ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

一見よさそうな「ポジティブにとらえる」の選択

今日は雨予報でしたが、午前中はなんとか天気がもったので小屋の屋根の上を覆うシートを四方八方張り巡らせ。ぱらぱらと雨が降り出したときにはほぼほぼ終了。本降りになる前に天井を覆うことができました。今回載せたシートは10㎡だったので、重いしでかいし、つるつるだし。どうなることかと思いましたけど。うまい具合に事が運んで一安心でした。雨が降ると予報でわかっていたからこそ、スムーズにできたのかもですね。

 

f:id:riki-yan:20150226220007j:plain

 少しの晴れ間。これからすぐに空が覆われていきました。

 

ちょうど昨日、ありがたいことに地元の友人から久々にお誘いの電話があって、何だかんだで数十分ほどお話をしていたのですけど。その中で、別に悩みというほどではないけど、なんとなくそう聞こえた私がなんとなく「□□のように考えればいいじゃん」って言ったらですね「そうだよね。ポジティブに考えるようにするよ」って、続けて「◯◯はいつもポジティブでいいなぁ」なんてやりとりがあったのですよね。

 

目の前に半分の水が入ったコップをみて「もう半分しかない」と思うのか、まだ半分ある」と思うか。

 

なんて話がありますけど。ポジティブにとらえればいいよねって事を言う時。前向きだし、うじうじ悩んでいることも、その一言でどこかへ飛んでいくような。そんな魅惑の言葉のように聞こえますけど。

 

「ポジティブにとらえるよ」って答える時

 

ポジティブ or ネガティブ

 

みたいな構図になってしまっている?のかなって

(あくまで私の感覚でですけどね〜)

 

人に相談をして助言をもらったりするときの返答が「ポジティブにとらえるようにする」ってニュアンスで伝えてきた人って、ポジティブに捉えきれてないような気がするのですよ(偏見かも)両方を含む場合だってあるし、人間ってそこまでうまくできてないし、人それぞれ違う。

 

だからそれが

 

「ポジティブなのかネガティブなのか」

「良いか悪いか」

 

みたいなに絞り切れるはずがないのです。ポジティブも使いようだとは思いますけど。あまりそちらに持っていくことは、気がつかないうちに心労がたまってしまうのではないかなぁと。だってネガティブをポジティブにとらえるのは難しいですから。180度気持ちをかえれるものでしょうか。

 

じゃあ、お前はどうしているんだ、何が言いたいんだよってことになるんですけど。

 

今の段階で答えるとするのであれば。

 

あるがままを受け入れること

 

(偉そうです。すみません)

 

ポジティブ、ネガティブ、良いこと、悪いこと、なんでもないこと。全てをそのまま受け入れる事ができると、まあ余裕があるかなぁと。

 

目の前に何かしらの出来事があった時って考える間も無く、何かしらの感情が湧いているはず。その後に理性が働いて感情に割り込んでくる。そこで理性が出した答えが自分の気持ちだと錯覚しているのだと。その時点でもう受け入れる事が出来ていない。だからはじめに沸いてきた感情は消すことはできないので、理性が判断したことが正しいのだって言い聞かせることは「自分に嘘をついている」ことになるのではって。

 

自分に嘘をついていくと、それが普通になっていくと嘘が積み重なっていく。そうなるとどんどん自分がなくなっていく。はじめに出てきた感情がそれが「素直」により近い感情なのではと(今の私は)思うので。その感覚大切にしてほしいですよね。

 

なんて自分を大切に、過保護にしていった結果が農民を名乗ってこんな偉そうな事を語るようになってしまうし、自然と調和していくし(勘違いかも)、欲がどんどんなくなっていくし、最終的にはこれからどうしたいかとかもよくわからなくなってくるのですから。結局よくわからんよねってことで、無理にオススメはできないのですが。なんとなくピンときたらやってみると、多少は気持ちに変化があるかもしれませんよ(といっておきます)

 

最近のご自身の周りであった出来事にたいして

 

どのようにカラダがココロが動いたでしょうか。

はじめにわき起こった気持ちを大切にしているのでしょうか。

知らぬ間に自分に嘘をついていませんか。

 

 

完全な私見でした。ご了承のほどを。