ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

見えないものと仲良くなる

とにかく黒い。ほんとうに黒い。何が黒いかっていえば私の手。つい先日の雨から一転して晴れ模様が続いています。もしやすると、今の時期は初夏の陽気。朝夕は涼しくて、日中は程よく暖かい。そんな印象かもしれません。しかし、いくら気持ちの良い天気でも確実に紫外線は降り注いでいるわけで。長袖長ズボン。顔をすっぽり覆う帽子をかぶってお仕事をしているわけですが。どうもこうも、細かい作業をしているので手だけは裸・・・。

 

 

まあ別にこの歳になって気にすることはでないのですが。これからの時期半袖短パンで過ごすようになるので。想像すると・・・。やっぱりダサいのですよね。去年も同じこと言ってますが、とても暑い中で仕事をするのは全然大丈夫だけど。やっぱり日焼けの方が個人的には抵抗がありますね。

 

 

今日は休憩しているとき。他の農家さんとお話しをする機会がありました。何やら他の畑をやっている人の話しをしており「○○はもっとこうしないとダメなんだ」「いろいろアドバイスをしやっているのに」「なんであのようになるのかわからない」と何やら不満のご様子。私は「そうなんですね」と繰り返しているだけだったのですが、その農家さんは言いたいことをすべて言ったからか「まあ、がんばれよ」と私の目の前から離れていきました。

 

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雨よけ付きの葡萄棚の下から

 

 

なんだかこれには既視感がありました。

 

 

 

かつて会社に勤めていたとき。いくらデザインを仕上げても社長のゴーサインが出ずに困ったことが幾ばくかありました。まだまだ若かった私はこう思います。

 

 

「この前社長が言ったことをちゃんとやっているのに、なんでここまで文句を言われなければいけないのだろう」

「全然できてないじゃないかって言われても、まだ数時間も経っていないのに」

「自分はここまで頑張っているのに。なんでこうなるのだろう」

「社長は私を目の敵にしているんじゃないか」

 

 

とまあ、どんどん深みにはまっていたことを思い出しました。今思えば意図を読めない典型的な若造で。ただただ若かったなぁと苦笑いをしてしまうのですが。

 

 

「うまくいかないのは○○のせい」

 

 

結局これは原因を外に見つけようとしていたのだと。今なら思えます。

 

 

目の前で起きていることを素直に受け入れる・受け取るようにする。

 

 

この言葉は、なんとなくうまくいかなくて悩んでいる・困っている友人や知人に対して私がよくお話をすることです。今起こっている状態を受けいれることができない人はその状況に縛られ、永遠に抜け出せないということに気づくことができないと。しかし、この話をすると一定率でこう言われてしまいます。

 

 

「それが出来たら苦労しないよね。」

「そうできるように努力はしてみます。」

「○○君はすごいね〜」

 

とか。

 

 

なかなかそうは言われても。いざそうしてみようとしても。そのような思考にいたることは大変そうです(私も一丁前に人に言う割にはよく流されますが)

 

 

 

そんなことを思って農作業をしていたのですが、その時聞いていた本のこんな話しが耳に残りました。

 

 

現在という瞬間とどう付き合うか

 

 

どんなことが起きても友人らしく歓迎すること。

現在という瞬間と仲良くする。

 

 

現在という瞬間を敵としてみると、克服すべき障害に見えてくる。そこから苛立ちや欲求不満、ストレスが生まれる

 

問題だらけの世界に見えてくる

 

ニューアース

 

 

 

ということが書かれています。

 

ありもしない問題を作り出しているのは周囲ではなく。ほとんど自分が作り出しているのがよくわかります。

 

 

友達になる

 

 

なんとなく「受けいれる」となるとハードルが高そうにみえるけれど。友達のように接することならできそうだなって。みんな友達であればそこには大きな問題は起きようがないかなって。

 

 

 

 

と延々と書いたけれど。これが今日の頭の動き。

 

 

 

仕事もスムーズに進み。その仕事が終わることには頭もすっきりして1日を終えることができた!と思える、そんな日でもありました。

 

 

 

 

 

おまけ。

 

 

 

ご先祖様を大切にすることとは。ご先祖様に愛されるということ。

 

 

何かあるたびに「ご先祖様!助けてください」っていつも言っている人が、何年もお墓まいりすらしていなかったらどうでしょう。ご先祖様は助けてくれると思いますか?


しかし、定期的にお墓まいりに行く、お墓の手入れもしている。そんな人が「ご先祖様・・・」と頼んできたらどうでしょうか。


「おお、そうかそうか。助けてやろう」ってご先祖様も助けてあげたくなるのではないでしょうか。

 

 

 

あるインタビューの話から。


ちょっとニュアンスが違うし、スピリチュアルよりかもですかね・・・。

 

 

こうした概念というか見えないものと仲良くできると、いろいろところから応援してくれる、味方してくれている感覚になり、少しくらいの良くないこと。うまくいかないことがあっても「みんなに助けられているから大丈夫、大丈夫」というような心持ちとなり、心の支えになってくれそうです。

 

 

 

 

 

日中、青空の下で、農作業をしているととっても心地よいですし。今は同じ作業の反復なので、没頭して仕事をしている自分もわかります。どんなに朝眠くても。今日は仕事のあとスーパーに買い物に行かなきゃと思っていても。仕事が始まるといつの間にか頭の中で、もやもやしていたことは消え去ります。

 

 

そこに意識のスペースが生まれて、すんなりと新たな意識と気づきが入りやすくなるのかもしれません。