ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

カラダとアタマのメンテナンス

今シーズンの剪定が終わりまして、しばらくお休みしています。こんな時はどこかへ出かけて・・・ってなりそうなところでしたが、前回の書いたムービーの制作を集中して行うために静岡に舞い戻り、ずっとこもって作業をしておりました。あとはここしばらくある場所がずっと痛みと違和感があって、これはもしかしてヤバイ病気かもしれない。と、ビビリな私は勝手に不安を増長させ、ここぞとばかりに病院に行って、お腹にゼリーをグリグリと、エコーを含め検査を受けてきました。とりあえずエコーでは異常がなかったので、もしもっと痛むようなら、鼻から胃カメラをやっちゃいましょう。ということで、それはそれで怖くなったのか、治れ治れと暗示が働き復調傾向にあります。

 

 

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無事に形になりました。よかった。

 

ということで、特段面白いことはなかったのですけど。作業の合間に本屋さんに行って新刊を幾つか買って合間合間に読んでいて、かなり印象に残った本があったので今日はそちらのお話を。

 

 

 

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

 

 

 

eliesbook.co.jp

 

 

寝太郎ブログ

著者さんのブログ

 

 

どんな本なのかはいつもお世話になっているBBMさんの書評を見ていただいた方が確実かと。

 

 

 

今に始まったことではないですが、山梨に来てから仕事でもお家でも一人の時間、孤独の時間が多くを占める生活を私はしているんです。だからこそ気になったというわけですが、実際に読んでみると、どんどんと深みにはまっていくような感覚に襲われる本でした。それは私にもこの著者さんと似ている部分があったからかもしれませんが。人によっては読みきれない人もいるかもなんて。

 

 

この本の中で私が一番印象に残ったのは・・・

 

「出会い」というのは罪だと思う。出会った人や物や知識は、出会わなかった人や物に比べて、圧倒的に大きな影響を与えてしまう。なんの理由もなく。

 

 

切り取りなので、印象が偏ってしまうとは思いますが、過去にふれてきた人や本を読んでいて、「知ってしまったことからは逃れられない」「知らないことが幸せ」ということを過去に書いたことがあります。やりたいことが見つからないというのも、現代は選択肢が多すぎるから、やりたいことが何でもできる一方で、見つけないと生きにくい世の中と言えるかもしれないなんてことも目にしたことがあります。

 

お金持ちになるにはお金持ちの人と付き合うようにする。経営者になりたければ社長と付き合うようにする、自叙伝を読むなどのことをすると。そうやって自ら求めていかなければ、直接関係のないものに囲まれてしまい、自分で選択したと思ったことが、実は違っていた。なんてことも(プラスマイナスは別として)

 

 

情報があふれている世の中で、TVはもちろんのこと、パソコン、スマホと順を追って知らぬ間に情報に囲まれているともいえます。それにプラスして、SNSでは個々に見える情報が違って、その人に最適化した情報、悪い言い方をすると偏った情報を見せられているわけです。となると、自分が情報を追っている側なのに、いつの間にか狭い世界に閉じ込められていた。なんてこともあるのかもと。年が明けてから騒がしい芸能界でのスキャンダルの裏側で政界で知らぬ間に何かが進んでいる。なんて陰謀説なんかも時々言われているのもわからないでもないような。

 

 

この本を読んだ後に、よくよくSNSの類を眺めていると。フィードの半分以上がリンクで覆われていることに気付くのですよ。私の関心ごとの延長戦上の情報なのだと思いますが、ここまでリンクだらけだったのだなぁと思うと怖くなってきます。地域で活躍されている方、活動のこととか。起業したとかなんとかとか。とても刺激的ではあるけれど。自分から求めているわけではないのですよね。情報を自ら集めたい、知りたいのであればモチベーションを上げる一つの手段になりそうですが。私は弱い人間なのでやっぱり影響を受けちゃうのです。知らぬ間に表示されて、勝手に影響を受けて、知らぬ間に意識が狭まっていたのかもしれないと。

 

 

だからといって、脱スマホとかそんなことを言う気はありませんが。一度自分の周りにある情報を点検してみるのは有用かもしれません。それは本当に必要なのか、いらない情報なのか。知らぬ間に情報に囲まれていると認識できるだけでも、影響の受け方が違うかもしれません。少し前に「断捨離」が流行りましたが、物理的なものだけでなく、情報についても整理すると効果がありそうです。

 

 

人が知らないことを、伝える、教えることは時に快感に近いものが私にはありますので(お酒を飲んでいると特に!)これもおじさんになってきた証拠なのかもしれませんが、多少物事を知らない方が、かえって相手の話を聞くことにつながり(変なプライドがなければ)、断片的な情報を知っているが故に、知らないことを「ああそれね。知ってるよ」って言わずに済みそうですし。私にはいい予防になりそうです。

 

 

休耕期ということもありますがおやすみが少し続くと、どうも気持ちが内向きになってダメですね。仕事も適度に忙しい方が、帰って休日もどこかへ出かけよう!となるのが一番健康的な気がします。休みも多ければいいってわけではないような気にもなりますが、本格的な葡萄のシーズンに入ったら入ったで、休みが欲しいとなるわけだから、それはそれで釣り合いが取れているのでしょうか。