ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

思い出してみる

昨日の話。朝起きてカーテンを開けると、表一面が真っ白。予想どうりの雪模様で。朝からおうちにお籠り状態でした。まだ今年はスタッドレスに変えていないので。雪降る前にとガソリンスタンドやらスーパーやらと。買い出しに行っておいて正解だったようです。灯油を買いに行ったスタンドにはタイヤ交換をされている方が1台、2台、3台と次から次へと訪れているようでした。

 

 

ここしばらくは自分を探る旅に出ていて、少しずつですが自分を思い出してきています。いつもだと一人で本を読んでは物思いにふけっていることが多いのですが、ありがたいことにゲストがきたり、私が出向いたりする機会が続きまして、いろいろな人に話を聞いてもらったり、問いかけをしたりしてさらに深まってきました。思い出せば思い出すほどに、全然自分って変わっていないんですよね。だいぶ小さい頃から。それが良い、悪いではないのだけれど。

 

 

ちょっと前までは何かしらの診断を受けたりテストを受けたりして「ああ、そうなのね」と、ますます自分を知ったような気になっていたり。周囲の人にもワークを通じてやってもらったり。そんなことをしていたのですが。それでもまだまだ表面的な部分しかしらなかったようで。もう少しだけ深い部分がわかりかけています。

 

そうするとどうでしょうか。少し前まではマイナスに思えていた部分も、よく思えてくるというか。しっくりはまってくるというのでしょうか。

 

「これが自分なんだな」

 

ということに確信持てるようになってきました。だからといって必ず「これが自分です」という、こうであるべきとか、こうでなければならない。ということでもなく「これが自分なんだな」と思い描いた時に、否定の感情はなくなり、すこ〜しだけ肯定の感情が湧くといいますか、湧かないといいますか。結局なんなんだよってことなんですが、そんな感じなんです。はい。

 

 

さて、今日は久々に朝から畑に降り立つと、畑一面真っ白なのはもちろんなのですが。葡萄棚の上にも雪がたっぷりと。私の住んでいる地域より、ぶどう畑のある地域はより標高の高いこともあり、足が埋まるくらいに積もっていたそうで。休み前に仕事をしていたすもも畑は15cm〜20cmにも。さすがにやめようという話となりまして。仕方なく標高の低い別の畑の簡易剪定をすることなりました。朝は雪に埋もれ、とっても足が冷たいし、風も冷たいし厳しい感じでしたが(お肉がないので)太陽が高くなるにつれて、とてもポカポカ陽気で楽しく仕事をすることができました。

 

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 ポカポカ陽気も、お正月くらいの陽気だって。

 

今日は久々に仕事だったということで、スローペースで仕事をしながら話をしていたのですが。雪が積もったこともあって「あっという間に秋が過ぎてしまったね」なんて話をしては「寒いねぇ、寒いよねぇ」と返していたのですが。なんだかちょっとひっかかるのですよね。確かに言った通り秋は短いようにも思えるけれど。本当に秋って短いのでしょうか。短くなってしまったのでしょうか。

 


気象学だと ・・・・  9月〜11月

二十四節気だと ・・・ 8月6日〜11月6日 (立秋立冬

天文学だと ・・・・・ 秋分冬至

 

 

なんてことがちゃちゃっと調べるとあるわけです。私が思っている感覚とはちょっと違っていて、毎回調べるたびに、ん〜なんか違うなぁと思います。しかしなんでしょうか、それ以上によくわからないイベントの前倒しによってどんどん季節を味わうことができなくなっているのではないでしょうか。

 

今に始まったことではないのですが、直近の話で行きますと。

 

9月から始まるハロウィンから、終わった次の日からのクリスマスからの、お正月のコンボでしょうか。もしかするとイベントに興味がないことや、あまり好きではないって個人的なバイアスがあるのかもしれませんけど。なんか店頭でそういった飾りでも雰囲気を出されてしまうと、気持ちはそちらに向かっている。いや向かわされてしまって。イベントを通じてでしか季節を感じていない方もいるのかなぁと。季節って急にそこから変わるわけではないのに、イベントが終わるとスパって気持ちが切り替わってしまうようにも。

 

 

 

ありがたいことに、私は自然の中、畑で働いているおかげで仕事であるぶどうからはもちろん、野菜畑から、身近な植物から、周囲の山々から目、鼻、耳などから季節を感じることができますし。また、毎日料理をするので、自分で栽培したものから、スーパーの野菜や魚などを買って、おうちで調理をして食べるという流れからも季節感を味わうことができます。野菜を作っていると初収穫したものは「走り」だし、たくさん取れるようになると「旬」ですし、収量が落ちてくると「名残」を感じます(正式にはちがうのでしょうけど)

 

 

私は「自然の中に自分が存在していること」をここ数年で思い出したようなので、気取って言ってみれば「季節の中に自分が存在している」とも言えるかもしれません。なんと幸せなことでしょう。って思ってしまいます。

 

 

と、いろいろと書き連ねていますけど。結局のところ、一番の指標って暑い、寒いという「肌感覚」のようにも感じてしまって。寒いなぁって思ったらもう私は冬気分です。あしからず。

 

 

 

季節という枠の話をしているけれど、結局は目の前ではいろいろなことが起きているわけで。それって見て感じとろうとすれば、拾い上げられないほど受け取ることができるのに、多くの人が「一年はあっという間だよ」ということをそろそろ言い始めるわけですが(私はすでに言ってしまったかも)あっという間だからこそ、もう少し毎日を大切にしてほしい。大切にという言葉がいやらしく聞こえるなら、朝起きて窓を開けたときに、家を出るときでも、通勤中にでも。すこし深めに空気を吸い込んで、周囲の見渡してみてください。それだけでも忘れていた感覚を思い出させてくれるはずです。