ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

丁寧にかきなさい

いよいよ葡萄の収穫も終わりが見えてきました。あっという間に怒涛の9月はいつの間にか過ぎていて、この時期にはいつも以上に聞いているはずのEW&FのSeptember*1

を肝心の9月に聴くのを忘れていたのを今思い出しました(実際は9月の曲ではないのだけれど)

 

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朝はもやもや。

 

明日は出荷場の都合でお休みになるので。のんびりといいたいところですが。ありがたいことに頼まれごとがあるので、一日そちらに取り組むことになりそうです。

 

 

 

最近はその他にも頼まれごとが増えてきまして。自分の無理のない範囲で依頼を受けさせていただいています。今は妹の結婚式の準備でてんやわんやですが。不思議なもので昼間は畑に出て、夜に少しだけデスクに向かって書いたり、パソコン触ってしているのがちょうどいい感じで。昼間は頭のなかでひらめきがあって。お家に帰って来たら頭から取り出して形にしてみる。いい感じのループに入っています。

 

 

 

と、順風満帆のようにかいておりますが。実際のところは畑から帰ってくると。家事、炊事、洗濯を終えると睡魔がいい感じにやってきて。なんども挑んでいるのですが勝てた試しがありません。九時前後には眠気のピークがくるので、使い物にならなくなります。なので。できることが限られてくるので。「今日はこれだけはやろう!」という思考が働いて。それが達成できたら万々歳。それが数行の文字を打ち込むことであっても、少しだけラフ、落書きをした。そんなことだったとしても。できた事にしてしまいます。

 

 

そうなるとどうでしょうか。はじめはちょっとしか進まないのですけど。余裕が生まれてくるんです。「もうちょっと進められそうだ」って。そうしたときにはそのまま継続してやることにします。そうすると。おお〜今日は結構進んだぞってなるんです。これを慣れと読んでいいのかわかりませんが。

 

 

結局これって、自分に嫌な体験をさせないってことだと思うのです。そんな自分を甘やかしてどうするっていわれそうだし、そんなにうまくいくわけ無いだろうって聞こえてきそうですが。

 

無理をする ≠ 嫌なことをする

 

これは同義語ではないと思うのです。また。

 

大変 ≠ 辛い

 

にも見ることができるかなぁとも。

 

そうそう。そういえば、むかし小学校のときの書き方(習字)の授業での先生と同級生のやりとりを思い出しました。

 

同 : 先生〜、赤で直されても、俺は字が下手だからうまく書けません。

 

先 : うまく書けなくてもいいから「丁寧」に書いてきなさい。

 

同 : そういわれてもきれいに書けません。

 

先 : きれいじゃなくて「丁寧」に書けばいいんです。

    字がうまく書けなくてもね。丁寧に書いているかどうかはわかりますよ。

 

 

うまい・きれい ≠ 丁寧

 

 

これってすごく的を得ている話だと、今更ながら思うわけです。書いている人がどれだけ真剣なのか。心を込めて書いているか。表面上をつくろうだけ・真似することだけでは伝わらない何かがあるんだよと。勝手に深読みをしています。

 

 

この例がどれだけ前につながっているかはわかりませんけど。何事も自分に有利に働くようにしてしまえばいいんじゃないかって話。どんなことでもちょっとだけ見る角度でも、捉え方でも言い方はなんでもいいので。自分に都合よく解釈してみる。そうすると気持ちも楽だし。なによりも余裕がうまれてくると思いました。

 

 

 

 

 

今更ですが、前職は一応デザイナーの肩書をもって働いていたので。なんとなくデザインができたりします(現職の方には怒られそうなレベルかもですが)

 

 

数年前にデザイナーとして雇って頂いていて、それでスキルが身についた上に、生活をさせて頂いていたのでなんともありがたいことだと。ようやく感じるようになった私なのですが。当時はまだまだ若く浅はかな考えばかりで、全然わかりませんでした。しまいには「やらされ感」をもって仕事をしていた部分が0ではなかったなぁと。そんなんだから、クライアントさんの意向を汲み取れていないし、汲み取ろうとすることも少なかったなぁと。謝る事柄しか出てこない。

 

 

その「やらされ感」っていうのがとても厄介なやつでして当時はよく苦しめられました。「そんなのできないよ」って思考が生まれてくるんです。これって一種の反発だと私は思っていて。これが続いていくと本当はできるはずの事柄なのにできないように錯覚しちゃう。難易度も高くしちゃう。言い換えるとするならば「できない理由をたくさんみつけちゃう」ってことに。そうして良い結果、望んだ結果が得られなかったときに「ほら。やっぱりできなかった」と自分を納得させるようになると。

 

 

そんな悪循環だったのですけど。そこから離れてみて。とりあえずできる範囲でデザインとかやったりすると。いつの間にか身についているものに気づいてきて、ああ。あれもできるね。これもできるね。嬉しいね。って意外と俺はできるかもしれないぞ!ってなるんです。

 

 

まあ、ぶどう栽培も始めのころは半分くらい。実際にやってみて。無理だったら地元に逃げ帰ろうって思っていて。「俺はチャレンジしてみたけどだめだったんだ!」という実績を作って逃げ帰ろうとばかり思っていたのに。いつの間にか3シーズン目になっているわけですから。面白いですよね。

 

 

 

できることを無理せずに始める。

 

 

言い古されているかもだけれど。効用は思う以上に大きなうねりとチカラを運んできそうです。

 

 

さて。私も時間がもうすぐできそうなので。その前に次は何をしようかって。横になりつつ、ニヤニヤしながら想像したいとおもいます。