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ほどほど "農民" 絵日記

なんかいつの間に農民になっている人

もくもくぶつぶつと

久々に山を降りました。とはいっても2ヶ月ちょっとぶりくらいなので大したことではないのですが。お仕事が自然のものが相手なので。急な連続のお休みということでゆっくりとはいかずに一泊しかしてきませんでしたが。それでも一通りの所用は済ませることができました。

 

 

まずは朝早起きをして、自分の野菜畑に行く。やっぱり朝どりは違うようなので。それを実家に持って帰ろうと。そうしたら、野菜の師匠が「お〜もってけよ」と大玉のスイカを一つもたせてくれました。もちろんこれも朝どり。スイカに限っては冷蔵庫で数日寝かせた方が美味しいそうなのですぐには食べられませんが。

 

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夏がよく似合う。

 

そこから、ちょうど母親から数ヶ月ぶりに「桃が食べたい」という趣旨のメールがきていたのを思い出して、近くの共選所にむかいます。そうして一箱買って帰ろうとしたときに。ん。そうだ。実家だけもっていくのもなんかあれだなぁと。身近な友人にももっていこう。そうだ。前に勤めていた会社にも挨拶に行くって確か言っていたなぁと。いろいろ思い出し。桃を数箱購入して帰ることにしました。

 

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美味しくなってきました。桃。

 

 

実家に着いてしまうと、とたんに動きたくなくなってしまうので。まずは以前の勤め先に挨拶にいって。先輩やら、取締役やら、近況を報告することができました。近況と言いつつも雑談なんですが(お仕事中申し訳ない)

 

 

その中でもひとり。とても気遣っていただいている方がいらっしゃいまして。いつもいきなりお邪魔しているにもかかわらず、時間を割いてくれます。なんともありがたいことですね。いつもその方からはいろいろと質問を受けるんです。

 

 

「いつまで葡萄は続けるの?」

「大変じゃないの?」

「やめて戻って来ればいいのに。」

 

 

なんていつもそんな話から始まるのですけど(ありがたい)これがまた自分への問いかけとなって原点に戻れるような気もするのです。正直に言えばどの質問に対しても答えられているけれど。考えれば考えるほど迷うことは多いです。しかし今の所は毎日とても楽しいです。しかし現実的に考えれば普通に会社の勤め人だったら、どんなに楽だろうかと思うこともあります。それは仕事についてではなく。経済的に。保証もあるし。貯蓄もできるし。実家の家族も安心かもしれない、週末は休みだから親しい人たちとの時間を楽しめるかもしれない。いろいろなところに旅行にいったりも。あとおまけで、シャワーのある物件に住めるかもしれないし、水道からお湯がでるかもだし。

 

 

でも。理由はいろいろと思いつくけれど。全部楽なことしか考えていないんですよね。というか楽なことしか思いつかない。いわるゆる逃げっていうのでしょうか。こうしたらもっと自分はこうなれるっていうものが浮かんでこない。やっぱり自分は怠惰な人間だよなぁって思うので。なんか余計に。ってことはやっぱり成長はないよなぁと思って。

 

どんな選択をして、結果が出て。それについて周囲からいろいろ言われても、自分で思ったとしても。私にはすご〜く強くて、それらを黙らせる言い訳を一つだけ持っているんですよね。

 

 

「自分で選んだので」

 

 

 

って。

 

 

なんとなく強がっていますけど。いつだって不安はつきませんけどね。

懐かしい方々の顔を少し見るだけでも。なんか嬉しい気持ちになりました。

 

 

 

 

さて、今回はなによりもおばあちゃんのお墓詣りに行けたことがよかった。しばらく間が空いてしまうとなんかそわそわしてしまって。なかなかおじいちゃんも年を重ねてきたせいか、なかなかお墓の手入れまでは行き届きません。だからこそ帰った時にお墓の周りを綺麗に清めたいんです。今日は雨が降っていたのでそこまで気の利いたことはできませんでしたが。

 

 

毎回私が帰った時にはルーチンが決まっています。お墓に行く前には少しだけ回り道をして、JAの販売所に行きます。そこで供えるお花を幾つか買い求めるんです。今日はなんとなく、白、黄、紫が目に留まったのでそのお花の組み合わせで。会計を済ませたら販売所に備えてあるハサミで長さを揃えて、まとめて新聞紙に包みます。いつもやっていることなんですが、なかなか長さを揃えるのって難しくて。結局はお墓に供える時にもう一度切り揃えるんです。今日はこの前より短くしたから大丈夫だろう〜って思ったら、こんどは短すぎて・・・。そんなに短くしなくて大丈夫だったりするという。

 

 

お墓に着いたら、古い花殻をとりのぞいて、古い水を捨てながら綺麗に掃除をします。晴れていれば、水を含ませた布巾でお墓を拭きながらひとりお墓に向かって語りかけています。

 

これも思えば不思議なものです。生前よくおばあちゃんと一緒にひいおばあちゃんに当たる親戚のお墓に連れて行っていたのですが、おばあちゃんがお墓に向かって

 

「今日もきたよ〜」

「暑いだろう。今水をいれてやるからね」

 

と始まり、ずっと語りかけながらお墓の周りを綺麗にしていくんですよね。その時は今よりもうちょっと若かったせいか、その心境というか、ひとりで喋りながらもくもくと手を動かしているおばあちゃんを「年を重ねるとそうなるのかなぁ」「俺には全然わからないや」って思いながら、お線香だけは一緒にあげて手を合わせていたのですが。

 

それがどうでしょう。数回もお墓詣りにいかないうちに私も自然と語りかけているのですから。

 

「お〜っ。ばあさんきたぞ〜」

「今きれいに拭いてやるぞ〜」

「今日も全然花がきれいに切り揃わんかったやね」

 

・・・

 

 

それはおばあちゃんのお墓詣りの様子をずっと見てきたからかもしれないし、なんとなく語りかけるとなんとなく私にも語り返しているようにみえるのかもしれない。まあ結局はよくわからないのですけど。とりあえず、はたから見たらちょっと怪しく見えているかも。私。

 

そうして一通りお墓の手入れが終わったところで、お線香を焚いて供えて。そこから軽く目をつむり、手をあわせる。最初の時にはこうして手をあわせる時にはいろいろとお願いをしていました。おじいちゃんの健康のことや、家族を見守っていてくれって。でも途中で気付くんですよね。これじゃあいつまでたって安心できないよなぁと。おばあちゃんは世話好きだったから大丈夫だとは思うけれども。

 

気がついてからは、なんとなく生前のおばあちゃんの顔を思い浮かべながら、私の近況を声にはださないけれども心の中で語りながら、なんとなく会話をしている感じで。最近はその時間が長くなってきていて、30秒くらいから、いつのまにか数分間以上そのままの状態でいることが多くなりました。

 

こうして目をつむり、手を合わせている状態の時。とてもココロが穏やかで、とても落ち着いた状態になります。風の通る感じや、木々が揺れる音などが大きく一体となって感じます。五感が研ぎ澄まされていくのか、一種の集中している状態なんだと思いますが。そうして目を開けた時には安らぎというか、チカラがみなぎる感覚があります。もしかしたらおばあちゃんが・・・と思いながらも、これも私がそう思っているから。実際にそうなるのかもしれないけれど。

 

 

それにしても、地元に帰っても無理をしなくなりました。日常的にお酒も飲まなくなってしまったので、一人で街に繰り出して飲みに行くって発想もでてこなくなりまりました(といって、そんな余裕がないだけですが)これもおじさん化なんでしょうか。こういうとまた怒られそう。

 

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いつものたい焼きはかかさずでした。

 

ひさびさに見た海はちょっと荒れていたけれど。磯の香りを強く感じ。内陸の人たちが海へと向かう気持ちがなんだか少しだけ、わかった気がしました。