ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

土いじりが楽しい理由

天候不順なのでしょうか。朝起きたらとてもいい天気。日差しが心地よく感じていたのに。畑に出た途端に雨が降り出しかっぱを着て作業をスタート。しばらくすると太陽が顔を出し始め。あたり一面が明るくなりました。暑いあつい!と言いながら、かっぱを脱ぎ捨てて。これでようやく気持ちよく仕事ができると思ったらつかの間。いきなりの土砂降り。なんだこれ・・・。その後十数回、雨が降ったり、陽がさしたりの繰り返し。全くもって仕事になりませんでした。

 

ちょうど今日は、高地にあるすももの受粉作業をしていたのですが道半ばで諦めて撤収することになってしまいました。だって受粉した花粉は雨によって流されてしまうので。それでは不完全。身がつく確率も大幅に低下してしまうものです。すももの花は散り始め。いつまでも花をつけているわけではなく、散っていく運命なのですから。人間合わせて動いてくれませんね。それも自然の中にいるからわかること。自然に翻弄されるというべきなのか、自然に人間が生かされているというべきなのか。いろいろと気付かされますね。

 

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受粉は途中で断念

 

別にイライラしていたわけではありませんが師匠と

 

「なんか今日はやけに天候に翻弄されるね〜」

「うまくいかないときはこんなもんだよね〜」

 

なんて話をしていて、がっくりだったのですけど。休憩中にふと地面をみれば、一面黄色の絨毯のようで。まあしょうがないさ。ってそんな気持ちになりました。

 

 

 

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タンポポさんが幅をきかせています。

 

 しばらくはこんな天気が続きそうですが、晴れでなければ出来ない仕事いっぱいあるので晴れるときにはスカッと一日晴れて欲しいものですね。

 

 

今日は仕事でしたけど、昨日、一昨日は一日中雨が降っていたので仕事にならずお家でじっとしていました。いつもながら、まあやることがないのですよね〜。雨の予報だから数日休みになると分かっていれば、車に乗って一人旅とかしちゃうんですけど(出かけたら帰ってこないかも)お休みは夜の予報や、朝の天気次第なのでそんなわけにはいかないのです。

 

じゃあ、なにをしようかなぁと。小さなベランダから雨模様を伺っていたのですが。そこでふと思ったのですよね。「ベランダのハーブ以外に仲間を増やそう」って。ちょうど先日のブログの終わりに「ズッキーニ」でもやろうかなとか、つぶやいていたのですけど。ズッキーニをベランダでやるにはちょと大変そうとのことをお聞きしまして。結局ノープランで近所のホームセンターに行ってきました。

 

雨の中、野外の苗売り場を歩いていたところ。なにやら「トマト」の苗がフェアか何かでたくさんの種類が置いてあったのです。普段はなかなかトマトって手が出なくてですね。私の食卓にはトマトは並ばないわけです。そうやってみていたらなにやら見覚えがあるトマトの品種があったのです。それは「アイコ」という品種。実家でもプランターで毎年、おじじとおばばちゃんが作っていたのを思いだしたのです。

 

毎年夏になると、ボウルいっぱいに採れたトマトがよくテーブルにのっていて。食べても食べても減らなかった覚えがあって。なんか惹かれてしまったのですよね。なんか育てている時に昔のこととかも色々と思い起こすこともあるだろうなぁなんて。あれだけたくさん取れていたのを目の当たりにしていたというのが一番の理由ですが、トマトに決定となりました。「アイコ」「イエローアイコ」を購入。早くおうちでやりたいなぁと思ってレジに向かう途中で、ふと視線に入ったのが「ペパーミント」目に入ったという理由で連れて帰ってきました。いい場所に置いてますよね。しめて3つ新しい仲間を買って帰りました。

 

その後はお家のベランダの整理をして、プランターに土と肥料を混ぜて、トマト達とミントを植えていきました。ぶどうとすももを栽培しているわけですけど、それとはまた違う楽しさがありますね。どれくらいで大きくなって、この時期くらいには実がなるのかしら?なんて一人で思いを馳せながら、時間も経つのを忘れて土をいじってました。

 

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さらに充実してきました。 

 

 

よくよく考えると、これも一種のワクワク。種を植えて、芽が出て、葉をつけ、花をつけて、実をつける、種をつける。小学校の理科?の課題で育てた人も多い(今の小学校はどうなのでしょうか?)はずなので、だいたい予測がつくわけです。だから頭の中で確信があるんです。だから今回の場合で言えば、美味しいトマトが収穫できる予定で動いていると。そんなところです。

 

この頭の中の流れって、普段の生活でもつかえると思うのですよ。土いじりをして苗を植えている時って失敗することは考えていないのです。だから不安がなかったのです。初めから「トマトはちゃんと育つだろうか」「ついた実を盗まれないだろうか」とか不安がっていたら楽しくないですよね。育てていく途中で、虫がついたり、葉が枯れたりすることもあるでしょうけど。そこで初めて不安になればいいわけですし(家庭菜園なので)その時も多分ネットで調べて対策もすぐ見つかると思うので、結局大丈夫だったりするわけです。

 

そうすると「お前はポジティブでいいなぁ」いうようにいわれてしまいそうな?感じなのでしょうか。確かにポジティブよりの人間なのでそういう発想になるのかも?しれませんけど。ポジティブに考えているというよりかは、好奇心というのか、ワクワクで飛びついてしまうので、不安が湧く暇がないのだと思うのです。誰しも夢中になっている時って他のこと考えていないでしょう?

 

それと繋がるかわかりませんが、自分がマイナスだと思う言葉を使わないようにしてるんです。例えば「大変です」「疲れた」とかそういった言葉を日常的には使わないようにしていたり、人に対しても「頑張って」などの言葉は極力使わないように。だって「頑張って」「頑張ります!」のやりとりを見ているだけで大変そうですもん。そうやって自分の気持ちをマイナスに持っていくような「不安の芽」を生やさないように。また、生えてきても早めに摘むことができています(私の場合)

 

と偉そうに書いてますが、数年前に人の相談にのっていた時には「頑張れ」ってアドバイスの中で言っていた時期もあったりして。そこから、人にそんなことを言っているのに「やる気」がどうしてわかないのだろう?「熱意」ってどうしたら生まれるのだろう?とか悩んでいた時期があったりして(昔のブログを見ると多分ね、悩んでいる様子をかいていると思う。恥ずかしくて見返せないけどw)密かにそういった経緯を経て、どこかのタイミングである本をよんで徐々に気持ちに変化がでてきたんですよ。

 

 

「モチベーションが必要なことはやってはいけない」

 

とまあ、ある本に書いてありまして。

 

初めはなんだそれ!って思っていたのですけど

 

「ああ、私は一生懸命頑張って熱意を上げようとしていたんだ」

 

と気付きまして。どうやら探すものではないのかもしれない。と自分の中では落ち着きまして。そうなると「頑張って」って人にいうのは違うよなって。その言葉はなかなか使えなくなってしまったと。そんな感じです。

 

いやぁ、見返してみると、話があっちこっちに飛んでますけど。よしとしてください。

 

あくまで、私は好奇心が強みらしいので、ココロの中心に好奇心をさえ置いておけば何事もうまくいきそうだし、だいたいは気持ち良く生活できそう。トマトおいしく育って欲しいものです。