ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

「不運」という「きっかけ」

先日の車のタイヤのお話。ディーラーの方に来ていただいて、タイヤを外してみた見たところ「ああ。きれいに刺さってますね〜」と、なんとも綺麗にタイヤの中央にぶっといネジが刺さっておりまして。みごとな刺さりっぷりに「こんなに綺麗に刺さってしまうものなのですねぇ」と口からぽろっと。本当は先週末に行きたい場所があったのですが、車が動かないことにはどうにもこうにも。ようやく車の修理が終わりまして、一安心です。しかし、本当に車がないと不便ですね。私の場合思いつきで何処かへでかけて見よう!って事が多いので、それができないと私の本領が発揮できないよねって。

 

さて。ということで。予定をこなせないということは。すっぽりと予定が空いてしまったので。もし時間があえば・・・と(完全に私都合の)淡い期待をもって、しばらく挨拶に行っていなかった友人のところでいったり「今度帰ってきたら声をかけるね〜」ってやっぱり宣言していた友人にお声がけをして、お相手をしてもらいました。

 

 

 

 

ほぼほぼ一年前。思い起こせばお邪魔させていただいた友人夫妻のちょうど結婚式だったりして。ワインを傾けながら話をしていたらやっぱりその話になると。依頼されていた印刷物を作ったり、直前に泊まりこみで結婚式の準備を手伝ったりして。なんだかよくあそこまで頼まれたものを仕上げることができたものだと。また、あれからもう一年も立ったのかぁという感情とあわせて「ああ、もうあれから一年時がたったのだな」と時の流れの速さを感じました。

 

sasariki.hatenablog.com

 

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ますますよい夫婦になられてました。

 

 

今では第一子も誕生して、更に時の流れを感じてしまうと。時の流れを感じることばかりにですね「時間たつのがあっという間だよ」と、お歳を召された方々がおっしゃいますけれど。それだけ時の流れを感じる場面が多くなるということでしょうか。昔は大人になったらどうなるのだろうって想像していたけれど、学生時代の時と今の自分を比べるとさして根幹の部分は変わっていない感覚なんですよね。自分は変わっていないけど、周りはどんどん変わっていく。ライフイベントが一番目につきやすいけれど。小さな変化でもより大きく感じてしまう気がしますね。自分が変わっていないだけに。

 

 

時の流れに意識が行くと、よい歳の重ね方をしているのだろうかと意識が向かいます。そうすると頭に浮かぶ言葉があります。

 

何によって憶えられたいか

 

ドラッカー先生のお言葉。

 

「私が十三歳のとき、宗教の先生が、何によって憶えられたいかねと聞いた。誰も答えられなかった。すると、今答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよといった」*1

 

ふと思い出した時にはじっくり考えます。やっぱりまだ答えられない自分がそこにはいるのでしょうか。問いかけられる度に迷います。自分の今やっていることの延長線上に答えがあるのかわからなくなります。とにかく私を悩ませるくらい心の奥深くに問いかけてきます。それは私のとっては原点に帰る問いかけでもあるので。意識するだけで行動が変わっていくようにも。

 

それでも過去に自分が関わった事柄に対しての感謝を受けたり、すこしでも心に残ることをできたのかもしれないと思うだけでチカラというか自信につながりますね

 

 

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しぞ〜かおでんをつつきながら。

 

昨夜は昨夜で、私より年齢が下の友人にご一緒してもらったのですけど、毎度のことながら気づきがあるわけで。その友人は静岡に1人で出てきて生活しているのですが、同じ年齢の時は実家ぐらしで全然あまちゃんだったし、その友人は結構遠くから出てきているので、私にみたいにしょっちゅう地元に帰ることができないので、その勇気というか勢いがすごいなぁと思います。そんな風に思いながらも、偉そうに色々と私が思ったことをお伝えしますけど。それが全部自分に返ってくるというね。過去にも触れたことがありますが、人にアドバイスしている時って、相手よりも自分に問いかけていたりするのですよね。意外と偉そうに話をしているけれど、実際に自分ができていないことも多くあるわけで。人間って面白いなぁと思います。

 

こうして何気ない事を書いてますが、タイヤがパンクしてしまったというトラブルがあったから、連絡して会いに行こうってふと思いついたのです。そこからこういった良い時間を共有できたり、気付きが生まれたと思えたとしたら。もしかしたら、今回の気付きが今後に私の人生に影響を与えることもあるかもしれないし、不運があったからこそ、始まる運もあるのかなぁとも思えてしまいます(ポジティブって思われちゃいますかね)

 

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そういえば、最後に街のコーヒースタンドで締めに一杯のんで行こうと思って向かったら、スーツを着た方々が月曜日の深夜から酔っ払っていたり、色々な女性に声をかけていたりしている光景があって。ちょうど私が注文待ちしている時に話しかけてきたり。

 

「今、あそこにいる娘に声をかけていい感じなんですよ〜」

「いやぁ、自分は実は子持ちなんですけど、どうしましょう」

 

なんて話を、うんうんと聞いていたのだけど。

会社勤めをしていた時、街に毎日のように繰り出していた自分をくらべて。

 

「うん、俺はもうちょっとましかもしれないな」

 

と、カプリーノをすすりながら安堵の気持ちで家路につくことができました。

 

 

ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営

 

 

*1:非営利組織の経営』