ほどほど "農民" 絵日記

なんかいつの間に農民になっている人

じゃがベター

先週までで、促進剤を撒き終える事ができました。しばらく天候は曇ったり晴れたりの繰り返しですが、確実に暖かさを感じます。お日様がてっぺんに来る頃には、上着はお役御免で、シャツだけで十分な気がします。それはそうと、久々に葡萄棚の上の方をみながら、常時首を横に倒しながら仕事をしていたので、肩と首がパンパンなんです。この時ばかりはもうちょっと自分の背が低かったら楽なのになぁと思うくらいに。とりあえずいつも思う事は、身長が高い人は棚仕立ての葡萄にはむきませんよって話で。うん。

 

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 種いもカット。

 

さて、最近は仕事終わりと週末は畑仕事に精を出しています。普段は葡萄を見上げていて、アフターと週末は畑で土を触っていると。なんとも理想的な半農半農で結局、農をやっているという事で理想的な積極的休養です。今ハマっているのはジャガイモ。新しい畑への定植作業を進めています。植える数は多分100個前後くらいになりそうです。

 

 

水が近くにないので、手間のないジャガイモのが正解。使っているのは100均のシャベルと、鍬で。一時間弱で畝溝が一本できるくらい。鍬で2往復くらいしながら掘り起こして、その後にシャベルで土をすくい上げる作業の繰り返しです。数10分くらい鍬を振り下ろしたり、あげたりしているだけで、もう腕がパンパン。その度に休憩して、再開してってそんな感じで。

 

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畝が大変。

 

いやぁ、はじめはちょっと広い畑を借りすぎたのかなぁと、パンパンに張った腕をさすりながら思ったものですけど。自分で借りるって言い出したのだし。せっかくのいい機会だからと自分に言い聞かせては、鍬をもう一度拾い上げて振り上げていきます。一日目は100均のシャベルを使っていたのですけど。全然土をすくうことができなかったのです。もう腕が疲れてくるとなかなか効率もあがらなくて最後の方は閉口してしてしまいました。

 

 

今日は畑にいく途中にコメリさんによって、たくさん土をすくうことができる片手のスコップを買ってきました。これがまあ前のシャベルに比べて4倍くらい土を書き出せると。なんではじめからこれを使わなかったんだろうかっていうくらい。でもこれもやっぱり、はじめに非効率な事をやっていた経験が前日にあるから余計にありがたく感じる。小さな違いだけれど、こんな発明した人はすごいなぁとも思うわけで。とっても感激。

 

 

それでも鍬を振る作業だけは変えようがなく。私の細い腕を酷使しながらやっていくわけですが、これまた不思議で、何度も繰り替えてしていくと、無駄な力が抜けていって(というか力が入らない)、効率も上がっていく。コツがわかってくる、負担が減ってくる。みたいに経験値が溜まっていくんですよねぇ。面白い。そんな事にもなんだかありがたみを感じながらやっていったら、結構作業は進んで。今日までで畝は6本まで。そのうち3本にアンデスメークインを植えて作業を終える事にしました。

 

 

新しいスコップを購入してすごい〜って私が言っているわけですから、現代はいろいろな便利な農機械やら、よく分からないですけどITだかIoTとかあるから効率的な生産が来ますとか、それによってみんなハッピーだし、労働力不足が解消されるとか。そんな風な話を目にしたり、聞いたりする事が多々あります。まあなんとも良い時代なんでしょうって。

 

実際に一人、人力に頼って畑仕事をしているから思う部分ですが、機械とかなかった昔の人たちはなんともすごい働き方をしていたんだなぁと思います。私が好きで見ていた絵時代劇とかみていても、農民の人はとりあえず質素で小汚く見える衣装を着ていますし。劇中の主人公が宿場町から宿場町への移動するときの背景にはだだっ広い畑があって、ぽつんぽつんとくわを振り下ろしている人がいたりしますから。今見たら、こんな広い畑なんてできないよなぁとw 天候に左右されるのもそうだし(今でもそうですが)種だって自分たちで収穫した中から来年の分を蓄えていたようですし。

 

「中国での一人っ子政策に隠れて、農村地帯では〜・・・」

 

なんて話もあるように、生きるためには労働力が欠かせなかったのだと思うと。今はいい時代なのだろうし、先人たちがそこから少しでも生活が楽になるようにと、たくさんたくさん工夫をして、働いて、努力をして。そして想像してきた世界が今なのでしょうね。

 

 

とっても便利で、幸せな世界。

 

 

でも、全然そうは見えないんですよね。世の中が。農業だけをとっても、昔に比べて本当に楽になったり、生産量が上がったりしてとってもいい部分が盛り沢山なんだろうけれど。農業についてはなんだかイメージが大変だとかっていうのがほどんどでしょうし、やたらと大規模で〜法人で〜、新規参入しないとダメだとか色々意見がたくさんあるのに進んでいくスピードって遅いんですよねぇ。またそういうと、昔ながらの慣習があるからとか、閉塞的だとかではじめるんですけど。結局知らない人がそんな事を言ってるだけなんですよね。単に面倒臭いことはやりたくないから。

 

 

世の中はいつのまにか面倒臭いし大変なことだらけになってしまったように映ります。何をやるにも面倒臭い。本当に面倒くさくて、誰もやらなくなっていくものって価格って上がっていくとかおもったり。どんどん規制が厳しくなって、消費者の都合に合わせていく。そうしてよく分からないままに、手間ばかりが増えていって、結果それが返ってきているように見えるんですよね。

 

 

格差がどうとか言っているけれど。知らぬ間に面倒臭いことから解放されている時点で下にはいないんですよ。だってすっごく守られている「消費者」なんですから。程度は様々でも。「消費者」側の都合なんじゃないかって思うんですよね。今のもっている便益を誰しもが手放したくないから。便益はそのままで負担はさけたい。だってとにかくみんなみんな大変だっていうんですよ。「大変だ」って。

 

 

と、鍬を振っているだけで。こんないろいろな事を知る事ができるので。いい運動になって、健康にもいいから、みんなで野菜を作りましょう!

 

 

というようにはならないのでしょうけどw

 

 

ジャガイモを植えているときに、小学校の時の全校生徒のグループ活動のときに、さつまいもを植えた事がふと浮かんできました。さつまいもの苗を植え付けるために、畝をたてたり、苗を等間隔で配置をしたりしていた楽しい思い出が。お膳立てをして、低学年の子に「苗はねこうやってうえるんだよ」って一丁前に、教えていたりとか。秋には収穫祭があって、一斗缶くらいの大きさの窯に、収穫したさつまいもを濡れた新聞紙で包んだ上に、アルミホイルを巻いて。みんなで焼き芋をするのが恒例行事だったのですよねぇ。

 

 

あの時はものすごく楽しかったし、全然大変なイメージはなかったのですけど。あの時の華美に装飾していたイメージが強いからか、おかしいなぁ。こんなに大変な作業だったんだっけ?と繰り返しなかなか進まない畝作りを目の前にして息を切らせていました。多分小学校の時。低学年の子をお膳立てしていたように、私たちは先生にお膳立てをしてもらってたんでしょうね。先生も大変だったろうなぁ畝作り。ただただ頭がさがります。

 

 

初夏にはこっそり小さな収穫祭で、小さく騒げればいいなぁ。