ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

だもんで、いったんだよ。

だいぶ暖かいです。私の狭〜い周囲でも「春」を感じさせるような景色やら、言葉やらが舞い込んできています。農作業もほうもいよいよすもものシーズンが始まりそうな予感で、花粉の採取から受粉を終えるまでは、つきっきりの作業になりそうです。なにせ花粉をとるのも、受粉をするのもすもものお花次第。開花しているタイミングを逃してしまうと、実がつきません。またこの時期は突然の雨に見舞われることも多く、天候やら、生育状況やらずっと気にしていなければなりませんから。

 

 

さて、世間は三連休だったようですね。私も土日はほぼお休みだったので両日共にお出かけをしてきました。しかも、初めて訪ねる場所、初めて会う人ばかりと。新しい場所と人に会って話をたくさんすることができました。

 

 

土曜日は長野の岡谷市へ。よくお隣の塩尻にはお邪魔しているのですが、岡谷市というと私の住んでいる山梨から進んでいくと、諏訪湖の奥のほうって感じです。塩尻に向かう時に下道を通っていくと、岡谷市から登りになり、ひとつ峠を越えて塩尻なんです。だから認識はしていても、なんども通り過ぎていたんです(ごめんなさい)しかし今回は違います。定番の言い回しですが。去年の夏に行く行く詐欺をしていた岡谷のある場所があったのです。それは。

 

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だもんで

 

 

??

 

 

って、いわゆる方言なんですが「あれ、長野でもつかうんだ」って思ったのが正直なところで、私の地元である静岡でも多用するというか、普通に日常会話で使う方言なのです。いやいや、静岡のほうが「だもんで」って使うし。たくさん使うし。なんなら毎日使うし!

 

 

 

って話が逸れました。

 

だもんで

 

岡谷のまちなかを元気にしよう!をテーマに長野県岡谷市在住の若者が運営するコミュニティスペースです。

 

中央通りでコミュニティラジオだもんで vol.5 | Facebook

 

 

 どんなイベントだったのかというのは、お好きな様に見てみてくださいませ。

 

 

だもんでさんには初めて伺いましたが。とても不思議な空間でした。今まで感じたことのない雰囲気というのでしょうか。何度かラジオイベントをされていて、どのように進行しているのか。どんな方々がいらっしゃるのか。このコミュニティーは街の中でどのような位置付けなのだろう。と興味津々、アンテナを張りながら、気軽に寄って、気軽に帰ってみました。少ないながらもいろいろな場所に訪れていますけど、初めて行く場所は刺激がいっぱいでいいですね。とっても楽しむことができたのが素直な感想です。

 

 

 

ちなみに私は1日目にお邪魔しました。

 

ちょうど東京から大学生がきておりまして。卒論の発表会だったのです。ちょうどテーマが岡谷の中央通り商店街についての調査だったので、岡谷市のコミュニティーに初めて足を踏み入れた私にはとってもありがたく。大学生のフィルターを通した岡谷はどのように見えているのか。ちょっと発表には遅れてしまいましたが、途中から拝聴させていただきました。話を聞いて、また参加されていた方とお話をしたことから、もやもやと湧いてきたことがあったので、残しておきます。

 

 

もう一度その場所へ行く理由。

 

どうすれば人に関心をもってくれるか。それは観光に力を入れる。もっとアピールすれば人が訪れてくるのではというお話がありました。ようは魅力が伝わっていないから人が来ない。確かに一理あるかもしれませんし、そうではないのかもしれません。

 

もうちょっと若かった時の私の話・・・

 

「今度の連休、どうしようか」

泊まりがけで遠出してみようかなとと思い立ち、とりあえずネットで名所を調べ始めます。

 

「ふむふむ」「なるほど」 と、ネットを見ていると大体行きたい場所が定まってきました。そうすると、その周りには何か面白いところはないかな。その地元の名産、おいしい食事ができる場所はないかぁと発想が広がっていきます。

 

「一度本屋さん行ってみよっか」と、さらに深掘りするために書店に向かい、観光本コーナーに向かいます。なんとなくパラパラとめくると「ここもいいね。あれもいいね」 と想像が膨らみ、とりあえず一冊買っていこう!そして廻る順番を決めて「細かい部分はあとはなんとなく周囲に何かあればまわってみよっか」 となり。今度の連休はお出かけをしたのでした。本を購入したらほぼほぼ100%いきます。

 

 

このなんでもない私の思考パターン。この話に限れば。よほどの特別だったり、感動したりすることがなければ。次の年は同じ場所には訪れることはないかもしれません。もう一度同じ場所に訪れるというのは難しい。有名な観光名所がある。財政面で余裕があり広報ができる、行政が観光に力を入れている。みんな何かをしています。だから観光というのは強豪がいっぱい。観光だけでは難しいよなぁと。ここでつくづく。

 

 

街が好きな理由。

 

今回の発表のなかで「今住んでいる◯◯の街は好きなんです」という話のなかで、なんでそう思うのか?と、質問が上がりました。都市圏にすぐ行ける距離で、買い物のニーズを満たせる、住みやすいから。といろいろ挙げられたなかで「一緒に過ごす友達がいるから」という理由がありました。よくありそうな理由だけれど、ニーズとしては所属しているコミュニティーの圏内からでることは難しいいうことのあらわれかなと。その反面。面白い人、興味のある人。魅力のある人が一人でもいれば、人を呼ぶことができるのではないかと思うわけです。◯◯さんがいるから行く。その「◯◯さん」を作り出す、育てられるのは、その街の人たちだし。そうであってほしいものです。

 

何をしたいのか。何をしてもらいたいのか。

 

もともと目的、目標を抱えている人はやりたいことがあるわけです。自分の中に指針を持っているといるということ。しかし、誰もが皆そうというわけではないので、どこに向かえばいいかわからないのです。そこには「こうしていきたい」というビジョンや道標が必要になってくるのです。「こういう街にしていこう」ってやつも入りそう

です。実はここがもやもやしていると、何も変わらないまま時間だけが過ぎてしまう気がしてなりません。何かしら集まってくる人は「良くしたい」という気持ちを持っている人たち。でもそれだけでは、気持ちだけでは、何も進みません。良くしたい人が集まると「良いことをしている気持ち」に自然となってきます。こうやって話をしていることは良いことだ!ってなって、なにもしていないのに、良いことをしている錯覚に陥ってしまいます。

 

 

「よそもの」の話。

 

私はぶどうの栽培をしています。よそから来た若者なわけですが。やっぱりその土地の気質ってあるので、なかなか馴染めない部分もあります。だからこそ、もっと親しみのあるといいなぁとか、もっと人を受け入れる体制とかあったらいいのになぁと思います。しかし、その馴染めない感じがあるから自分は「よそもの」であると感じるし、その町はわたしから見て「よそのものの人たちの町」なんです。最近はどこでも同じようなショッピングモール、大型スーパーがあってなんか違うなぁと思う感覚と同じ?で、その馴染みづらさがなくなったら、それはそれで、よそな感じがしなくて魅力がないよなぁと。ないからいいっていうんですかね。こういうの。

 

 

 

 

人は前例のないことに対しては、経験則からアドバイスすることはできません。一から何かを始めるのは難しいものです。でも応援したり支援してくれる人が周囲にいるとどうでしょうか。周りから応援されている、応援されている気がするというのはとても心強いものです。またそれが「必要とされている」という気持ちにもつながると思います。この応援というのは、金銭面、物理面とかではなくて、気持ちの部分の支え。地方でたくさん人が集まっている場所は、何かを始めた先駆者がいて、本人の努力が絶対あるけれども、そこには応援してくれる人が1人以上いたのではないでしょうか。よそもの扱いはしても、応援してあげる心の余裕を持ちたいものです。

 

 

 

さて。今日も素人目線のお話をだらだらとまとまりのないことばかり。読み返せば大したことは書いてないという。書くと私の頭がスッキリするのでいいのですが・・・

 

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気の知れた方々と過ごすのもとても楽しいですが、新しい人に会うとなんか気持ちがワクワクしていいですね。初めて会った方ばかりなのに、みなさん聞き上手だし、お優しい方ばかりでもう嬉しかったです。そりゃあ、いろいろ聞いたり、喋りすぎたり。お付き合いいただいて本当に助かりました。今回はちょっと足早に帰ってしまったので、こんどはのんびり伺えればと思います