ほどほど "農民" 絵日記

なんかいつの間に農民になっている人

すべては「人間都合」

今日の天気は雨だと思っていたのですけど、1日持ってしまいました。雨が降らないのであれば他にやりたいことがあったので、間を外されてしまった感があります。雨って好きか嫌いかでいうと、嫌い寄りな私だったのですが、今では雨の日の良さも感じるようになりました。晴耕雨読という言葉がありますが。まさにその通りの生活をしているのです。読書好きな私には家にこもって雨音を聞きながら読書をするのが最高のひと時です。また、雨が止んだあと、太陽がたっぷりと降り注ぐ畑に出た時の爽快感もまた格別のものです。と、それっぽいことを書きましたけど、雨がなければ、農作物は困ってしまいます。で、私自身野菜畑に水を数日あげなくてもよくなるのでとても助かります。

 

 

f:id:riki-yan:20160306215723j:plain

そら豆ちゃんは順調です。

 

今日は雨の予定だったので、用事を済ませたら特に予定もなく。音楽を聴きながらお家で読書に明け暮れていたのです。ちょうど切りがよくなったところで、ちょっとコーヒーでも入れようかと思い立ち。音楽をPodcastに切り替えてキッチンでお湯を沸かしつつ、ガリガリと珈琲豆を挽いて、ドリップの準備をして、ミルクを温めて、あとはお湯が沸くのを待つだけだなぁと思って、Podcastに耳を立てていたらちょっと面白い話題に移ったのです。

 

 

 

ある未来学者が「2050年までに動物に機械を埋め込むことで、人間と話せるようになる」と予測している。

 

〜中略〜

 

「殺さないで」「もし動物が話をするようになった場合、食肉にするために動物を殺すことができなくなるだろう」

 

怖がって泣き叫ぶ人間の赤ちゃんも、子豚も同じで言葉がなくてもわかるのに。理解しようとしないだけだ。

 

第200回  02.18.16 動物と話せる機械より

 

バイリンガルニュース (Bilingual News)

バイリンガルニュース (Bilingual News)

  • Michael & Mami
  • 言語コース
  • ¥0

 

 

 

動物の言葉が理解できるようになったらあなたはどうしますか。Podcastのなかでは羊の話があり。無理やり妊娠させられ、生まれた子供はすぐに親とは離される。そして親と子を離すとき、親羊は鳴きながらずっと追いかけてくるそう。そして、離された後も小屋のなかでしばらく鳴きながら子供を探しているといいます。また鶏だって話せたならたくさんの卵を持っていかれているわけですし。もう想像するのが嫌になりますね。

 

 

 

動物の話すことを理解してしまうと、今の人間にとっては不都合なことが多く出てくるかもしれません。私のように食べるのをやめてしまうかもしれないし、畜産業の現場も大変になるかもしれません。逆にペットである犬や猫の話していることがわかったらいいなぁと思えるけれど。すべての動物がわかるとしたら、ペット、家畜などの境がなくなっていくかもしれません。動物園では皆「故郷に返して」「この檻から出して」「助けて欲しい」と園内中から聞こえてくるかもしれませんし。ますます嫌ですね。

 

 

 

動物に限らずとも相手の気持ちがわかるということは、100%でなくても相手の視点を手に入れることができます。「自分がもし相手の立場だったら・・・」想像するだけで色々な気持ちが湧き出てきます。影響を受けます。そこからどうするかはその人次第ですが「相手の視点に立って物事を考えること」は視野の広さを手に入れることにつながります。それは普段の会社でも友人関係でもなんでもそうですよね。

 

 

現実に実現するかは別として、動物と話していることがわかるとしたら、どれだけ人間が自分勝手の都合で生きているかを思い知ることができました。農作物を食い荒らすからという理由で殺されてしまう、熊、鹿、猪 なども「人間の都合」です。もともと先に住んでいたのは人間ではないし、そもそもここは人間のものっていう感覚ですらおかしいとも思います。

 

ここ最近は元の自然の姿に戻そうってことで、様々な地域で色々な活動をされている方がいますけど。いくら色々考えたって結局人間の視点でみた「良いと思われること」なわけで。人間以外からみたら何をやったって「勝手な都合」にみえているかもしれません。そう考えると一番いいのは「なにもしない」という選択肢もあるかもしれない。なにもしないというのは「人間がその土地から去る」ということとか。人間視点からではなかなかできない選択しであって、この考え方自体も私という「人間の視点」なわけですけど。

 

 

なんだか意味のわからない、極論ばかり並べてしまいました。ここ最近、たまたま自然に関してや、料理などのドキュメンタリーとみていて、なかなか影響を受けていてですね、色々と思うところもあり、発想が広がっていきました。そもそも「エコ」と言われる活動のほとんどが意味がないというか、人間がそこに介在する限り良くはならないよなと。だからと言って何もしないわけにもいかないですが。

 

 

でも、そう思えることは一種の戒めにもなって

 

「◯◯を良くする活動をしています」

 

ではなく。

 

「◯◯を良くするための活動をさせていただいています

 

 

その気持ちが人間以外の視野を持つことになって、感謝につながり、自然と共存している。自然の中に人間がいると実感できるかもしれません。

 

 

だいぶ元の話からずれましたが、動物が話せるようになった未来を想像するだけで「ごちそうさま」と感謝しながら食べることがいかに大切なのかを思い知ることができました。どんな綺麗事をいっても人間都合で殺したものをいただいているのですから。私と同じく、そうやって思いを巡らしたあなただったら。本当に心の中から「ごちそうさま」と言えることができるかもしれません。