとはいっても、風が少しあるだけで寒いなぁ寒いなぁと、ついつい口に出してしまうので、ますます寒いってなっていくのですが。しかし、天気が良い時に表に出て歩いているだけで、背中はポカポカするし。空気は澄んでいて。この時期ではない爽快さを味わうことができます。

 

 

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 四柱神社。街中の神社さんとは。なんとも不思議な空間。

 

 

 

そんな中。ちょっとした空き時間でNetflixで見ていたんですよね。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

 

ちょっと前の映画だったとは思いますが。いやぁ、なんとも壮大なスケールで、アクションもすごかった〜と。人並みのような、どこかの普通の感想に落ち着いてしまうのが常なのですが。強大な力を持つ物の苦悩って、一般目線からでは見えないのですよね。一方にとっては助けになっても、その反面では加害者になってしまうといったように。現代では、富の偏在にもなんか似ているなぁとも思えて。なんだかなぁって。

 

 

 

ヒーロー物って見るのは好きです。特定のキャラクターや映画が好きっていうのはないのですけど。ついつい見てしまうのですよね。とはいっても私の子供の頃のヒーローって、子供の頃についつい見ていたのは、平日の夕方にやっていた水戸黄門の再放送から始まり、大岡越前暴れん坊将軍御家人斬九郎剣客商売なり、鬼平犯科帳だったりして、時代劇小説への道へと進んでいったわけですが。

 

 

ん〜ちょっと違うか。

 

 

スーパーマンってとてつもなくチートな能力があって。一部の弱点を除けばほぼ無敵なわけなのですけど。その能力の中で数百万人の中から一人の声を聞き分けることができるというところに目がいきました。この能力。無条件に悪い声も良い声も聞こえてしまうとしたならば、どうでしょうか。(意図しなければ聞こえないのかもしれませんが・・・)しかも自分には力があるわけです。そうなると動けば救えるわけです。逆をいえば動かなければ救えないと。

 

 

人を救うか救わないか。選ぶ自由はあるけれど。人々を救わないという選択をした場合。動かないでいるだけで、救えない人たちの声ばかり聞こえるわけです。それもずっと(老化とかあるのかな?)別にそんなの気にならないぜ〜って思っても、毎日のように悪い声ばかり聞こえていたらどうでしょうか。とりあえず私は耐えることができません。じゃあその立場にいたらどうするかって考えたら、動いて。助ける。ここにたどり着きそうです。

 

 

なんとなく私がスーパーマンだったら〜の話をしてしまったけれど。スーパーマンにはなりたくなぁと(なれないけどね)スーパーマンとは違えど、「スーパー」◯◯な人はたくさんいるんですよね。誰かが取り上げた瞬間に、いつの間にか広まっていって。スーパーになってしまっている。皆に能力と、その存在を知られているんですよね。そしてそのスーパーな人に祭り上げられてしまうし、その人の様になりたい人もたくさん出てくる(さすがにもう窓から飛べるはずだって飛んじゃう人はいないと思うけど。)

 

 

その期待もエネルギーに変えられるひともいるけれど。全てのひとはそうではないんですよね。スーパーになってしまうと。スーパーな期待があるから。勝手に期待されるて、どんどん周囲が期待へと傾倒してしまう。そうして勝手に祭り上げた人たちは、勝手に評価する側に周って支持となって、そのスーパーな期待が外れてくると、途端に不支持となることも。(私の主観です)

 

 

書いているだけで、スーパーマンは大変そうだなぁとなってしまいました。

 

 

しかしラッキーですよね。そこまでスーパーマンのように聞き分ける耳がないから。知らないで済む世界があるし、それで悩むことはない。だから結局何者にもならないし、なれないことがわかると、どれだけ軽くなるか。楽に行動できるか。スーパーマンになろうとしないで、人間でいるということが一番能力を発揮することができるし、スーパーな◯◯のようにならないで、自分という存在があるだけで幸せなんです。こっそり良いことも悪いこともできちゃうのですから。するかどうかは別としてw

 

 

自分ができることを、皆がやっていけば。スーパーマンは役割を終えることができる。スーパーな人がずっと存在しているということは、もしかしたら一人一人がやれることをやっていないから。依存しているから。からかもしれません。変な表現かもですが、スーパーな人の居場所を作らないことが、実はスーパーな人のためになるのかもしれません。目立ちたい人は別だけどw

 

 

 

私はなんで時代劇に走って行ったのだろうっていうと、そこには人間味というか、人情というか、その時代に生きていた人たちのリアルが伝わってくるような気がするからなんですよね。 決まって、いつも誰かが犠牲になってしまうし、救えない人たちもいる。はかなさとかともあるけれど。それでも未来に向かって良くも悪くも進んで行く感じがなんとも。

 

 

と、ごめんなさい。スーパーマンについてはにわかで、知ったか。ちょっと見ただだけで書いてしまいました。あしからず。

トマトケチャップ

一週間とちょっとくらい。トラクターに乗ったり、ブルブル腕を震わせながら畑の耕起をしておりましたが、一通り終えることができました。ぶどう畑は同じ地域とは言っても数キロ圏内で分散しているので、様々な畑を耕起するのですが。どの畑も全然感触というか手ごたえが違うんですよね。単純にいえば、耕しやすいか、耕しやすくない(土が硬いとか)なわけでなのですが、土だけとっても個性があってまた面白いなぁなんて。

 

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とは言ってもお硬い畑が多くてですね。なかなか機械の刃が入らないので難航しました。前日冷え込んだ畑。長年耕起していない畑。あまり草を刈らない畑。こんな畑はなんとも力を入れても、なかなか耕起できなくて。表面上の浅い部分だけがほんのちょっと耕された程度。人それぞれ耕起、不耕起って好みはあるのだろうけれど。地面ってこんなに固くなるんだなぁと、実感しながら黙々と作業の毎日でした。

 

 

 

耕起するというのは、固まった土、表面に生えている草なども丸ごとかき回すわけで。酸素とかが供給されていいみたい。ある意味単純作業なわけですが、ぼーっと作業をしていると、なんだか自分の凝り固まった頭と、そこに生えていた雑草たちが見事にかき回され、耕されたような気がしてしまい。いろいろな知識を頭に入れるのは、なんだか肥料ばかりあげているようで。なんだか栄養過多。その栄養をたくさん吸い取ってくれる種をもっと蒔かねば。それとも苗を植えるのか。いろいろ考えさせられるような気がしました。とりあえず今できるのは深呼吸で脳に酸素を送ることくらい。

 

 

考えていても腕と、機械は黙々と地面を耕起していって。耕起した畑の上を歩くとふわふわというか、足がすこし沈むくらいにほぐされて、柔らかくなっていて。なんだか嬉しくなりました。それに反して、年に一度の作業で慣れないからか、肩と首周りが徐々に徐々に凝り固まっていったようで。ずっと重い感じです。葡萄の棚の下で中腰で屈みながら、耕運機を抑える分、土は柔らかくなっているはずなので。これも心地よい疲労感なんでしょうか。

 

 

 

そうそう、ここまでのお話は葡萄ばたけのお話で。野菜畑の方も稼働し始めました。前年に植えているものは、にんにく、たまねぎ、ほうれんそうの三種類なのですが。まあなんともほうれんそうは、大きくなる前に雪に当てられてしまったせいか。成長が芳しくなく。ちょっと厳しそう。にんにくとたまねぎも前年に比べるとちょっと勢いがないかなぁのそんな感じ。

 

 

今年はジャガイモから植えようと思っております。すでに種芋は用意済み。ということで、こちらも一生懸命耕起してきました。始めにスコップで全体を掘り起こして。そのあとにレーキできれいに整えてきました。堆肥はまいてあるので、あとは石灰を撒くだけです。なんやかんやで野菜畑は三年目なんですよね。素人野菜ですけれど。

 

 

去年はちょっと多くできた野菜は、ご近所さんにあげたり。親しい友人に押し付けがましく送ってみたり、兄弟に送って。その反応をみて。なんとも自己満足に浸っていたわけなのですが。もうちょっとレベルアップしたいなぁとも。私の悪い癖は、とりあえず面白そうな苗があったら買ってしまう。必要以上に植えてしまって、消費できなかったとうことでした。特に空芯菜ゴーヤちゃんは結構たくさんできてしまって。食べきれない感じになってしまったので。反省反省。

 

 

今のところ、大玉のトマトさんは一度も収穫したことがないので。今年は収穫までいきたい。収穫前に落果するか、青虫さんたちのご飯になってしまって。なんとも苦い思いしかしていないので。とにかく収穫をしたい。そうして今年は自分でとったトマトでケチャップをつくる野望を抱いております。ケチャップ。ケチャップ。ケチャップ。というか。それが至上命題でして。

 

 

とは言っても一様意識はしていないけれど。無化学肥料、無農薬でやっているので。ある程度は許容しておりますが。あまり欲を持たない私も。もう2年連続で失敗していると。欲も出てくるから不思議ですね。みなさん自分で野菜畑を始めるとのめり込む理由がわかります。私はちょっと早いかもだけど。

 

もうちょっとだけ。野菜畑が稼働するまで猶予があるので。のんびり楽しみながら年間の栽培計画を立てたいと思います。続きは夢の中で。明日はナポリタンかな。

癒されにやってくる

いつの間にか厳しい冬はあっという間に過ぎていきました。日もどんどん長くなり、なんだか心なしか春がすぐそこまできているような。そんなことも畑で作業をしていると体感覚で感じることができます。前年の末から始まった剪定作業も一息つきまして。毎日畑を耕運機やトラクターで土をかき回しています。いつも以上にのんびりした作業なのですが、作業後に耕起された畑が耕される様子を見ているだけで、なんだか嬉しい気持ちになってもきます。

 

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かき回すのは楽しいよ。

 

最近はありがたいことに良きことがたくさん続いています。よきパートナーに巡りあえたり、デザインのお話をいただいたり、妹が無事に出産できたこと、久々に東京にでむいて静岡時代の友人。同郷の尊敬する友人ともお酒を酌み交わせましたし、新しい縁にも恵まれているようです。まるで去年までの閉塞感は何処へやらといった感じです。こうした気持ちになるのも、おぼろげながらその閉塞感のなかで自分を見つめ直している機会があったから一入に感じます。そうそうワインセラーも新しくなってしまったし。

 

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おむすびも、ただただおいしい。

 

自分を見つめ直す。結局、この問いはどこに向かっていくのかというと、自分は何のために生まれてきたのだろうか。何をしにやってきたのだろうか。そんな考えても考えても深みにはまっていきそうな事柄に最終的にたどり着くんです。やりたいことがないのも、なんか毎日がつまらないのも、仕事がうまくいかないのも。そこから徐々に派生していくのは結局そこ。そこから深く入っていくとここにたどり着きました。

 

 

人生は魂の修行の場所

 

 

ここについては私が語るまでもないので、興味ある方は紐解いて行っていただければと思うのですが。私自身として、そうかもしれないし、そうでもないかもしれない。でもよくよく考えるとそうかもしれないなぁという感じで受け取っています。少しでもそうかもしれないって思えた瞬間から、あの時の大変だったこと、苦労したこと、悔しくて、悲しくて泣いたこと。それら全てに意味があったように思えます。

 

 

そうすると、今起きている目の前のことに意味を見いだすことができます。受け入れることができます。ただ目の前に巡ってきた事柄に対して、快不快、良い悪い。そんな気持ちの壁を介さずに、まず素直に受け入れることができます。そうすると目の前に起こっていることには意味があるのですから、自らの成長の糧にすることができます。と、私はちょっとスピリチュアルな感じが部分があるので普通に感じているのかもしれませんが。

 

 

そうそう。神秘十字?

 

友人の彼女さんに手相を見てもらった時に、なんかあるみたいなんですよね。ご先祖様に守られているとかいないとか。精神世界と相性がいいとかなんとか。おばばちゃんだといいなぁ。

 

 

・・・と話がそれました。

 

 

ここまでは、ありきたりに本を読んでいることを、消化不良のまま自分のことのように話しているだけのようにも思えるのですが。なんとなく自分のなかで見えてきたものがあります。なんで生まれてきたのか。

 

癒し、癒されにやってきたかな。

 

なんかそう感じることが多くなっています。

 

ある人は、生まれてきた時。親を選べないといいます。

またある人は、私たちは親を選んで生まれてきたともいいます。

 

 

生まれてきた時から親の元を離れるまで。それまでは癒す側にいると思うのです。

だから親元を離れるのが遅いのも、早いのがあるのもなんだかわかる気がします。

離れられないのではなくて、他に理由があるのかもしれません。

 

 

離れた後は、今度は自分が癒される側へ。

 

でもそちら側へ行くのはなかなか難しい。だから迷ってしまう。手を差し伸べられても素直に癒されことができない。認めなくないから。

 

それは自分も知らないような、知らぬ間に受け取っていた負債というか、業というかわかりませんが。気付かないんですよね。時折不安になったり、突然恐怖に襲われて逃げてしまったり。どうもうまくいかない。でもそれは自分が弱いからとか、意気地が無いからとかいったように解釈され、周りから頑張れとか、克服しろという圧をかけられたりして、結局は我慢の方向に進むこともしばしば。

 

 

でも、実はそういった負の気持ちになる機会というのは気づきのチャンスだったりもする。だからよくよく考えてみると負の感情が何度も湧いてくるというのは、それを癒すタイミングでもありそうです。だって何度も繰り返していれば、これはなにか他に理由があるのかもしれない。って、思う機会が増えますから。

 

 

子どもの頃学校の階段というなんとも恐ろしい映画を観に行ったのですが、もう怖すぎて顔を覆い隠すのですが気になって指の隙間から見ているんです。だって気になるから。クマヒゲさんとか、むらさきババアとか。その話はいいとして、顔を覆い隠した手の指の隙間からでもいいから、少しだけ覗いてみればいいんです自分の内側を。覗いてしまえばこちらもの。気になってしまえばいい。(ちょっと強引かもw)

 

 

ありがたいことに、私にはそれを気付かせてくれる人が身近にも、少し離れたところにも、遠くにも。嬉しくなっちゃいますね。時には普通に話をしながら、時にはふんわりと。時には厳しく。たびたび苦しくなったり、悲しくなったりすることも多くあるけれど。それは初めだけで、隠れていた自分を思い出すようになってきます。そんなことを繰り返していくうちに、顔にも笑顔と明るさが戻って行っているようです。なにせ行きつけのお店とかで「いつもはこんな感じではないんですよ」雰囲気が違うと多くの場所で言われるので、きっとそうなのでしょう。

 

 

人生は癒しの旅なのかもしれません。

また変わるかもしれないけれど。

少なくとも今の私はそう思います。

 

 

そんな明日は大切な人の誕生日です。

小さくお祝いしながら眠りにつきます。

人生で一番嬉しかった日

ぶどうの剪定作業は終盤に入りつつあります。週の頭は雨が降った事もあり。今日は空気に程よく湿り気があり。ちょっと早いけれど。冬の厳しさではない。これも俗に言う三寒四温にあてはまるのかもしれないけれど。私にとってはなんだかいち早く春の訪れを感じたような気がしました。

 

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昨日の雨で日陰の積雪はすっかり溶けてしまいました。

 

 

どうにもならないこと、どんなに頑張っても覆すことができないような事に出会った時。みなさんだったらどうしますか。代わってあげたいけれど、代わってあげる事はできない。助けたくても励ますしかできない。ただただ時間だけが過ぎていく。気持ちばかりが焦って、どんどん追い詰められていく。そんな大切な人を失うかもしれないという恐怖ほどに強大なものには今まで出会った事がありませんでした。

 

将来への不安、お金への恐れ、ここままでいいのだろうかという焦り。何かをしなくてはいけないというような恐れ。そんなものは全然比じゃない。自分が動けばなんとでもなるようなことは恐怖でもなんでもない。

 

 

人生で初めてその場に対峙した私は、ただただ祈る事しかできませんでした。大丈夫。きっと大丈夫。よくなるから大丈夫。寝る前に、朝起きてから、仕事をしている時でも。ずっとずっと「大丈夫。大丈夫」「きっと大丈夫」そうやって悪い想像が頭をよぎるたびに必死に必死に口にだすんです。そうやって相手のために祈っているけれど。本当にただただ自分に言い聞かせているだけ。それ以上でもそれ以下でもなく。無力な自分をただただ感じるしかありませんでした。

 

 

そうして最終的にたどり着くのは「後悔だけはしないようにしよう」という気持ちだけ。あれをしてあげればよかった。こんな言葉をかけてあげたかった。「◯◯しておけばよかった」という事はなくそうと思って。少しでもいい思い出を作ってあげようって。あの人はこんな人だったよっていってもらえるように。その一心でやれる事をやるんです。

 

 

 

 

そんな時。心の支えになったのは太陽の力です。

 

明けない夜はない

 

どこかで聞いた事のあるような。何かの本に載っていたような。一見ありきたりのような言葉だけれど。日が昇ってくるたびに希望を感じるんです。夜には不安や、心配事が少しでもあるとどんどん増長されていく。考えないようにしよう。いい事を考えよう。そうやって湧いて出てきた小さな光も、たちまち闇に飲まれてしまう。そんな事を繰り返しているといつの間に眠りについている。けれどふと目がさめると明け方には遠い日をまたいだくらいの時間。そうしてまた眠りにつけずに悶々とする時間が延々と続いていくようです。

 

 

それでも外が明るくなってきて、部屋にも日が差し込んでくると希望が湧いてきます。大丈夫なんだという気持ちに確信が持ててくるから不思議です。

 

 

今日は審判の日でした。朝からずっとそわそわしながら待っていました。「大丈夫。大丈夫」と繰り返しながら。今日はとっても綺麗な快晴で。青々とした空が広がっているのに。気持ちがそれを素直に受け取りません。ただただ虚しさだけが私の心を覆っていくかのようでした。そうやって悶々としながら仕事をして昼下がりに差し掛かろうとしたときに。その審判が下されました。

 

 

「生きられる」

 

 

この言葉を見た瞬間に。今まででにないような感謝の気持ちと、普段は思っていないのに「神様ありがとう。仏様ありがとう。みんなありがとう」と、「ありがとう」という言葉をなんどもなんども繰り返し口にしていました。そうして次々と頬を熱く流れていくものがありました。普段は涙なんてぜんぜん流さないのに。流さないと決めているのに。ただた嬉しくて涙が止まりませんでした。

 

 

小学校のとき。とっても怖くて厳しい担任の先生に言われたことがあります。私は怒られると反射的によく泣いていました。そうやって怒られて泣いているたびにこんなことを先生が言っていました。

 

「男はな。悔しいとか悲しいとかで泣くんじゃない。男が泣いていいのはな、本当に嬉しいときだけだ。死ぬまでに何度もあるもんじゃないんだぞ」

 

そうやって最後は優しく諭してくれたのを覚えています(めっちゃ怖かったけど)

 

 

今日はその人生の中、数少ないうちの一つだったようです。一生忘れることのできない日です。

 

 

世界は心の投影

 

 

しかし恐れていたことは起こりませんでした。

 

運が良かったのか、はたまた自分が引き寄せたのか、もうそうなるように決まっていたのか。考えれば考えるほどわかりません。しかし起きたことは必然であるのであれば、私に何かを気づかせるためにこの機会が与えられたのでしょうか。ますますわかりませんが。今日ほど感謝に満ち溢れた日はありません。

 

 

今の自分なら、どんなことでも、苦労でも乗り越えられる。できるような気がします。

 

今日という日にありがとう。

全ての人にありがとう。

生きていることにありがとう。

 

 

本当にありがとう。

逃げ癖

のんびり剪定作業をしていたら、いつの間にか一週間過ぎていたというところでしょうか。昨日大寒だったこともあって、だいぶ冷え込みが厳しく感じますね。畑にいるときに吹き上げる風も乾いて、肌を刺すように感じます。この山梨くらいじゃぁ、まだいいのでしょうけど。おかげさまでおうちに帰ると寒いので、早々に寝床に潜ってしまいます。起きているとただただ灯油を消耗しているだけのようにもみえますから。

 

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頭は冷えひえ

 

最近は頭と手足先が冷えてなかなか眠りにつけないからか、よく夢をみるんですよね。あんまし自分は夢をみることは少ないのですけど。よく見るのよね。ここ数週間ずっと。夢の内容はまちまちで覚えていたり覚えていなかったり。でも意外と昔の情景の断片がちょいちょい顔を出しているようで。夢をみた次の日なんかは、畑で剪定をしながらそのことを考えながらってことも。

 

 

 

小学生の頃、地元のサッカー少年団に入っていたことがあります。入った理由は忘れてしまったのか、もう今はわからないけれど、小学校の1年生のとき入団したんですよね。自分からやりたいと言ったのか、親が何かしらの意図を持っていれてくれたのか。あんまし自分って習い事で続いたものって少なくて。自慢?できるのは習字が8年くらいで、ちょっとばかし字がうまいってことくらいで。それに次ぐのがサッカーって感じ。特段その話にならなければ、サッカーをやっていましたってことはいうことはないです。

 

 

でも小学校6年生の時に辞めてしまったのですよね。ちょうど父親が単身赴任で東京に行くことになってお家の負担が増えるから。ということになっておるのですけど。いやになっちゃったんですよね。自分が下手くそだったのか、楽しくなかったのか、周りとの競争が辛くなったのか。逃げるようにフェードアウト。まあなんとも意気地なしなことって。今も変わらず意気地がないというか、体の細さに比例して、肝が小さいままなようで。

 

 

行きたくなくてというのも、徐々にそうなっていったというところでして。過去には行きたくなくて、お家で寝たふりしたりとかしたりしてたんですけど。それが続くと、まあ親父にはすげー怒られて、脅されてみたいな感じでなんとか行かせようとしていたみたいなのですけど。まあ泣きながら次は行くからって言っては、また一度休むと、二度休むと。みたいになって。またひどく怒られて。それを見ていたおばばちゃんになんどかばってもらったことか。その光景は未だに鮮明に覚えていますから。

 

 

そんなことが続いていると、当然自分のやりたくない気持ちよりも、恐怖が勝ってくるんですよね。親父に怒られたくないから我慢してサッカーをやってたみたいでしたから。当然そんな理由でサッカーをやるようになると、まあうまくならないですし。練習にも身が入らないんですよ。もう最後の方とか練習早くおわんないかな〜ってずっと思ってたようにも感じますし。でもね、親父が怖いから辞めることができないんですよ。辞めるなんて言ったらどうなってしまうのかって。続けるのも辞めるのも選べないから少年の私は辛かったと思います。

 

 

だから、ちょうど父親が単身赴任でいなくなるっていうのは、ラッキーだったんですよね。辞めても怒られることはないし、外から見れば前述の通り親の負担だからっていえば辞めれそうな気概がありましたから。結局正式に辞めたのは、練習にずっと行かないって言い続けて、最後の最後に母親に「あなたどうするの?サッカーやめるの?」って聞かれて「やめる」って言って、母親に少年団の人に言ってもらって辞めた。と記憶してます(あってるかしら)

 

 

今思えば、そこから何かをやるというのも、辞めるというのにもはっきりしないような癖?が付いてしまったようにも思います。ずるずる引っ張る性格というんですか。おかげさまで?社会人になってからはだいぶ苦労をしまして。失敗したときには全然動けなくなってしまって、対応が遅れてしまったり。それが続いてしまうと他の仕事にも影響が出てしまう始末で。もうなにやってるんだねって感じで。しかし相当当時の社長さんにかなり厳しくしていただいたようで(周りは心配なくらいに怒られていたそうな)

 

 

かなりきつく当たられたとしても、大丈夫な耐性がついてしまいました。なおかつだいたい相手の顔色とか、雰囲気とかを見れば、今日の機嫌とか、調子の良し悪しがなんとなくわかりますから。(というか察しているので臆病なだけかw)なので、いいのか悪いのかわからないけれど。よく私は「上からひとを見ている」「行為を指摘せず、人格に当たる」「とにかく声を荒げる」という人にはどうも今でも抵抗が出てしまって。「苦手だやぁ」って、友人に漏らすことが時々あるかと思いますが。これもその原体験の一つなんでしょうね。

 

 

なんて、畑で一人考えているわけですから。そりゃああっという間に1日過ぎちゃうわけれど。結局最後には「まいっか」ってところなんですけど。きれいにまとめれば、「だから今の自分があるんだなぁ」って場所へたどり着くので、私は毎日幸せなようです。今日も平和でありがとうですね。

 

 

本当に困っている時に助けてくれた人のことは忘れないといいますが、こうやって小さいながらにも絶体絶命って、もうだめだって思った時に、助けてくれたおばばちゃんのことは一生忘れませんもんね。その後もいろいろな時に助けてくれた人がたくさんいるけれど。こうやって思い出したってことは、ちょうどその人たちにあって、感謝を伝えるタイミングなのかもしれませんね。

 

 

って勝手に解釈して。今日も夢の中に入っていきそうです。

あなた、わたしの「良し悪し」

や〜。とにかく日陰は寒い。風がビュンビュン通り過ぎていくので、手先は冷たいというか痛いです。自然と身を縮めてぶどうの剪定作業をしています。今は俗に言う強盗マスクもとい、防寒マスクをつけておりますが、とにかく鼻水が出てくる出てくるで。お鼻をチンしてはマスクつけ、またお鼻をチンしてってどんどんお鼻の下が赤くなってくるので、顔を洗った時とクリームを塗った時にピリピリするのです。寒い日の仕事はいやだよなぁとか、よく口に出してしまうのですが。これはこれで冬だなぁという実感があって。こんな寒い日がないと「全然冬っぽくないよ」っていうし。寒いければ「暖かければいいね」って話になるので。ああ生きている感じがするわ〜って、四季があって本当に良かったなぁと思うわけです。

 

 

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いつもお前は服にこだわってるよね〜。センスいいし。いやいや、ファストファッションもいいんだけどさ。服ができるまでには問題があるって知ってた?劣悪な労働や、低賃金。環境問題やら、いいことは一つもないってさ。洋服の原料だって大量生産したものだとか。そんなものを使った洋服をきたくないよ。あなたは身に着けたいと思う?

 

 

ここのレストランさ。自家栽培で有機栽培だって。体にいいから安心だよ。農薬や化学肥料は体に悪いし、環境に良くない。やっぱり体にも環境にも良い有機野菜を食べたほうがいいよ。この前TVで見たんだけどさ。とにかく添加物とか遺伝子組み換え食品は良くないんだって。でもさ、そもそも食品表示にそれが書いてないんだよ。おかしいよね。あとさ〜狭い小屋に閉じ込められて育った鳥や豚や牛さんはストレスがかかっているらしいくてさ、廃棄食品から作った飼料を与え得ているところもあるって。やっぱり放し飼いのものがいいよってやってたよ。

 

 

最近はみんな家を建ててるね〜。やっぱりそういう年齢になったってことか。でもさ、新築のお家ばかり立てたがるけれど。この前新聞にこれから人口が減ってくるからどんどん空き家が増えるってさ。今ある住居をもっと大事にすればいいと思うんだけど。昔から残っている建物を大事に使えばさ〜。いやいや、今はどこで地震が起こるかわからないから、古い建物は危険だからやめたほうがいいと思うなぁ。

 

 

なんともわざとらしく書いているけれど。衣食住のお話。学生の時に初めて聞いた「衣食住」。人間とは切っても離せないもの。だからこそ、これに則した仕事に就けば食いっぱぐれないよなんて。就職難だった高校生の時に言われたような、言われなかったような。確かにこの3つは人間にとってなくてはならないものかもしれないけれど。人によって関心の度合いが違います。

 

 

   > 

 

多分私の場合で考えてみると。こうなるだろうなぁって思うんです。食が一番上とはいってもあくまで関心って部分で。別にすごくお金をかけているわけではないけれど。毎日ご飯作っているし。自分で野菜を育ててることもあって独り身の同年代の方々と比べたらちゃんと?しているほうだとおもいます。また前職は食品会社でしたし、今は農業を生業にしているわけですから自然とそうなるのかもしれませんが。そんなわけですから。私に「衣」「住」の部分について熱く語られてもそこまで関心が持てないかもしれません。

 

 

関心を持っている分野については人に「これがいいよ」「あれがいいよ」っていうのだけれど。なかなか理解してもらえなくて。また、逆に言われる立場になって「これがいいよ」「あれがいいよ」って言われた時に素直に受け取れないことがあったりして。なんだかなぁと思う時が時々あります。またSNS上に続けざまに関心のない情報やリンクを貼られているのを続いているとを疲れてしまうことあります。

 

 

ただの関心ごとの違いだよって言いつつも・・・例えば「衣」について。環境に優しいブランドの話を伺って「お〜なるほど、私もちょっと気にかけてみようかな」なんて思っているところに。別の機会でとりあえずご飯はファストフード。「だってさ野菜って高いから買わない。そもそも野菜ってなんでこんなに高いんだろうね〜」なんて何気ない話を聞いたり「なんで割り箸ないんだよ、嫌なんだよねこういうの」

 

ん・・・。「人の手を使って作られたものがいいよ」なんて言ってたのになぁ。環境問題に関心持っててすごいなぁって思っていたけど、ここは全然気にならないんだwってことがあるかもしれません。というか過去に何度かありました。だからと言って、全ての分野で理想とされるものを満たすのはハードルが高いし。そもそも関心のない分野の継続は難しいから。そこから唯一離れることができるのは、これは良いよ。ではなく。これは私が良いと思っているからこうしています。ってことだったり。その人自身の魅力ってやつかなぁと思ったり。

 

 

ってなんの話をしているんだってところなんですけど。どんな時でも自分が何かしら精力的に取り組んでいて、良いことをしているという実感があったとしても似た感覚を持っている人、関心を持っている人からはそう見えているが、それ以外の人たちにはそうは見えていないことは往々にしてあって。私がよく思ってしまう、内輪だけで楽しくやっているように見えてしまうことにもつながるのかなぁと。

 

 

じゃあどうしたらってところで、私には日頃よく聞いている「理解してから理解される」(7つの習慣)ってところしかでてこなくって。あなた方のやっていることに関心を持ちます。持っています。ってところがスタートかなぁと。私の話を聞いてよ、聞いてよでは、いくら人当たりの良い人も閉口してしまうでしょうから。そうして話し上手は聞き上手とかっていいますし。私も受け取り側として意図せずして期待値を勝手にあげてしまうことがよくあって、変に肩透かしにあった気分になったり、がっかりしてしまったり。枚挙に暇がありません。

 

 

 

人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ。

 

鬼平犯科帳 谷中・いろは茶屋

 

 

いつも以上ににまとまっていませんが「外でからみると、そんな感じには見えないのにね〜」なんて話題がちょうどあって、よく働けばギャップとして好意的に捉えられる一方で、反動として「そんな感じの人だったんだ〜」ってなることもあって面白いなぁと感じています。ますます長谷川平蔵さんの懐の深さを感じてしまいます。

 

私の周りでは風邪が流行っております。温かくして体調を崩されませんように。

思いの静かなエネルギー

今週から本年のお仕事がスタートしました。正式には火曜日から。なんとも仕事始めの前日から、私の住む地域では大雪警報がでるくらいに雪がしんしんと降る始末で。仕事をやるぞ〜という気持ちとともに出鼻をくじかれてしまいました。なんともそれがよかったのか、肩の力も程良く抜けて。年末に作業をしていたときのようないつもと変わらない気持ちで良いスタートを切れた気もするのでそれはそれでまたいいかな。

 

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雪からの照り返しにひんやりした風がここちよい。

 

 

さて、年末年始にいつも書いている今年のやりたいことリスト。遅ばせながらチクチクと手帳に書き込んでいます。毎年同じことを言っているのですが。やりたいこと100リストということで。それくらい書いています。私はある著者さんの影響で始めたのですが5年以上は継続できていると思います(遅れてるからできてないのか)やってみたいことはさることながら、ご無沙汰・会いたい人を書き込んだり。小さいことでは捨てるだとか、買うだとか。一人お家の中でニヤニヤしながらペンを走らせています。私の場合は別に100個埋めることができなくても、思いついたら年のどのタイミングでも書き足すようにしています。それくらいの気楽さがあるとストレスなく書けるような気がします。

 

このリスト。近頃は公の場といいますかSNS上で目標やら、やりたいことを宣言をするという人もいて。おお〜やるなぁ〜と遠目でみている自分がいます。やはりいろいろな人の前で宣言するというのは、自分に良い負荷といいますかプレッシャーがかかる部分があって。それで実現しやすくなるとのこと。また、周囲の人の目に入るので目標に対して手助けしてくれる人、一緒にやるよ〜って言ってくれる人など縁に恵まれることがあるかもしれません。

 

 

私も若かりし頃に酔っ払っているときに「俺は◯◯するぞ〜」なんて、偉そうに大口を叩いていたり、お前なぁ人に飲めって言ってる割に飲んでないじゃんかよ。こいつにボトル入れてよ俺が払うから。飲めよこれ。とか。まあ、調子にのっておりまして。いつの間にか今の現在の状況に至っているので不思議なこともあるもんだ〜って。あながち嘘ではないなぁと思うのわけです。

 

 

しかし、やりたいことリストについては別で人には明かすことはありません。絶対に明かさないというわけではありませんが。少なくともその年中には明かしません。単に臆病だからというのもあるかもしれませんが。外に漏らしてしまわないほうが私の場合はいいような気がします。実際に書いてあったことが実現していることも多いですし。何よりも知らぬ間に実現していたってことが多いのです。

 

 

ある人は、人に公にする一方で反対に人に言わないということの静かなエネルギーの強さをあげています。一度言葉にするだけで達成するためのエネルギーが逃げてしまう。人に言いたいけれど言えない。言いたいけれど言えない。これが大きなエネルギーを生むとも言っています。ある意味周囲からのプレッシャーの代わりに、自分の中の自分に言い聞かせるということなので難しそうですけど。

 

 

それができる人は周囲の目は関係ないですし、評価は関係ありません。周囲に言われるから、目が気になるからやろうとは違って、ただただ自分との約束があるだけです。前述した静かなエネルギーというのは、無駄なエネルギーを使わないということも言えるかもしれません。私にはこれをやるぞ〜ってよりか、あら・・・いつのまにか実現してる・・・。方が気持ち的にも楽ですから。(ほんと意気地なしなんです)

 

 

こうしてなんとなく継続はできているのですが、年々書いていると面白いことに無駄な項目が減っていくんですよね。洗練されていくといいますか。前はなんとなく、これも書いちゃえ、あれもかいちゃえって。まあとりあえず書いていたのですけど。今は過去を振り返りながら、あ。これ毎年書いてるけど実現しないなぁ。これは多分書いてもやらないなってものがわかるんですよね。意識が伝わって紙に書かれる前にとまります。

 

 

そういった項目ってなんで実現しないのだろうか〜って思って眺めて理由を考えていると、2つくらい思うところがあって。もしかすると書いている時から「実現しないだろうなぁ」って思いながら書いていたか。もしくは、実は実現しないほうが良かったことかもしれない。って思うことにしています。また実現していたら、現在はどう変わっていただろうかと思うと。今の現在はなかったなぁと思うことはしばしばで。ん〜こんがらがってきますね。

 

 

まあ、グダグダと書いてしまいましたが。結局はほどほどに。頭ではなくて。とにかく手を動かす。そうやって色々と考えないですらすらすら〜っと書かれたものが、自然体で一番実現しやすいのかもしれません。皆さんは今年のやりたいこと。いくつありましたか?