ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

空気を食べる

昨日は1日草刈りでした。草が伸び始めるとぶどうのシーズンが始まるなぁとも感じます。農家さんってほとんどの人が草との戦いなんじゃないかと思います。そのままにしておけばいわゆるボーボーの状態にもなるし。そこにはいろんな虫たちがやってくるし、作物へ行くべき栄養も取られてしまうし。今はまだ涼しいのでいいですが、夏場の草刈りほどダイエットに向く仕事はないんじゃないかってくらいに体力を使います。今年はなんとなくぶどうの生育が早いようで、世間様のGW前から本格的なシーズンインとなりそうです。

 

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山の上の畑から

 

お夕飯を食べ終わって一息ついたタイミングで電話が一本。だいたい前触れもなく不思議な時とタイミングで。電話の主は3軒隣の幼馴染から。生まれた月も、病院も一緒の幼馴染。だいたい私に電話がかかってくる時には、パソコンとかの話。昔からそちらの世界は不案内で、何回も私が説明してもわからなかったり、忘れていたりと。いつも同じことの繰り返しなんですよね。いつになったら覚えるのかって。

 

でもそのやりとりが、なんだか心地良いというかなんというか。若い時から、こどもの時から変わっていません。特別気を使うこともないし、なんとなく相手が考えていることがわかるというか。こうしてときどき話をするたびに「年をとったよなぁ」「全然大人になった気がしないよね」って。こう落ち着くわけですが。小さいことでも頼ってくれているのも嬉しいですよね。

 

最近では「昔を懐かしむ」ことは、前に進んでいるように見えないせいか、肯定的に捉えられない場合もしばしばありますが、今の自分が通って来た道を思い出させてくれる存在というのはとても貴重だと思いますし、ああいう時代があったからこそ、あのときこういうことがあったからこそ、今の自分があるんだ。今の自分につながっているんだ。そう素直に感じることができる人は、今の自分の行動が未来を作ることを知っている人だと思います。

 

 

 

ついつい懐かしくなって冒頭が長くなってしまった。

さて。話変わって。

 

 

なにかしら作業をするとき、みなさんはその作業のお供にするものはありますか?作業のみに集中するときもありますが、私は断然、音楽かPodcastを流しながら作業をしています。私の友人にはみてないけどとりあえずTVをつけておく。なんて人もいらっしゃるようです。人それぞれに仕事がはかどるとか、気分がのるからとか。いろいろな理由がありそうです。

 

断然音楽を流している私だったのですが、ちょっと習慣になりつつあるのは、Netflixのドキュメンタリーを流しておくというもの。家事洗濯しているときでも、何か描きものをしているときでも。作業の邪魔にならないのですよね。背景で流れている音楽とかも民族音楽とか、クラシックなテイストでまたよいと。動物、食、地球、宇宙やら。なんとも知的好奇心をくすぐる面白いコンテンツばかりというのが一番で。ついつい見入ってしまうことも多いです(もはや作業がながらになってしまっている)

 

 

こうした具合ですから、昨夜も洗濯物をたたみながら食のドキュメンタリーをみていたわけなのですが。ふとたたんでいた手が止まって、見入ってしまった場面があったんです。それはパンのドキュメタリー。私もにわかですが、ハード系に目がない人間でして、バゲット、カンパーニュとか大好きすぎて、惜しいバゲットが一本あったらボトルが空いてしまうよってくらいに。何かつけても、のせてもいいし。そうそうクルミと干しぶどうが入っていたらもうなにもいらないってくらいに、いつまでも噛んでいたいんですよ。じんわりとお口の中で香ばしい風味と甘みが広がっていく感じが・・・

 

 

話が逸れました。

 

 

 

パンはほとんどが空気です。

(パンを潰してぺちゃんこにしている)

 

固形分の少なさがわかるでしょう?

 

全体に気泡が入っているのがわかります。

(さっきより硬いパンを切る、断面を見せて)

 

つまり私たちは空気を食べているのです。

 

人間は料理をする 空気 より

 

 

確かにそうだよね。って思うシーンではあるけれど。そこまで印象に残るシーンでもないかもしれません。

 

 

空気を食べる。

 

 

空気を吸うではなく。

 

なんか不思議な響きなんですよね。いろいろと頭の中に発想が広がっていったのです。

 

 

ときどき耳にするワードがあります。

 

「やっぱり外で食べるご飯はおいしいよね」

「遠足で食べるお弁当がおいしい」

「山の上で食べるカップヌードルはたまらない」(これはちょっとちがうか)

 

なんか同じ料理なんだけど、家で食べるのとはちょっと違う。なんとなくそうなんだけど。なんでそう感じるのかって、雰囲気だからかなぁと思っていたけど。もしかしたら一緒に食べている空気がちがうからかもって(様々な要因が絡み合ってはいるけれど)

 

最近ではお花見での宴会とかも該当するのでしょうか。あの変な高揚感。さくらのなんらかの覚醒作用を与えているとかいないとか聞いたことがありますが。それも空気を一緒に食べているって想像すると・・・。

 

 

 

パンをたくさん食べる。空気を一緒に食べているってことは、たくさん酸素を取り込めているかもしれない・・・

 

もしかして、いつも家で作るご飯が美味しくないのは一緒に食べる空気が美味しくないからそう感じるだけかもなぁ・・・(逆も然り)

 

パンを食べると満腹感があるけれど。もしかして空気ばかり食べているから騙されているのかもしれない・・・・

 

 

 

頭の中が拡散してしまって仕方がないです(たいしたことないですよね

 

 

 

空気って見えないし、意識してないけど。人間がいる場所には必ずあるもの。同じ空気ってないですよねきっと。ますます山梨にきてからほのぼのな感じになっているのも山に囲まれている、高台の畑の中でおいしい空気を食べているからかもしれません。空気の中に人間にはわからない「成分」「栄養」とかあって、影響をなにかしら及ぼしているかも。空気がうまいって場所の測定できたら、やっぱり栄養もあるのかなぁ。

 

 

なんて。お暇な私の頭の中の押し付けでした。

 

 

なんかドキュメンタリーを見ていると、なんか自然の摂理とか、神秘的なことやらとっても詰め込まれていて。そうしたものに接するだけで些細なことでも、実は日常生活のつい目の前でとってもすごいことが起きているかもしれない。って思えてくると楽しくなってくるし、新たな視点が生まれてくるような感覚がありました(少なくとも私は)

 

 

そしてなによりも、パンのドキュメンタリーを見たせいで、自宅にちゃんとしたオーブンがあったらガチガチのハードなパンを自分で作ってみたいよなぁと。なんども失敗するでしょうけど。飽きないだろうなぁと。もう仕方がないくらいに。妄想が絶えません。