ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

それほどの者ではありません

週末は良い天気に恵まれておりましたが、週明けからはまたもや天気は下り坂。仕事には出ておりますが、畑に出ることはなく。農作業小屋を改築したり、農具のメンテナンスを念密に行っておる感じです。来月にはぶどう畑全般に芽が揃い始め、芽かきの作業に追われることと思います。そうなってからでは刃を研ぐことはできません。動き始める前にしっかりと準備はしておきたいもの。農業に限らずいえることですね。

 

なんだかですね、週明けてから不摂生がたたったのか。体調がすぐれません。それはまあ飲み過ぎからくるものだからいいのですけど、昨日はなんか久々に落ちてしまって。そういうときに限って更に色々な心配事とかが他の場所から急に現れたりして、ますます気が滅入るという。やっぱりそれは週末のイベントが心地よすぎてその反動がきたのかもしれませんね(笑 すごく楽しい事や幸せな事があった後には、急にガツンと下がるとときがあると。でもそれは私のなかの人生の波のちょっと上下が大きかったところに当たっただけ。また収束していく事はわかっています。知っているからこそ辛い事や不安に対して必要以上に反応しなくなります。だっていい事が後にまっている事を知っているから。

 

 

そんな感じで、朝起きたら「ああ考えすぎたわ〜」と思って普通に戻ったわけですけど。そうなると冷静に振り返る事ができるわけですが、昨日考えていた事の一つにこんな事があるんです。

 

自己評価と周囲からの評価の乖離が大きい

 

要は自己評価が低すぎるってやつかしら。

 

去年からの流れで、ますます新しい方たちの出会いに恵まれています。その中でありがたい事に相談を受けたり、ワークショップとかで人の前で語ったり、デザインをやらせてもらったり・・・(感謝でいっぱいです)そこまで私がやっていいんですか!という事が多くてですね。戸惑ったりする事が最近多いのです。それって別に人のために動いているわけではなくて単純に自己満足でただ楽しいからやっているだけだし。お世話になっているお返しでだったりするので私の普通の中でやっているのだけど。周囲にはそう見えていない事もあるようなんです。

 

その中で「色々知っているね」いわれるのは、ただ私が知識武装をしているだけだし。また一番違和感を感じる事があるのが「すごいですね」って言われる事だったり。嬉しい半面、怖く感じることがあるんですよね「私ってそんなすごくないよって」心の奥底ではそういっている自分がいます。それは期待に答えられないかもという不安、イメージに近づかなければいけない、自分は天狗になっているのではないのかって。

 

特に最後の天狗になっていないかということ。これはよく私を苦しめます。私の一番合わない人というか「偉そうな人」上からの目線でしか見れない人には抵抗を感じるのです。そう思っているからこそ、自分がそうなっていないかがいつも気になります。あの時こういうように言ってしまったな。初見なのに偉そうに話をしていたかもしれないって。もうキリがありません。それを破ってしまうと、自分が自分でなくなってしまうから。嘘つきになりたくないんですよね。

 

でも、どうも話をしていて熱を帯びてくるとも自分が思っている「偉そうな人」になり下がっている気がして(ごめんなさい)悪く思われたくないのでしょうね〜やっぱり。

 

 

私が好きな著者さんが言っていたのですが

 

才能は磨いて、分かち合わなければ呪いになってしまう

 

もしかすると周囲の方は私の違った才能を見つけてくれているのかもしれません「そんなことないよ」って自分で決めてしまえば前に進まなくていいから安心できるんです。また、人からお礼されたり感謝をされたりするときに、素直に受け取れない自分がいたりして。人に何かしてあげるのはすごい心地良く感じるのに、いざ逆になるともう一気に申し訳ないやら、なんやらで自己イメージが下がってしまうと(いや〜我ながらめんどくさい)

 

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困ったときの本頼み 

 

そんなことをしていたら、そこで止まってしまうし前には進めません。たじろいでしまうのではなく、素直に受け入れて自分の成長につなげていければ人間としてもうワンステージあがれそうな気がします。今はそういう時期にきているだと思って、頭で考える前にまずは動かなくては。とまあこんなことをネチネチ悩んでいる私はまだまだ修行がたりないようです。