ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

期待はほどほどに

日が高く昇る前のお昼すぎ。時間の余裕があったので勝沼のカフェにいってランチをしてきました。まあ一人でゆったり食事を楽しみながなら、ああ今月もおわりだなぁと、ひとりぽけ〜っとしておりました。そういえば今月はしばらくご無沙汰していた友人からメッセージがあったり、電話があったりとなんか続けてあったなぁなんて。

 

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バターポークカレー。チキンはよくやるけど。ポークもいいなぁ。

 

 

少しだけしかやりとりしていないのですが。昔よくつるんでいたときの思い出だとか、印象深い出来事がたくさんたくさん、浮かんでは消えていくのです。ずっと鍵がかかっていたその時代の引き出しを開けてしまって、溢れてくるような。その時ばかりは私も童心に帰ったようで懐かしい気持ちに浸っていたのですが、結局最後はやはり歳をとったなぁと繋がってしまうのが寂しくも感じます。

 

 

 

さて、今日はあるブログを読んで、ちょっと感じたことがあったので。信用?の話をしようと思います。

 

randomwalker.blog19.fc2.com

 

ちょっと投資関連なのでわからない部分があるやもしれませんが。最後のほうの守破離の部分を読んでいたら。ああ。確かにそうだよなぁと。

 

 

kotobank.jp

 

 

 

私のおうちにはTVもないし、週刊誌とか読んでいるわけではないので、的外れな発言があるかもしれませんが・・・乙武さんの現状?を知って、似たような感情を覚えました。

 

 

なにかしらの関わり合いをもっていたり、身近な方々に対しては不利益を被る方もいらっしゃるのかもしれません。その方々については、何も言えないというか、いう資格もありません。しかし、間接的にといいますか、テレビ、ネット、印刷媒体を介して、何かしら影響を受けてた人の中には、今までの好印象とは一転して、悪印象になった方も多いのでしょうか。私にはネット上だとかなりマイナスに触れているように見えました。

 

 

少し前には政界への進出の話もあったので「裏切られた」「日本を変えてくれると思ったのに」というような声もあると聞きました。まして、とてもきつく当たっている方もいるようです。一つダメだと全部ダメみたいな。でもそれってそれだけ期待していた部分があったのでしょうか。もしやすると、知らぬ間にその人の影響下にいたのかもしれません。だからこそ、大きく大きく勝手に理想像を押し付けた相手の姿に対して、勝手嫌悪しているだけであって、余計に被害者意識を持って、ますます影響を受けている人も中にはいると思うのです。

 

 

確かに私も残念に思う部分はあります。けれど「ああ、そうだったんだ」と思う程度です。過去に何冊か乙武さんの本を拝読した私は、影響も受けているし、普段の生活に生かしていることもあると。でも今回の件があったところでそれらをやめることはないでしょう。すでに私の身になっていることですし、私に対してプラスの影響を与えてくれていますから。生かす部分は生かせばいいし。もしダメだと思えば反面教師にすればいいだけだと思いました。

 

 

そんなことを書いていたら、ふと、大好きな池波先生の時代劇小説の中で主人公がしみじみ話すシーンを思い浮かべました

 

「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする。ふ、ふふ・・・・・これ久栄。これでおれも蔭へまわっては、何をしているか知れたものではないぞ」 

 

鬼平犯科帳より

 

 

事件を解決したあと、主人公である長谷川平蔵が妻に対して話している場面です「人間とは妙な生きものよ。」って表現がとても言い得て妙な部分がとても好きです。これくらいの心持ちくらいがちょうど良いのではないでしょうか。影響を受けすぎずに済むといいますか。私も周囲にどう思われているかわかりませんが、正直私もどこで何をしているか知れたものではないわけで、過去を振り返ると多分若気の至りで勘弁してくださいって事がいくつも想像できてしまうので、多分悪い事もしているんだと思います。きっと。程度はあれど。

 

 

 

もう一つだけ心持ちの話をすると、私はいままでの経験から「人は一時たりとも同じ人の時はない」といつのまにか思うようになっています。男女の付き合いのでいえば、付き合い始めの時と、しばらく一緒の時間を過ごした後や、もしくは別れに至る時の人物では、まったく違う人物とおもっています。それは男女ともに。付き合い出した時は「その時の相手」「その時の自分」が好意をもった。いえば分かるでしょうか。だから、その後は両人とも変わっているので、ドラマとかで?ありそうな「あなたは変わってしまった」ってありがちなシーンって、実は誤りで「あなたは変わってしまったけど、私も変わったの」というのが正しいのではないのかなと(なにをいっているんだか私は

 

 

こう考えるようになってからは立ち直り?が早くなったように思えます。それは男女の関係に限らず、友人、仲間の場面でも。私は弱い人間なので、別れてしまった、行き違いで疎遠になってしまった。しばらく大きな喪失感やら、未練やらでだいぶ苦しい思いに苛まれるのですが。落ち着いてきて「ああ、自分もあの時から変わっていたのだな」と思う瞬間がくると、感謝にいくのですよね。それは得るものがたくさんあったなぁと思うから。

 

 

また、縁の話に絡めてみると「自分が成長して一段高いステージに進んだ」場合もあるかもしれません。もちろん逆も然り。もしやすると将来同じ段階のステージにお互いが立つことになれば、また巡りあう時がくることもありそうですし、もしかすると成長して通り越してしまう、その成長の差がずっと埋まらないかもしれない。だから縁があれば、またどこかで巡りあう機会があるかもしれないなって思う程度が精神衛生的にもよさそうですし、変に感情が揺さぶられることもなさそうです。

 

 

ちょっと強引につなげようとした感がありますが、周囲からの影響に身を任せていると余計に疲れるような時代のような気がします。テレビ、パソコン、スマホなどから距離を置けばいい話ですが、出来ない相談ですよね。周囲にいつの間にか流されていた・・・ではなく、うまく流せる方法はいくつか持っておくと良さそうです。