ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

順調すぎると怖い

もっぱらぶどうの房作り。昨日も房作り。明日も房作り。しばらくずっと房作り。もくもくとハサミをチョキチョキ。のんびり作業をしているようで、手だけはこぎみよく動かしています。もし数えてみたとすれば、何千回。何万回もチョキチョキしているかもしれません(これで筋肉がつけばいいのにって)向かい合って作業をしているけれど、やっぱりオーディオブックを聞きながら作業しているのでめっちゃ集中して作業できています。おかげさまでいつの間にか時間が経っているので1日が大変過ぎるのが早いです。そして、しっかりと日焼けしちゃってます。手だけ裸でいるためにチョコレートみたいな色になっています。本当にありがとうございました。

 

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まるで棚一面が綺麗な緑の絨毯に見えます。

 

おうちへ帰ると数日の夏の陽気のせいなのか、心地よい疲労感が一気にのしかかってきて、それはそれは眠気が恐ろしいほどに襲ってくるのです。おかげさまでここ数日ブログを書こう書こうと思って、パソコンに向かっているのですが、途中で耐えることができなくなってしまい、電気を消して、寝床に潜り込んと3分経たないうちに夢の中に誘われています。なんとも良い生活をさせてもらっております。

 

 

よって、自分の時間をゆっくり持てないのが最近の課題だったりします。本当はもっと自分の時間を作って、やりたいこともあるわけなのでコーヒーとか飲みながら、眠気を押し殺しながら自分の時間を作ってもいいのです。しかしそれでは日中の仕事の効率が落ちてしまうのでそれでは本末転倒になってしまうので、素直に寝るようにしています。おかげさまで朝日が昇ってくると自然と目が覚めてます。これってなんでもないようなことなのかもしれませんが、とても幸せなことなんだなぁと思えてきます。

 

 

山梨に来る前には周囲から「農業は大変だ」「覚悟が必要だ」とかよくわからんことをしきりに言ってくる友人、行政の方々が多かったので、多少の「覚悟」をもって「嫌だったら逃げよう」って逃げ道も確保して移住したのですけど。今思えば何が大変なんでしょう。何と比べて大変なのでしょうか。こんな充実した生活なんてないような気さえ思えてきます。昼間は畑仕事にせいをだして、帰ってきたら、いただいた新鮮な野菜を使ってご飯を食べて。眠たくなったら寝ると。一度味わったら抜け出せなくなりそうです。

 

 

だからこそ恐怖を感じます。だって楽なんですもん。こんなに楽しすぎていいのかって思ってしまう。辛いことがないのです(独り身だから余計に楽なのかもね)これがやりたいことをやっているのからか!と思うこともできるのですけど。会社に勤めているときは、このままでいいのか、今動かなくてどうする?みたいな恐れが占めていたのですけど。今はこのゆったりした環境にいていいのかって。思ってしまって仕方がありません。

 

昔はなんか目の前に壁があったり、試練があると「どうしよう」って困っていたものですけど、そういうことがなかったらないで「どうしよう」って思ってしまうと。

 

どうしましょう。

 

あくまで、私の考えですけど。目の前に試練や困難があるときのほうが人って楽なのかもしれないって。目の前のことに必死になっていればいいわけですから。しかも私は頑張っているのだ!って実感も持てますし。満足も出来そうだなって。へんに余裕がないほうが必死さがあるというかなんというか・・・ん〜ごめんなさい。いつも通り、へんなことを言っておりますかね。もしかしたら、昼間に聞いていたオーディオブックがちょっとスピリチュアルよりだったので、その影響が滲み出てしまったいるかもしれません。お許しあれ。

 

 

仕事終わりに・・・。畑を貸してもらっているおっちゃんが「青梗菜食べるかね」って聞いてきたので「おう、もりもり食べます!」って言ったら。夕方に畑から採ってきてくれて、ありがたいことに青梗菜と玉ねぎをたくさん頂きました。頭がさがるばかりです。

 

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青梗菜、玉ねぎがもりもり

 

 

早速おうちに帰ってもりもりいただいたのですけど、もうね。包丁を入れるときの音が違うのですよ。張っているというか、みずみずしいというべきか。炒めても食感がシャキシャキでびっくりでした。採りたてって最高なのです。これでますます私の植えた夏野菜たちに期待してしまいます。たくさん可愛がって。よい実をつけてもらわねば!