ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

正しいとか、間違っているとか

これも異常気象なのか?ってくらいに、過ごしやすい日が続いています。これが例年通りなのかもしれないし、普通よりもちょっとだけ標高の高い地域で仕事をしているからっていうこともありかもしれません。朝と夕方にはちょっと強めの風が吹いていて、肌寒いくらいにも。お昼は日陰でお昼寝をしているのですけど、皆口々に「これじゃあ、風邪をひいちまうな〜」なんていっているくらいですから。それでも涼しいというのはとっても有り難くて、仕事がとってもしやすい分、効率も上がっている気がします。寒く感じる強い風も見方によっては追い風なのかもしれませんね。

 

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爽やかな陽気という言葉がピッタリ。

 

 

先月から本格シーズンに入って一ヶ月。カラダは夏仕様にめきめきと変わってきていることもあり、疲労も軽減されてきているのですが、この時期は朝から夕方まで首を横に斜めに上にと傾けながら作業していることプラスして、腕を上げながら仕事をしているので、まあ首回り、肩周りがガチガチです。それにプラスして家に戻ってきてからはパソコンの前にいると、姿勢も悪いとあって。もう。ね。

 

 

こうして仕事をしていると色々な方から助言を受けることがあります。この作業はこうしたほうがいいよ。もっと早くなるよと。と農家出身でない私は見よう見まねで、なるべく早く仕事ができるようにならなくては・・・と、そうやっていたらそれなりに早く仕事ができるようになりました。大変ありがたいことです。

 

 

しかしあとから振り返ればそう見えるのですが、助言の仕方によってはその時その時で素直に受け取れないことがあります。言い方はそれぞれあるのはいいとして、時々いっていることがコロッと変わったり、あれ?昨日といっていること違うのだけれど。と思ったり。この前言った事を実践しているのに「これじゃあダメだよ」って言われると「何言ってるんだこいつは」って、いつもの感謝が飛んでいってしまい消えてしまう時も。やっぱり私も人間なのでそう思ったりしたこともあるのです。その時の私の調子もあるのでしょうが、言われた瞬間に怒りが湧いてくることもしばしば。

 

 

そんな時、普段怒りの感情を出していない分、怒りがどばどばどばって止めどなく出そうになるのだけど(それで漏れたりすることもあるけど)数分経つと「おっと、怒りが出てきているな」って自分を俯瞰してみることができるようになってきました。不思議なものでそうやって怒りを外から見れた瞬間に怒りは消えていきます。ここまで反応的になる必要はないなって思うし、怒っている自分ってダサいよなって思うので、どんどん収束していって平穏に戻ります。

 

その後は反省とまでは言わないけれど、なんであんなに自分は怒ったのだろう。と自分の中と、相手の中を探っていきます。

 

 

今回書いているパターンで、自分を探っていくと

 

 

自分は言われたことをやっている(正しい)

相手はこの前こういったのだから(間違い)

 

 

自分は正しさを証明しようとしているのか・・・

 

 

というところに落ち着きます。って私が反応的になるのはこうしたことが多いような気がします。この自分は正しいことをやっている!というエネルギーは変な正義感がくっついてくるので、案外強いもので。普段あまり反応的にならないのですが、こればっかりはわかっていても反応的になってしまうようです。ある種この怒りは、なにかニュースやらほかのメディアやらで「不祥事」のようなものが出てきた時、ネット上で色々な意見がでてくるときの心情に似ているかもしれませんね。

 

 

 

前述したのは受け身の場合ですが、この逆もありえるわけで。明らかに間違ったことをやっている人に対して、正しいことを言った場合に。受け手がなかなか聞き入れない場合はどうしますか?

 

こうした場合でも正しい方に分があると思うので(私は)、聞き入れない人に対しては「なぜこいつはいうことをきかないのか」って思ってしまいます。この場面に接したときには、正しい、正義感のようなもとに太刀打ちするのは容易ではないので「相手が納得しないのは違う理由かもしれない」ということにはなかなか気づけないようです。

 

 

ちょっと偏った場面を取り上げてしまいましたが、他にも似たようなことが次々と浮かんでくるのですよね。

 

 

 

「今の若い子たちはイベントにはよく参加するけれど、自分ではなかなか動かないんだよ」

 

 

前になにかのイベントのときにこう話している人がいて「そうなんですね」って私は答えていて。そうかもしれないなぁと少し思っていたけど。これは参加した人がどうこうではないよなぁと思ったり。

 

 

「努力すれば何でもできる。死ぬ気でやれば何でもできるんだよって、論破してやったよ」

 

って意気揚々と話されている方がいて。確かにそうよね。って思う反面。正しいのかもしれないけど、独りよがりのようにも見えるし、それで相手はなにが変わって、何が得られるのかしら。

 

 

 

 

 

そんな中、たまたま小説家の平野さんのインタビューを聞いていて、なんか心にのこった部分があって。

 

 

やっぱり信頼第一ですよ。変なこと言えば一時的には盛り上がるけど、そういう人たちはどこかでそこが割れて、そんな人かって馬鹿にされるし。いくらその人のフォロワーがいても半分は馬鹿にしてみてる状況になっちゃうのですよね。みんな忙しいし、信頼できないものには付き合いきれなくなってくる。

 

・・・・

 

「この意見よくわかんないけどでもこの人が言うのだからなんかあるのかな?」という感じに、反対意見も受け留められるくらいの物書きとしての信頼を維持するのが大切だなと思います。 

 

 

 

ちょっとニュアンスが違うし、切り取りなので、受け取り方が変わりそうですが、

 

 

 

正しいこと云々が問題ではなく、信頼がなければ受け入れることができない

 

 

結局ここにも人柄というか、人格が必要なんだよな。って

 

 

そんなことを書いていたら。昔、父親「肘をついて飯を食べるな!!」って何度も怒られていたけど、それって父親も時々肘をついてご飯を食べているのを何度が目撃して。「なんかおかしいよなぁ」と子どもごころに感じていたことも思い出しました。あんまし正論を振りかざすことはしていない(はず)ので、大丈夫だとは思いますが、いろいろを考えさせられました。