ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

山の日の山

今年のお盆休みとはいつからいつまでのことをいうのでしょうか。毎年カレンダーとは縁のない生活をしておるので、祝日や連休という概念が飛んでしまっています。今年は山の日?なんの日?ということで新たな祝日ができたそうで。長くお休みとなる方も多いのではないでしょうか。私くは今シーズンのすももの収穫がおわり、ぶどうの収穫まで束の間のお休みの運びとなっています。昨年のこの時期にはちょっとばかし遠くへ駆け回っていたものですが、自分の野菜畑がちょうど収穫がピークのものがあったりして。せっかく手間をかけて育ててきたのに数日離れるのはちょっと気がひけるなあとか思っていて。特に予定は立てず。おばばちゃんのお墓詣りのために地元に帰るくらいになりそうです。

 

 

 

さて。そんなすももの収穫が峠に差し掛かる頃合いに、ある方からお誘いをいただいておりました。その時にはすももの収穫がどうなるかわからなかったのですが。ちょうどすももの収穫が終わるタイミングがぴったり合いまして。参加できる運びとなりました。またまたこれも引き寄せというべきか。お誘いが来た時にはほどんど参加できるようになってしまうという。

 

 

【8月10日-11日開催:山の日企画】1,928m山頂「鉢伏山荘」貸切でピアノライブ、翌朝は日の出を!

 

 

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 お世話になった鉢伏山

 

今回はイベントといっても。ゆったりするための企画でした。

 

夜はのんびり語らい歌声に酔いしれ、朝はゆったりヨガでカラダをほぐし、お昼前にはここちよい空気とともに山へ繰り出す。

 

とても楽しいひと時でした。本当に参加して良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って。本当に前述の通りだったのですが。いくつか通じて自分が感じたことやら云々を残しておきます。

 

 

鉢伏山(はちぶせやま)位置の詳細はわかりませんが、塩尻岡谷市の間に位置しています。少しばかし調べてみると「鉢が伏せているような姿」に見えることからその名で呼ばれているようで、日本の他の地域でも同名の山があるそうですよ。

 

鉢伏山 (筑摩山地) - Wikipedia

 

山登り?トレッキング?正直に言うと私には縁のない話で。かつて山登りをした記憶があるのは片手の指で折り足りてしまうほどに少なく。小学校の時の富士山の五合目?から登ったこと。薩埵峠を六年生の時に歩いて超えたことがあって。

 

 

「食べ物を食べる時は歩きながら食べるのはいけません。座って食べるように」

 

と旅のしおりにも、出発前にも言われていて。それを覚えていたので、帰りの電車のホームのベンチで棒飴を口に含んでいて、それが食べ切らぬうちに電車に乗り。座る席がなく。しかたなしに立っていたらところ。

 

 

 

帰りの電車の中での隣の組の先生にばったりと、つねられながら途中の駅で降ろされ

 

「あなたたちわかっているの!?もう卒業するんですよ」

「どうするの。こんなんじゃ卒業できないよ」

 

と畳み掛けるように矢継ぎ早に怒られて、当時の班の班長だった私は。

特に厳しく怒られまして。これはなんとかしなくては・・・と。

ん〜。どうしたものか・・・。と。

 

「すいませんでした。なんとか卒業するまでに取り戻すんで」

「班長の自分が注意できませんでした。」

 

と頭をフル回転させながら、またよくわからないことを言いながら、なんとか電車に乗せてもらい。学校に着いた瞬間に班の男子が皆が愛のビンタをいただきまして。

 

ようやく許していただいたのですが、当時は納得いかないこともあるもんだと思っていたものの、どうやらそれは子供の時も大人になっても変わらないんですね。

 

 

 

・・・って話がとってもとってもそれました。

 

 

正直山を歩くということって何が面白いんだろうかと思う節が私にはありました。友人がいつも山のpicをInstagramとかであげているのをみて「おお〜また登っているなぁ」って感じ。小学校の時は周囲を見渡しながら、景色を楽しみながら歩くということまでに気持ちが向かわず、登りきったという達成感があるくらいでした。先生に言われるのも「よく頑張ったな」「よくここまで登りきった!」という褒め言葉をもらっていたんです。そこには登りきったという結果があり、それを達成できたということで。それが良いことのように見えていたのでしょうね。

 

しかしどうでしょう。ちょっとだけ山の頂上付近を歩いた「にわか登り」だけでしたが「なんて山を歩くことは楽しいのだろうか」という気持ちにくるっと反転してしまいました。皆で話をしながら、景色を楽しみながらゆったりのんびりあるいていく。空気がうまいというのはもちろんあるのですが、太陽が近く感じるし、雲が自分の下にあって、周囲を見渡すといつも自分より上にあるものがすべて下にある。普段見えないものがすべて見渡せる。頂上についても達成感というよりも。ただただ壮観で綺麗だなぁと。何事も体験してみないとわからないものです。

 

 

 

道中を楽しむと言葉がありますが。まさに昨日はその心境だったのでしょう。頂上しか見えていない人には道中のことは見えていません。鳥の声が聞こえる。雲が流れている。虫が花の周りに飛んでいる。みたことのない植物がある、道がゴツゴツしている。過程がどうとか、結果がどうとかそんなのどうでもよくって。道中を楽しむことには周囲にすべてに意識が向かっている。いや、起こっていることをすべて受けているというのでしょうか。不思議な感覚に浸っていました。

 

 

また山の上に立たないと見えないものがあって。普段遠くに見えているきれいな形の山は近くに寄れが岩肌が見えていたりして荒々しさを感じるし。長野に向かう途中でとおる諏訪湖は小さくて周囲の山に抱かれているようにも見えます。今回はちゃんと見えなかったのですが、富士山もきっと静岡からでも、山梨からでもない表情を見せてくれたに違いありません。視野を広げなさいとはよく言われることですが。どうしてなかなかこれが難しい。しかし、ゆったり楽しく山を練りあるくだけで普段見えないものが自然と見えてきて、いつのまにか視野が広がっていた・・・なんてこともあるかもしれませんよ。

 

 

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同じ位置から。見えるのは山荘の窓から漏れる明かりだけ。

 

少しだけ夜、表にでて寒さに縮こまりながら星をみていたのですが。言葉にならないくらい綺麗ですし。なんか宇宙からエネルギーが降り注いでいるような。一体化したような。この話はあんまり深く話をしすぎると長くなりそうなのでここではやめておきますが、えもいわれぬ感覚でした。これも最近読んでいる本の影響もあるのでしょうけど。

 

 

夜はテーブルを囲みつつ、それぞれの自由にピアノライブを楽しみました。

 

ayanishikimi.wixsite.com

 

錦見綾さん。普段はほのぼのしたように見えていたのですが。歌い始めると芯があってとても力強く。それでいて哀愁を感じるかのような。私の表現では表しきれないので、よければHPに行って歌声に浸ってみていただければ。

 

http://あかり.net

 

シンガーソングライターでもありつつも、古民家の再生の活動を前に立って行っているとのことで。そのお話も伺うことができました。これを聞くと地域活性化とかまちづくりとかに勝手とらえて、解釈をする人が出てきてしまうように思えますが。それとは似て非なるものだと感じました。違うんですよね。話を聞いていると典型的な「展開型」のストーリーのように。

 

「自分はなにもできないんです」とご自身でおしゃっていましたが、まあそんなことはないのでしょうけど。次々と人が集まってきて色々なことを助けてくれるそうで。人柄もそうですが魅力があるのでしょう。また、田舎でよくあるような話とかもあり、なんだか私も似たようなことがあるなぁと思いながら聞いていました。

 

山を歩いている道中にもすかさず。

 

歌詞と曲は一緒に浮かぶのですか。それは直感的にくるものですか?

 

歌詞と曲が同時に出てくるとはよく聞きますが、出てきたものは実際に形にしてみると想像どうりの仕上がりになるのですか?

 

なんて興味津々で歩きながら聴かせていただいて、無理に私のペースについてきてもらい。疲れさせてしまう一幕もありました(ごめんなさい)

 

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とっても爽やか。

 

 

朝は懇意にしていただいている先生に、ヨガの厳しくて愛のある指導をいただきまして。私のカラダの硬さと、歪みを改めて感じることができました。もうね。硬いのなんのって。しかし不思議なものですね。ただのストレッチだなんだっていう人がいるけれど。徐々に呼吸を整えながらカラダを動かしていくうちに、とってもココロとカラダが一体化していくし、内面へ内面へと意識が向いていきました。おかげさま?なのか、カラダが軽いのと、ほぐした各所が筋肉痛があります。教えていただいたポーズはしばらく毎日やってみようと思います。先生に注意されたのを思い出しながら。

 

 

山荘オーナーさんをはじめ、みなさんもとっても面白くて、独特な感性で。そしてとても優しい笑顔で。なんとも言えない人柄がにじみ出ているようでした。

 

「この山はみなさんの山です。またいつでもいらしてくださいね」

 

と帰り際に。

 

また、季節が違う時に顔を出しに伺いたいものです。

 

 

 

 

さあ、洗濯物やら家の片付けやらいろいろ所用を済ませ、畑にたっぷりとバケツで水やりをしたら、のんびり住処の山からおりて海の方へと。地元も暑いのかなぁ。