こんな時には "まいっか"
天気予報はあまりみないです。カレンダーもあまりみないほうです。平日に畑に向かうために車を走らせている時に、学生の姿や、車の数が少ないなぁなんて思って、なんとなく仕事をしていると「今日は○○の日で世間は三連休みたいだよ」なんて話をしていて、「ああ今日って祝日なんだ」ってことを知るんですよね。山に移住してきてからすっかりある意味「世間離れ」している様子。
今日は、朝早くに師匠から「今日は大雪のためにお休みしましょう」ってメールが朝一で入っていて。「やや、大雪かぁ」って思ってベランダから外を見渡してああ。本当だって。雪が降ることをというか降っている事を認識したわけです。パラパラというよりか、バラバラと雪が降っていて「銀世界でした」って言いたいところですけど。どうもこうも靄がかかっていて私にはちょっと怪しげな「灰色の世界」に見えておりました。そうしてちょっと調べてみると昼までに20cmくらい積もるということで。それじゃあ、雪のふらない土地の人間はお家でおとなしくしていようと。そう決めたのでした。
雪面に自分の影をみる
なにやら友人の上げている写真などをみていると、東京でも積もっている様子で。いやぁこれは電車が動かなかったり、通行止めとかありそうだよなぁとネットをみていると様々な駅で入場規制とか。そんなことがあるんですね。と、そうなってくると「間に合わない」「なんで動かないんだ」とか悲痛なツイートが毎度のことながら散見されていて。申し訳ないながら「大変そうだなぁ」と眺めていました。
雪国っぽい。
こうした「避けられない出来事」に遭遇した時。皆さんはどのような状態になりますか。どうしようもないことはわかっているけれど、感情的になってしまい。ますます焦りがましてしまう!なんてことがあるのではないでしょうか。
私が昔の例を挙げると・・・
過去に呑んだくれて終電でよく帰っていた時に、気持ち悪くなりながらダッシュで階段を駆け上り、間に合った〜と一息ついて、座席に座ると
「お急ぎのところ大変申し訳ありません。○○の影響で発車時刻を見合わせています」
と放送で流れていて
「うっぷうっぷ言いながらダッシュで走ってきたのに、そこまで急がせるなよ!!」
と酔っていたこともあり、意味のわからないちょっとしか怒りが出てきて、とても吐き気を催してしまって大変な目にあったことがありました。(これは違うか)
さて、私もまだまだ未熟なのですが。ある言葉に出会ってからは反応的になることがすくなくなりました。
目の前で起きた事象は1つ。どう反応するかは選べる
この事を知っていると、起きた事象に対して一瞬は焦り、怒り、恐れなど様々な感情が襲ってこようと、負のスパイラルに陥らずそこまで反応的にならずにすむことできます。マイナスに触れてしまいそうになったら、まずはできることがあればやってみる。なければ「まいっか」それでおしまい。だって結局受け入れるしかないからです。さらに自ら色々な感情を積み増して行って、ますます嫌な気持ち、不安になるのは損だとは思いませんか。
似たような話を、友人としていた時にこんなことを言われたことがあります。
「それはお前が前向きだからだからだよ」
「ポジティブに考えられるのはいいよなぁ」
確かにそうかもしれませんし、そうではないかもしれません。実際はポジティブなのではなく。受け入れる事に慣れているのだと自分は認識しています。なかなか人の思考や習慣は変わりづらいので、そのような時にはこのようなことをお話することがあります。
まずは起きた事をそのまま受け入れてみる。不安や恐れが出てきたら「もっともっと不安になろう」「たくさんイライラしよう」と自分で選択してみる。そうしていくと、思った以上に不安になれないというか、そんな自分がバカらしく思えてくる事もあるかもしれません(好きな著者さんの受け売りですが)
人間は「よく分からないもの」に不安や恐れのを感じるとも言います。
「自分はここが不安だったんだ」
と理解した瞬間に不安がなくなる事もあるようです。
こういった場面では、皆さんはどのように反応しているでしょうか。それを思い返してみるだけで、客観的に自分をみる練習になり。避けられない出来事に出くわした時、すぐに自分に立ち戻ることができそうです。
さて、今日はちょうどお昼ご飯を食べて一息ついていると。窓枠から日差しが差し込み晴れ間が見えてきました。そうすると同じ棟にすんでいるおばあちゃんが一人で雪かきをしていたので、長靴を履いて急いで階段を降りていって「よければ代わりにやりますよ」って。正直、雪かきってなかなかハードな作業で結構疲れるのですけど。家にこもっていた私にはいい運動になって。さらに勝手に「いいことしたぞ〜」っていう自己満足が満たされて。とっても爽やかな気持ちになりました。
明日は早く雪が溶けるといいなぁ。