ほどほど絵日記

鍬を置いて、山を降りた人

紅葉と収穫祭とで

ぶどうは収穫が終わり。のんびりした時間が過ぎています。ぼちぼち始まったお仕事は来年に向けての肥料まきの準備をしております。一週間ごとにやってきた台風の影響もあっておうちに籠もる日々が続いておりましたが。ようやくすっきりした秋晴れが広がるようなり。お日様ポカポカ。気持ちの良い秋を感じながら過ごしております。秋の紅葉を楽しむべく、温泉につかってのんびりしたり、お野菜のお世話をしたり。しばらくできなかったことをちゃくちゃくと。ココロとカラダの静養ができています。

 

週のはじめは紅葉に染まった長野のとある温泉街へと足を伸ばしました。台風が本州近くにきていることもあって、雨模様でしたが。清流が流れる脇を黄緑、黄、朱色に染まった木々。その中から湯けむりに混じって硫黄の香りがのぼってきて。それだけでなんだかとってものんびり穏やかな心持ちに。正直にいうと、紅葉が綺麗だなぁ、いいなぁと思うようになったのはここ最近のことで。年を重ねれば重ねるほどに情緒を感じるようです。

 

台風の影響で雨がザーザーだったので最後まで見る事が出来なかったのですが。戸隠神社。その奥社への参道はなんだかとっても神秘的。雨の中霧が立ち込めていて周囲から何かが見ているような気がしてなりません。参道にそって私たち人間の往来をずっと見守ってきたであろう木々がまっすぐ立ち並んでいるのですが、ここまで大きく太くなるのにはどれぐらいの年月を経てきたのだろうかと。それを想像するだけでもなんだか胸が熱くなるようです。

 

もう一度。季節が変わった頃に最後まで歩いてみたいなぁと。また来年もこうしてのんびり過ごしてみたいなって。パートナーと2人で再訪できることを楽しみに祈っています。

 

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さて、いつのまにか11月に入っているようで。年の初めの1月が過ぎても早いですね。4月になってもう四半期が、 6月が過ぎると半期が、夏が終わると一気に年の瀬まで。いつになっても早い早い。これからもっと早い早い。延々と早い早いとついつい口に出してしまいそうな自分が想像できてこわいこわい。

 

 

そうそう昨日は畑でたくさん野菜をとってきて、小さな収穫祭をしたんです。夏の終わりに種まきをした野菜たちがぷくぷく、土の中からこんにちは。大蔵大根、北京紅芯大根、ほうれん草、かぶ、さつまいも、さつまいもの蔓、ごぼう、春菊、パセリともりだくさん。収穫して持ち帰っては、豊作だ〜嬉しいね〜って。幸せな気分になりながらも。やっぱり一度に調理しきれず、食べきれず。テーブルには溢れんばかりのお野菜たちに囲まれ。まさに実りの秋を実感できています。

 

 

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実りの秋。

 

 

実りの秋って言葉はきっと小学校の時に。お米やら、さつまいもやら。学校の行事に収穫祭と称して、全校生徒で自分たちで作ったものを、計画して、調理して、楽しんで作った記憶から定着したように思えて、なんとなく秋に収穫できるものが多いからかなぁと思っておりましたが。ささっと調べてみると。日本人の主食である「お米」の収穫時期が秋であるということからというものだったり、そもそも稲作が始まるより前の人は自然の恵みとしてどんぐりなどの「木の実」が秋に食べることができるからと。様々な説があるようです。

 

 

ぶどうを生業にしている私としては、大いに実感する部分でもあります。ぶどうはまさに秋の果物ですから。20日で収穫できるという二十日大根から、植えてからその年には収穫できないすることができない野菜もあり。それぞれに種を蒔いてからすぐに収穫できるものとそうでないものとあるのです。桃栗三年柿八年と。果樹に至っては待つ時間の方が長いものまで。収穫に至るプロセスが長ければ長いほど、手をかけなければいけないし。収穫できた時の感謝の気持ちもひとしおかなって。

 

 

果樹は新しい苗木を植えてと、一からスタートすると収穫に至るまではとても年月がかかります。だからこそ大変だとか、無理だとかいわれる場面も多いのですけれど。待つことって一種の楽しみととらえたらまた変わってくるんですよね。私の好きな時代小説には長い年月修行に明け暮れてとか、下働きを数年してのちに〜。大店の主人になったとか、剣術の道場の主になるとか。周囲はそれを時に「我慢」と見える事があるけれど。じっと時を待てる事というのは、将来を信じることでもあると思うし。希望の表れでもあると思うのです。

 

三年。八年。何かを成し遂げようとチャレンジすることには腰が引けているのに、ずるずるといつの間にか時を消費している自分がいるようで。なんとも恥ずかしいのですけど。自分はいまどこの時点にいるのか。

 

 

だ種をまくところを探しているのか

もう種を蒔いたのかな

お水をしっかりあげているのかな

ちゃんと成長はしているかな

つぼみはついたかな。

 

・・・・

 

植物の経過をみていくだけでも。自らを省みる材料になっています。少なくとも私は。

 

 

今は様々な分野で技術革新が毎日のように起きていて、それについて追っていくことはわくわくが溢れているようです。じっくり毎日を大切に過ごして、収穫の時を腰を据えて待つのも。それはそれでまた楽しいことなのかもしれません。

 

 

さて。収穫祭で食べたサツマイモやらカボチャやら、ゴボウやら。ぎゅるぎゅる、ごろごろ。どうやらお腹にガスが溜まるようです。風船が膨らむようにぽっこりとお腹が膨らんでは抜けて。膨らんでは抜けてと世話しないので(下世話な話ですみません)恥ずかしくてお外にでれないのですが。これも含めて秋の醍醐味なのかもしれませんよ。