“本を読むこと”を思い出す
今日は朝からざんざんぶりの雨でした。そうなれば農作業と言うわけにも行かず。今日はお家にこもっておりました。ありがたいことに曇り空が続いたことで、たいして湿気も増えず。屋内でも涼しく過ごすことが出来ました。少し前までは、窓を全開放して扇風機をガンガン回して(エアコンがないので)いたのですが、確実に夏の終わりを感じるとともに、秋の足音が聞こえてくるようですね。
タイミングが良かったのか。前日の夜に時間があったので、山梨で一番大きな書店さんに行ってみようかしら。とふと思って出かけていき。以前からチェックしていた本を三冊ほど購入しました。となると、晴耕雨読のごとく。ゆったりと読書をして一日をすごしました。
そうして、のんびり読書していると。やっぱり読書って面白いなぁと思って。無心に本を読んでいると。先日の旅での出来事を思い出したのです。
- どこからそのような考え方に変わったのですか
- どうして今は農業をやっているんですか
- なんで会社を辞めたんですか
なんか山梨を離れている間に、多くの人とあった時に何度か質問されたんです。いつもであれば私の頭の中に蓄積されている「決まり文句」を言って、相手もなんとなく納得していたのですけど(私はそう思っている)その中でも丹波で一対一で話をしている時に最後に気づいたことがあったのです。
「全部、本からの影響を受けているかもしれないね」
って。ぽろっと自分の口から出てきたことにはびっくりでした。
そう。質問に対しての回答のほとんどは過去に読んだ本の中からのものだったのです。(これは引用と言うべきなのか)
レバレッジリーディング。本田直之さんの本を見つけて、ビジネス書などを多読するようになってのが社会人2年目。それから8年くらい経ちました(時が立つのは早い)当時も今もビジネス書などを読んでも効果がないって思う人も多いし、そもそも本を読まない人が周囲に多いのですが、私もかつてはそうだったのです。しかし、今の自分があるのはあの時に途方もなく毎日毎日、本を読んでいた積み重ねがあったからなのかなぁと思います。
そのおかげ?からか、おこがましいながら、知人から相談を受けたりする事があったり、さして世間話をしていながら、途中からなんとなく私が感じたその人の潜在的な部分をお話したりして、相手に気づきを与えるような事を自然とするようになっています(おせっかいの場合もあるけれど)どうしてそういうことができるかといえば、本を読んでいたから。そうして多少なりとも実践していたからなんですよね(ってどれくらい実践できているだろうか)
この実践の部分って重要で。本を読んでも行動に移さなければ意味がないと思うのです。よく著名な方、経営者の方も言っていますし。私そう思います。でも実践するのは難しい事もあります。でも書いてある内容を100%実践をしななくてもいいと思うのです。本の数ページの内容だけ。できるところだけでも変化は確実に起きます。というか知らぬ間に起きているのかなって。
実践することで本に書いていないことが起こってきます。例えば、人それぞれの本を読んでの解釈で動いているので、著者さんが言いたいことと多少ズレが生じてくる。そのズレははじめは小さいけれど、実践していくに連れて、オリジナルの考えとは別になっていくんです。うまく言えば、著者と読者の思考が混ざった状態というのでしょうか。それは読んだ人オリジナルの一部になっていくといえるかもしれません。ましてや、多読をしていれば多くの本からの影響を受けていくので交じり合い、新しい考えになっていくのではないかなと。
私の判断基準は本を読んで印象に残っている部分から引き出してきて、そのとおりに実践しているだけだったようです。最近は金銭的な問題をいいわけにして、新しい本を買って読むということが少なくなっていました。これではこれから先の数年の中で困難があったとき。自分で自分を助けることができない。確実にマイナスの影響が出てくるかも。って想像したら。ちょっと怖くなってきました。
最近なんだか、妙な閉塞感があったりして。それを打開するために。色々な人にあったり、土地に行ったりとしていたわけで。それなりに、打開するためのヒントは集まってはきてはいます。それでも足りない部分があるんです。社会人の時。どうしても解決できないことがあった時。何をしていたのかと思い出すと。
本を読んでいたんだ
って。
私にとっての初心に帰ること。それは本を読むことなのかもしれません。
本棚も整理しなければ。