ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

あまずっぱ〜いおくりもの

昨日は午後からすもものジャム仕込み始めて夕方には何本からストックを作ることができました。山梨に来て三年目。そして三回目のジャムを仕込みました。こうして回数を重ねるごとに去年の経験が活きているのを実感できます。果実の切り方から、材料の分量やら、加熱する時間、ビン詰めのタイミングもだいぶこなれた動きをしています。唯一変わらないのは、とろ火で加熱している時に木ベラでかき回す行為です。ここだけは短縮できない。火が強ければ吹きこぼれてしまうし、なによりも焦げ付いてしまう。まんべんなくかき回さないとムラができてしまう。わたしのおうちにはクーラーとかいうものはないので、窓とドアを全開にして、背中に汗が通っていくのをなんども感じながらじ〜っと鍋を見ながら手を動かしています。 

 

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とろ〜り。

 

 

毎年こんなことをしているのも、自分が食べるよう以上におもたせで持っていきたいから。過去にも触れたことはあるけれど。私は贈り物をすることが好きです。別にそれは大それたモノではなく、お手持ち、お土産の場合もあります。はじめは不純な動機から。よく思われたい、あげっっぱなしにしたい、貸しを作りたくない。そしてとても自己満足できるんです「俺は良いことをしているなぁ」って。新しく知り合った方に贈り物をすると戸惑われることがありますが

 

 

「お返しとかはいいので、もし崖で私が落ちそうになったときに助けてください」

 

 

と、いつもながらよくわからない理由をつけてはお渡しします。

 

 

 

しかし最近はなかなか贈り物をしづらくなりました。それは会社に勤めていたときにはそこそこ何かを買っておもたせができるのですが。恥ずかしながら今のわたしはそのようなことができる余裕がありません。でも、私が「恩」として受け取ったことへのお礼や、お近付きのしるしとして何かしたい。だからお金がないからできないなりに考えてみると、収穫したもので加工することくらいはできるよね。ということでそうしています。

 

 

さて、自分がこうして作ってお返しを〜と言っておきながら、わたしはいつももらってばかりです。それはモノでも、形のないものでも。

 

 

ちなみにおすそ分けに限っても、春から数えるだけでもいろいろ。

 

  • 大根
  • ニラ
  • 玉ねぎ
  • じゃがいも
  • ラディッシュ
  • サニーレタス
  • とうもろこし
  • かぼちゃ
  • ニンニク
  • スイカ
  • メロン
  • ニンニク

 

 

多分他にもいただいていると思う。

 

 

たくさんできたから、持っていきな。

 

 

って、とっても魔法の言葉。断る理由がありません。

 

畑から帰るときには魔法にかけられて帰ります。

 

 

 

私もお返しをしたいのですが、私は魔法にかけられているせいなのかお返しすることができなくなっています。というか、させてくれません。私よりも多くの野菜を作っているし。わたしの作った素人野菜よりも良い野菜を育てているので、その場でお返ししようもなく。ただただいただくだけ。できるのは「おいしかったよ」ってお礼を言葉で伝えるくらい。なんとも申し訳ない気持ちでもごもごしていると、言われることがあります。

 

 

俺らはいいから、他の人にやんな

 

 

簡単に言えば、食べきれないから。それだけの理由。特に夏野菜は多収穫で毎日畑に顔を出すと、なんらかの野菜を収穫できるので、調子に乗って種や苗を植えてしまうと本当に手持ち無沙汰になります。常備菜としてたくさんストックするのも楽しいですけど、その作った常備菜を保存しておける冷蔵庫の容量がありません。

 

 

この何気ない行為にみえるけど。とっても循環をスタートさせているんですよね。こうして受け取った好意は周囲に循環していく。

 

 

 

満たされているから、周囲に分け与えることができる。

 

分け与えるから、満たされていく。

 

 

自分が満たされるのが先か、相手が満たされるのが先なのか。こんな「先か後か」ってその流れの中に入ればあんまり意味を持ちません。

 

 

 

応援されるのは、多くの人をその人が応援しているから。

 

自らが与え続けるから、周囲から与えられる。

 

 

 

多くの本でも、インタビューを聞いていてもよく聞くことなのですが。自らが動くことに触れていることがわかります。待っていてもなにも起きない。結局一番早いのは自分から動くことなんですよね。そっちの方が断然早い。動くとなにが変わるかって、自分も変わるけど、自分が変わると周囲も変わっていく。

 

 

 

 

いつもないものねだりで「○○さんはいいなぁ」「□□さんばっかり!」と言っていてもなにも始まりません。そう言っている中では、周囲に何かを与えることができている人は少ないでしょう。モノでも、気持ちでも、好意でも。その人に集まってくるというのは。先に何かを発信しているから。「そんなことしてないけどなぁ」と思っていても、その人の立ち振る舞い、行為によって、意図せずとも何かを受け取っている誰かがいるのだと。

 

 

 

熱気むんむんのジャムをかき回しているときは、なにやら集中していたのか

 

今私はなんでジャムをかき回しているんだろうなぁ。

 

って考えていたら、いろいろなことが浮かんでは汗とともに流れていきました。

 

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種を除くのも根気がいります。

 

去年も作ったものは全て渡って行きました。今年のジャムは誰の手元にわたっていくのか。作った分だけの出会いがあると考えるとまた楽しくなります。もうちょっと追加で作っておこうかな。