ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

寒い日には旧交で温まる

冬に入ってからもぽかぽか陽気が続いていたこともあって「寒いけど寒くないよね」みたいな日々が続いておりましたが、ようやく冬らしい寒さがやってきたようです。それも先週末は数年に一度の寒波。ということで西日本では大雪に見舞われた地域も多かったようです。皆さんのお住まいの地域はいかがでしたでしょうか。ちらっと聞いたところによると沖縄とかにまで雪が降ったとか。沖縄って雪が降るんですね。

 

 

そんな週末。ちょうど車の車検のタイミングだったので寒気から逃れるように、私は山から降りて静岡におりました。いやぁ、すごい寒気だと聞いていたので、もしや地元にも雪が降るのかなぁとか。淡い期待を持っていたのですけどね。やっぱり静岡。みごとに雪の影はどこにもありませんでした。本当に雪が降らなくて住みやすいよい地域です。本当にありがとうございました。

 

 

 

金曜日の農作業の休憩の合間に、思い立ってある友人に連絡をしてみました。その友人とは前回顔を合わせたのは、数年前に結婚式に招待された時。ありがたいことに、年始にはご丁寧に年賀状で近況いただいていて。私もご返信はしていたのですが。毎年のように「今度、ワインをもってお家にお邪魔させてください」「今年こそはワインをもって伺います!」なんて調子のよいことを書いていたのですよね。今年も。だからしっかりとやりたいことリストに載せておいたのです。

 

 

sasariki.hatenablog.com

 

 

それもあって意識が働いたのか、手帳に書いたことによって引き寄せの法則が働いたのかわかりませんけどね。すんなりと連絡がついてとんとん拍子でお邪魔する手はずが整いまして。土曜日にはそのまま伺うことができるということに。心のどこかにあるつっかえがなくなったといいますか、大嘘つきな私の「行く行く詐欺」の呪縛から逃れることができました。

 

 

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その友人はその後もご成婚されていて、お子さんもいらっしゃいます。結婚をしていない私のような変な人間は着実に減っていて、同年代ではかなり少数派になってしまってます。まったくもってどうしようもないですね(笑 そんなことはどうでもいいのですが、私としては小学校や中学校の懐かしい話をしながら、一緒にスーパーへ買い物にいって、キッチンを借りてご飯を作りながら。楽しく食事をしながらお酒を酌み交わすというね。なんとも至福の時間でした。また、奥さんとは少しだけ顔を合わせた程度でお話をしたことがなかったので、普段いろいろな地域で新しい人に出会う感覚もあり、さらによかったです。

 

 

さてお酒が進んでいくと、現代ではありえないような事がちりばめられている小中学校の時の話で盛り上がったのですが。そんなたわいもない話の中にも面白い気づきを得ることがあります。今回はそれを残しておきます。

 

 

 

過去・現在・未来のどこに重きを置いているか

 

普通に話をしている中にも傾向があって。それは過去・現在・未来のどの位置に重きを置いているか。その傾向が人によって違うということです。例えば・・・

 

  • 過去をずっとする人がいつも同じ話ばかり

 

これは「過去の方が良かった」「将来に希望があまりない」と感じている人に多いといいます。

 

  • 未来の話をする人

 

そのままですが。将来に希望をもっている。やりたいこと(目的)がはっきりしていてそこに関心が向いている。

 

 

  • いつも話をしている内容が同じ

 

これはちょっと違うジャンルですが。付き合う人に変化がない、コミュニティーが狭い場合に多い。

 

 

なんて書いてみましたが、別にこれは一つの考えなので、ふ〜んってくらいにとって貰えば。ちなみに私の実感でいうと自分に対して甘いときや逃げたい気持ちが勝っているようなときには、過去の話ばかり触れることが多いような気がしますし。本当に好きなことややりたいことの話をしているときには、気持ちが前向きになるというか未来志向の話になることが多いようにも感じます。

 

 

最近、自分を取り囲む周囲の人たちに自分がどのような話をしているかちょっとだけ気にしてみる、また周囲の人に思い切って聞いて見ることで。過去・現在・未来、自分が今どこに関心が向いているのか。なんてことも客観的にみることができるかもしれません。

 

 

いつ気付けるか

 

小学校のとき、毎朝を走っていて大変だったよなぁ。そんな話題がありました。

 

3年生   600m

4年生   800m

5年生  1000m

6年生  1200m

 

と学年が上がるにつれて距離が増えていきます。毎朝規定の時間にグランドに出てウォーミングアップをして走るのですが、時間に遅れると走ることができません。毎回ただ走るだけではなく、タイムをきちんと計っており、自己申告制で先生にタイムを告げるんです。遅刻するのはもちろん、タイムが遅い場合、先生に怒られたり、鋭い目で睨みつけられたりしていたので。満足のいく走りができない日は、1日ブルーになってしまう。とこんな話。

 

 

この話に対してはいろいろな反応があります。

 

 プラス面

 

他校の生徒に比べて身体能力が格段に高かった。

クロスカントリーなど市民大会では上位を独占していた。

持久走のタイムが小学校のときが生涯で一番早かった。

 

マイナス面

 

走りたくもないのに毎日走らされていた。

先生が怖くてとても嫌だった。

他の学校の友達はそんなきつい運動をしていなかった。

 

 

少しだけあげてみましたけど。大変だったのは間違いないのですが、それはプラスにもマイナスにもとれるわけです。当時一緒に走っていた同級生などに話をきくととってもマイナスにいう人もあれば、苦労したけどその分足早かったよねぇという人もいるわけで、当たり前なのですけど。同じことを経験しているつもりでもみんな捉え方違うのです。

 

これがわかっているだけも、知っているだけでもなんでもいいのですが、友人同士、親と子、上司部下の認識の違いとかもほとんど解決しそうな気がします(なかなか難しいのでしょうけど)

 

 

今思えば、私はプラス面を感じることが多くて、毎日走るという「習慣の力」の凄さを知ることができるし、先生のプレッシャーがあったから、真剣に走ることができたのだと感じます。一見理不尽なように見えることも、実際にタイムが速くなることを実感できてしまうと、途中から自らの意思で走るようになっていたよなぁと。あの先生はやっぱりすごい!と思いました。

 

 

例えばもし、当時走っている時にこのことに自分が気づけたのなら「習慣の力」を利用して、いろいろなことにチャレンジできていたのかもしれないし。もしかしたら、気付いていた同級生がいて今飛躍した人生を送っている人がいるのかもしれない。とそんな想像をすると。気づけなかった自分の能力のなさと同時に、気付ける人と気づけない人の違いってなんだろうって考えると面白くなってくるし。どんな出来事でも何かを得ようとするのであれば、多くのことを得ることができるのだと。つくづく。

 

 

 

ここ最近は友人のお宅に勝手にボトルを持ち込んでは、人のお宅の綺麗なキッチンを汚しながらご飯を作るのが定番になってきてますが。もともとは実家に住んでいる時にレシピ本を読んで面白がって料理をすることから始まって、その後は「俺って料理ができるんだぜ」風にちょっとカッコつけるようになって、さらに調子にのってワインに合うように気を使うようになっていって。いつのまにかそれがなんとなく板についてきて、それが大事なコミュニケーションツールになってきているから嬉しいし、不思議ですよね。

 

 

 

まだまだ行く行く詐欺をたくさんしているので。果たしに向かわねば!