ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

不便な人差し指を眺めては

久しぶりに包丁で手を切りました。この前切ったのは2年以上前だったような。やっぱり切ると痛いですね。それも今回は人差し指。絆創膏が巻いてあるだけでとっても不便です。こうしてキーボードを打っている時でさえ違和感があります。まあ包丁の扱いが悪かったのもそうなのですが今回は色々状況が重なってしまって。

 

 

ちょうど空芯菜の下ごしらえ中にドアベルがなったのです。ガスコンロは二口空いているし、玄関周りは今日収穫した野菜が散らばっていて。おうおうこのタイミングでくるかねって。そうして手元から目を離したところでスパッと。しかもその時はパンツ一丁の姿だったので。そうして指を口にくわえたまま、タンクトップとズボンを履いて出迎えました。

 

誰かといえば、市の職員さんが建物の点検らしく。ぱしゃぱしゃと写真をとっておかえりになりました。

 

 

この時の私の心がどう反応したか。なんか我ながらまだまだだなぁと思ったり。

やっぱりただの人間だなぁと。

 

 

チャイムがなります。

そしてすぐに指を切る。

「イテッ」

 

 

そのあとすぐ

「タイミング悪いなぁ、なんでこのタイミングでくるんだよ」

 

2回目のチャイムがなる

「あんたたちのせいで指を切ってしまったじゃないか、あせらせるなよ」

 

扉をあける。

部屋の点検をさせてくださいって。

そして点検が終わる「なにか不備な点はありますか」って

 

少しきになる点があるので、確認をお願いする。

 

「ご協力ありがとうございました」

 

「いえいえ、お手数をおかけしました」

 

職員さんも仕事だもんなぁ。怪訝な顔をしながら対応してしてしまった。

丁寧に対応をしてくれたのに申し訳無かったなぁ。やいやい。

 

とまあこんな感じの流れ。

 

 

指を切ったのは誰のせいかって。私のせい。

タイミングが悪い時を狙ってきているわけではない。

自分も反応がなければ2回目のチャイムをならすはず。

・・・

 

 

正直にいうと、2回目のチャイムが今回の怒りのピーク。市の職員さんが帰られてすぐに「手を切ったのを人のせいにしている」と怒りの原因がわかったので、すぐに怒りから解放されて、これも一種の学びだなぁと思えるわけです。なにか悪いと思われることが起きた時には完全に「他責の人」になっています。普段私は色々な人におせっかいながらも、それっぽいことを話しをしているけれど、おせっかいできる人間ではないなぁと反省モードに移行します。

 

 

そこからはここ最近の出来事の回想が始まって。上から目線で話をしていたかもしれないとか。価値観を押し付けていないか。ひとつの出来事から自らを振り返ることができるのです。

 

口が達者なのをいいことに、友人が話しをしているのに話を折って私の話をしてしまったり。普段ぶどうの仕事をしている際、師匠から「こうしなさい」「こうしたほうがいいよ」などとアドバイスなどを頂くことに対しても「そんなことはわかっているよ」と、何かと言い訳がましいことを言っている自分に気がつきます。なんとも情けないやら。

 

 

 

宰予の昼寝 公冶長篇

 

宰予、昼寝ぬ。子曰わく、朽木は雕るべからず、糞土の牆は朽るべからず。予に於てか何ぞ誅めん。子曰わく、始め吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。今吾人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る。予に於てか是改む

 

論語物語より

 

詳細は勝手に調べてみていただければ。

 

 

誤って改むるに躊躇してはならぬ。過ちは一時のことじゃ。しかし、誤って改めなければそれこそ救い難い過ちで、生涯を誤り通すことになってしまう。

 

何を言っても口先で人を言いくるめようとする心だけはよろしくない。

 

良い人を見たら見習えばいいし、悪い人をみたら自らを省みればいい。

憎んではならぬ、蔑んではならぬ、ただ銘々に自分を省みればそれでいいのじゃ。

 

 

このエピソードは特に耳に残っています。まったくもって言い得て妙な。

 

普段私たちは

 

良い人をみては、「あいつは◯◯だからできるんだよ」

 

悪い人をみては、「こうしないと。ああしないからだ」

 

特に最近ではネット上で誰でも自らの意思を表現することが簡単になりました。そこでは個々人の主観に立って多くの意見が散見されます。果たしてその中に自らを省みている人はどれくらいいるのでしょうか(もちろん私も含めて)

 

相手の立場になって考えられる人は、まずはどんなことでも、起こったことに対し「自分ごと」として考えることができる人なのかなぁと。なんとなくそんな答えが。

 

 

と、それっぽく。

 

 

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見逃していたゴーヤが半分黄色になってた。

 

ぶどうの収穫は来週の頭から本格稼働です。その前に朝から野菜畑を綺麗にしてきました。春に植えた苗も収穫を終えつつあり、半分以上を切ったり抜いたりして、秋に向けて耕す。もうこんなにいらないよと言っていた野菜たちも収穫量が減ってくるとなんだか寂しくもあり、「食べきれないよ」って言っている時にはわからなかった「ありがたみ」がひしひしと湧いてきます。これも満たされている時には気づけないことですね。感謝をしながら、今日も明日も明後日も採りすぎた空芯菜と向き合いたいと思います。

 

 

そうそう。炒めるだけでとってもおいしいんんですよ。空芯菜