ほどほど "農民" 絵日記

なんかいつの間に農民になっている人

良きなかの悪の芽

今シーズンのぶどうの収穫が終わり、しばらくゆったり過ごしていましたが。先週から来シーズンに向けて、ゆっくりと動き出しました。年内には棚のメンテナンス、 藁巻き、肥料撒きやらと。雪が降る前にやっておきたい。というか、寒い時期にはちと辛い作業を順番にこなしていきます。昼夜の気温差もだいぶでてきているのであっという間に秋が終わり、冬を迎えてしまうのだろうなぁと・・・。なんともガリガリ君な私には厳しい季節がまたやってきます。冬は嫌いじゃないよ。

 

そんな中、先週末は北杜市までお出かけ。秋の紅葉を楽しむために・・・と言いたいところですが。今回は前述の作業につかう「藁」を引き取りにいきました。毎年この時期になると、師匠の知人に頼んで手配をしていただくそうですが。今年は例年の倍の量をたのんであるということで、トラック2台を空にして、一緒に出向くことになりました。

 

 

出向いた先は小淵沢駅周辺の集落で、南アルプスが目の前に。後ろを振り向けば八ヶ岳。というようななんとも素晴らしい景観の場所で。見渡す限り延々と田んぼが広がっていました。田んぼはすでに稲の刈り取りを終え、水は抜かれ、脱穀が済んだ後。その脱穀を終えたあとの藁が、等間隔に田んぼに並んでいます。その藁をトラックに積む込むのがメインの作業です。

 

 

トラックを田んぼへ乗り入れていざスタート。藁を5、6束を拾い集めては、両手いっぱいに抱えながらトラックへ行ったり来たり。その作業がえんえんと2時間近く続きました。いつもぶどう畑で作業しているので全然大丈夫だよって、元気良く運んでいたのですが。まあ疲れる疲れる。やはりつかう体の部分が違うので、作業中も体が重く。お家に帰るとなんとも全身が筋肉痛でした。特に腰。負担が大きいようです。

 

 

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田んぼに足を踏み入れたのは小学校以来・・・か。

 

そんななって疲労感はあるとはいっても、少しばかし暑く感じる日差しに吹く抜けていく気持ちのよい風。汗をかいているのですが、それもすぐに引いていく感じでなんともよい日和でした。ああ、こういところで、お米と野菜を過ごしながらのんびり生活していくのもいいなぁと、なんともステレオタイプな私はそう思い。ふとこう話しかけました。

 

 

「とてもいいところに住んでいますね〜」

 

って。そうすると。

 

「今の時期はいいのだけれどね。これから寒くなってくるでしょう。そうすると、山から北風が吹き下ろしてきて、冷たい風の吹き溜まりになって厳しいものだよ」

 

「ああ・・・、そうなんですね」

 

 

と。いい部分しか見えていなかった私ですが、そういわれるどれだけ寒いのだろうか、やっぱり雪も結構積もるのかなぁと・・・想像が膨らんでしまって、興味が尽きることがありませんでした。私の地元では雪なんかめったに降らないというか、数十年に一度くらいしか降らないというか、そもそも風花が舞うだけでピーピーギャーギャー騒いじゃう感じなので。つい数年前に私が山梨にきた時でも、冬のことを想像しては戦々恐々といていたのがつい最近のことですから。そう考えると、やはり静岡は温暖で過ごしやすい地域だなぁと今更ながらに。

 

 

 さて、今日は1日お家にこもって作業をしておりました。妹夫妻から依頼されていた印刷物はすべて手配が終わり、ずっと編集しては、再生してと繰り返し直していたムービーも形になってパッケージング。ようやく一息つくことができました。前にムービーを製作している時も全然やったことなくて、手探り状態で本屋さんにいったり、ネットで調べたりと。本当に私にできるのかしら?ってところからスタートしているのですが、もう数えていくと5回くらい編集とかしていて慣れたものになっています。いつになったら自分のやつを作るのだろうかとか思うけれど。きっとそれまでにもう何回か他のをやるのだろうと想像してしまっているので。そうなりそうです。

 

 

 

sasariki.hatenablog.com

 

 

 

 

こうして作業ばかりしているので、先日友人に「頼まれごとをするのはいいけどさ〜」とチクリといわれてしまいました。(ごめんなさい)しかし、こうして何かしら人の役に立てていることはやっぱり嬉しいことですし。何かを頼まれるということは、その能力が自分のなかにあるんだと思うんです。もしその時にその能力がなくても、その依頼を通じてできるようになるかもしれませんし。それが他のことへの誘い水になるやもしれません。いまここ。

 

 

ということで、片手にペンとマウスを持ち替えながらデスクに向かっていたのですが。たっぷりと時間があるので、先日入手した新しいオーディオブックをお耳のお供にしながら作業をしようと思い立ち、朝からずっと聞き流していました。

 

 

 

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菜根譚

 

 

なんどか聞いたことのあったりなかったり。もしやすると誰かが勧めてくれていたかもしれないなぁと。初めは日本の経営者の方々がやれ「論語算盤」だって。やれ「渋沢栄一さん」だって。そうお話ししているのを聞いて興味を持ち始め。孔子論語を繰り返しずっと聞くようになって、そこから中国古典に親しむようになってくると、その中国古典の成り立ちがわかってくる。中国三千年の歴史って、よくわからないキラーフレーズに慣れてしまった私には。中国の中で独自に発展して行ったのだとばかり思っていたけれど、その時々の王朝、時代によって仏教が流行ってきたり、禅が幅を占めるときもあったりといろいろな学問や宗教の影響が入ってきて、いろいろな考えを取り入れていったと、新たな発見があります。

 

 

 

聞き流しているなか「おっ」これはという箇所があったので少しだけ。

 

 

 

悪をなして人に知られんことを畏るるは、

悪中にもなお善路有り。

善をなして人に知られんことを急ぐは、

善処もすなわちこれ悪根なり。

 

「善行のなかに悪の芽」


かりに悪事をはたらいても、人に知られることを恐れているなら、まだ見所がある。


せっかく善行を積んでも、早く人に知られたいと願うようでは、すでに悪の芽を宿している。

 

*1

 

 

ちょうど今の自分の境遇と重なっているような感じがして。ブログでも知られるように?書いているようにみえますし。何度か聞き直してしまいました。

 

せっかく善行を積んでも、早く人に知られたいと願うようでは、すでに悪の芽を宿している。

 

この一文にはなにか気づかされるものがありました。初めからそう期待しているのでは、初めから偽善になってしまうとも。

 

「自分は良いことした」

 

と率直に感じる事柄であればあるほどに、密かにそれが人に伝わって自分の印象に帰ってこないかなぁと。やっぱり思っているなぁって。ようは

 

「いいことをするのはよく思われたいから」

 

その感情を弱めようとしても、心のどこかにいつも残っています。だからといっていい悪いの話ではないですが。

 

しかし私は昔から自分がやったこと、結果や実績についてはあまり話をしません。それは恥ずかしいから、前職のパッケージデザインをしている時も「◯◯君が作ったやつ見せてよ〜」と友人にいわれてもひけらかして見せることができませんでしたし。多分別の理由で、自己肯定感のなさなどからきているものだなぁと今は振り返ることができます。

 

少し話が逸れました。

 

 

なんだか最近の事件やらスキャンダルやらに「正しそうな」意見を書き始めてしまうと。悪の芽はもう育っているんでしょうか。何かしら周囲が認めてくれたことを、さらに表に出すようにするのもそうなのだろうか。いろいろ浮かんでは消えていきますが、そんな肝の小さな私には悪の芽が育つような栄養が乏しそうなので、大丈夫にも思えてきました。

 

 

悪の芽が育っていないか。これを自分に問いかけることはものすごく重く鋭い質問ではありますが、自らを戒めるにはとても効果がありそうです。

 

 

悪の芽。

 

あなたの心には宿っていませんか?

*1:

 

[決定版]菜根譚

[決定版]菜根譚