ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

収穫がくると見つめなおす

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初収穫のぶどうたち

 

お仕事まっしぐら!8月末から葡萄の収穫シーズンが始まりました。なんかあっという間で今回で2度目の収穫シーズンなのですよね。去年の今頃。初めての事だらけでアップアップしていた自分が不思議なくらい。今年は落ち着いて作業をすることができています。ますます農民になってきているのかしら?

 

余裕が生まれてくるということは「慣れ」が生じてくるということ。「慣れは恐ろしいもの」なんて言葉があるように。戒めとしての印象を持っているようです。私もかつては普通に会社に所属して仕事をしている時には、当然ミスもありましたし。その中には慣れからくる、怠慢が原因だったことがあったと思います(申し訳ない)始まって一週間ですが、気を引きしめて進んでいきたいと思います。

 

さて、収穫もさるところなら、明け方に出荷した葡萄を東京の市場に配送をすることになって、お師匠さんに付き添いでついていくことがありました。東京の市場と言っても山梨と東京の県境に近い場所。学生時代に社会でなんとなく習っていたであろう。流通の仕組みを実感として理解することができたように思えます。って今さら何言ってるんだって思うかもですけど、過去のパソコンの前に座って仕事をすること、現在のぶどう畑で作業しているだけでは、見えないものってあるんですよ。

 

そうして、東京まで行くということは。大体行き帰りで3時間くらいの道のりになります。当然そうすると向かう車中で色々な話を伺うのですけど。私が考えているこれからどうするかとか、話をしたり。就農について聞いたり。色々と感じることがあったのでちょっとだけ。

 

私が山梨に来た理由ってなんだろうって考えた時に。思いつくことはいろいろあって一つには絞ることができないんです。面白い友人たちに出会って影響を受けたから、家庭環境からくるもの、趣味から派生したもの、過去に口に出したことを実行しているだけ。上げればキリがありません。その時師匠に話をしたのは

 

「農業学校にも入れなかったし、どうしようか迷いましたけど。葡萄をやるって心持ちにせっかくなったし、山梨にとりあえず来ることにしたんです」

 

なんて事を話をしていました。

 

そうなるとですね。会社勤めをしてきた時にあたった壁を思い出すんです。足りないものってなんだろうって。

 

それは「覚悟」かなと。

 

覚悟ってどうもこうも私にはしっくりこない言葉で。前の会社をやめるときは何でもできる気がしていたから「覚悟」ってなかったし。山梨で葡萄栽培に関わってみようって思った時も無理だったら静岡に逃げ帰ろうって思っているから(今でも)そこには「覚悟」がない。もしかしたら「覚悟」をする状況に至っていないのかもしれないし、ただ「覚悟」が必要であろうものを避けて生きているのかもしれない。まあわかりませんけど。

 

kotobank.jp

 

そうやってなんとなく調べると覚悟の意味合いに一つ気になるものが。

 

〘仏〙 悟りを開くこと

 

・・・。悟り。

 

こんな意味合いがあるとは思っていなかった。

 

別に私は悟りを開いているわけでもないのですけどね。こうしてみると覚悟が必要ということではなくて、今ある状況を素直にすべて受け止めている人というのは覚悟をしているということ。語弊を恐れずに言うならば、普通に生きている人はある種の覚悟をしているのではと思ったのです。変わらなくてもいいという覚悟を。

 

ある住職さんのインタビューを聞いた中でこんな話がありました。

 

成功している人とか、有名人というのはね。

必死にもがいている、往生際が悪い人なんだよ。

 

と話をしている一節があるんです。現状を受け入れないからこそ動けるということなのでしょうか。

 

 

なんてね。

 

ある種のサイクルというか波のように一定の間隔で、こうして考える機会がくるようです。しかし考えこんだり悩んだりした後にくるであろう波も知っています。悩んだりした時には「おお、すぐそこまで次の階段がキテるな」と思うようにすると。悩めることができる人間って贅沢だと思えます。

 

師匠は「収穫が始まるとくると、もう来年のことを考えはじめるよ」といっていました。収穫とはそういうタイミングなのでしょうか。

 

 

明日も朝一から収穫〜出荷の繰り返し。経験からかだいぶ畑ごとの葡萄の特徴を見分けられるようになってきました。もう一歩進んで葡萄と付き合っていければと思います。