自らに問いかける
今日は1日中曇り空の下での作業でした。日差しがあるとないとでは大違い。ひんやりとしたなかでの農作業だったからか、思いの外スムーズに進んでいきました。やはり日中の気温は真夏に近づいているのでどんどん高くなっているので、ぶどうの成長も早い早い。いつ人の手より先に成長が進んでしまうのかと、ヒヤヒヤしています。まだ余裕は少しあるように見えますが、気が抜けない日が続きそうです。
ある休憩の一幕。休憩はしっかり。
日曜日は急報をいただいて。朝起きて準備をして山を降りました。それはお世話になった専門学校時代の恩師がお亡くなりになったとの知らせだったのです。
直接教えをいただいたことはないのですが、当時は進路相談の担当をされており。その先生のおかげでデザイナーの道の第一歩を踏み出したとといっても過言ではないくらい。
私は専門学校に通っていた時には、そこまでしっかり考えていなかったにせよ。なんとなく映像系の仕事に就きたいと思っていたのです。当時は映像業界でのやれCGだとか、音楽業界でもPVの分野がとっても華やかに見えたりしていて。まあ格好良いと思っていたわけなんです。だから就活は東京になんども行ったりして、最終試験までたどり着いた会社もあったんです。
しかし、ちょうどその時に体を壊してしまい。ぽっかりと就職活動できなくなってしまって、受かったかどうかは別にせよ、自分としてはいいところまで行っていた会社さんも受けることができなくなってしまったりして「まあ別に就職とかできなくてもいいかな」とか思ったりして。まあ、今の自分から見たら「もっとしっかりしろよ」「なにやっているんだお前は」って見えるくらいに腑抜けになっていたんですよね。別の言い方をすれば自暴自棄ってやつでしょうか(今も結構腑抜けだし、ビビリだったりするのは変わらないかも。)
しかし、みな就職は地元志向が強くて。私みたいにしょっちゅう東京へ就職活動をしている生徒は少数だったらしく「もったいないぞ」とよく言われていました。私は案の定「大丈夫ですから」って、意に返さなかったのですが。それでも私のところに何社か映像系の会社さんやら、印刷会社やらの情報を持ってきてくれたのです。それでも私は腑抜け状態だったのであんまし反応をしないでいると「俺が話をしておいてやるから面接してこい」って言われるがまま、言われた会社に面接に行って。結局、そうやって何社か面接をした結果で、ある会社のなかでデザインの仕事に関わらせていただくことになったと。
結局今の私は机に向かうでもなく、パソコンに向かうでもなく。畑で土と戯れてしまっています。そんな環境に身を置いている私ですが、多くはないにせよ、依頼があったり、お願いされたりと「デザイン」という枠で多少は人の役に立てているわけです。それはやはりデザイン仕事を経験させていただいたからですし、そこに放り込んでくれた先生がいたからだよなぁなんて。
故人を偲ぶとありますが。昨日は本当に不思議な感覚で。滑らかというか自然にあの当時のことが回想のように色々湧いてきたんです。それはお通夜の最初から最後まで。弔問後はすぐに山梨に帰ったのですが。そのときもずっと回想が続いていました。
私はとてもお気遣いをいただいていたのだと思っていますが。進路担当の先生なので、もしやすると一生徒として、接してくれただけかもしれません。しかし、あの時。あのことがなかったら。今の自分が存在しているかと考えてみたら。やっぱりいないのですよね。
何によって憶えられたいか ピーター・F・ドラッカー
終わりを思い描くことから始める スティーブン・R・コヴィー
有名すぎますね。
年齢を重ねていった先のこと。自分の最期・亡くなったあと。自分は周囲の人になんて言ってもらたいか、どんな人だったと思って欲しいのか。名著と言われる本の中には「自らに問いかけなさい」とそう言っています。普段から「忙しい、時間がない」または、漫然と生活しているような状態では問いかける機会は永遠に訪れないかもしれません。はっ!とそのことに気づいても、自らに問いかけをすることは難しいものです。私が旅立つまでには答えが出ているかどうか、まだわかりません。しかしもう一度向き合う時期にきているのではないかと感じてしまい。今日もずっと畑仕事をしながら問いかけ続けていました。
昨夜は、多くの生徒さんも弔問に訪れていました。多分OBの方で見たことのある方も多く散見されました。それだけ慕われていたことがわかります。間違いなく、私もその一人なのですから。
私が迷った時に道を示してくれた道先案内人。本当に苦しい時期に助けていただいた方の恩は決して消えないものです。接した時間は少ないにせよ、私の人生与えた影響ははかりしれません。分け隔てなく、いつも笑顔で、気軽にお声がけしてくれるとてもよい人柄の先生でした。
故人のご冥福をお祈りします。