ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

雪が舞うのを見て想い出す

昨日は雪の予報でお休み。東京でも雪は降ったのでしょうか。TVのない私にはそんな情報知らずわからず。そんなニュースでさえも離れてしまってどうしようもありません。私が住んでいる山梨の地域では、早朝から夕方まで降っておりました。とってもふわふわと羽のように。まさに「雪が舞っている」という言葉がしっくり来るような光景。別に雪が毎年降っている地域ではなんでもないのでしょうけど、なかなかお目にかかれない地域に住んでいた私には新鮮で、時間が経つのを忘れてしばらくたっていました。

 

別に雪って言ってもスキーとかも行ったことあるから、珍しいとは思わないのですけど。日常にある風景として認識するのとは違うわけですよやっぱり。スキーやっている時には雪だ〜って感覚は車から降りた時だけで、その後は滑りに夢中でじっくり見てないのですもの。降っている雪だって、どんな形で、どんな大きさでとか。気にしている暇もないですからね。ベランダで見るのとは大違いだったわけです。

 

おかげさまで、今日の畑には新雪が積もっていて、手で触るとふわふわしていてもう最高でしたよ。触っているだけで飽きないし、嬉しくて、無駄にモチベーションが上がってしょうがなかったですからね。(靴はびしょびしょで夕方、足の冷えが最高潮でげんなりでしたけどw)

 

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標高が違うと寒さも違うね。やっぱ

 

 

こうやって雪をベランダから眺めていると、高校の時を思い出すんです。その時は雪までは言わず風花だったのですけど。高校生であってももう大騒ぎなわけですよ。みんな窓の外の雪を見て「積もるかな」「まじかよ雪だぜ」「お〜降ってる降ってる〜」って。もちろん雪が降ってくるのは休み時間中ではなく、国語の授業中でしたね。生徒が落ち着かないと、そりゃあ先生も困るよねって話で。なんだかんだで最前列の席だった私は「そろそろ先生が怒り出すぞ〜」なんて見ていたんです。

 

そうしたら予想に反して、しみじみと私にこう語りだしたんです

 

ちょうどな、前にも雪が降ってきた時があってな。そのときは確か職員室でALTの先生(外国人の先生)とかと談笑をしていたんだよ。そうしたら廊下で学生たちが騒ぎ出すのが聞こえてきて、ALTの先生が聞いてきたんだよ。

 

「なんであんなに騒いでいるんだい?」

「ああ、風花が舞っているみたいなんだよ」

「風花ってなんだい?」

「そとで雪が舞っているでしょ?それが花びらが舞っているようにもみえるから、日本ではそう呼ぶことがあるんだよ」

「ふ〜ん、ただのパウダースノー(粉雪)か。あんなに珍しいのかな」

「ああ、このあたりだと雪が滅多に降らないからじゃないかな」

 

ってことがあったんだよ。

 

外国から来た人に「風花」っていってもわからないんだよね。みんなはどうおもうかわからないけどさ。風花って聞くとなんとなくイメージができるでしょ。それは海外の人にはない感覚なんだよ。こうやって昔の人が風花って呼ぶセンスというかさ。風情があっていいと思わないか?あんましそう思わなくても感覚的にわかるんだから、日本人の感覚ってすごいなぁと俺は思うけどな〜。

 

と、若干言い回しは違うかもですけど。この出来事だけは鮮明に覚えているんです。当時私も時代物の小説にはまっている時期で。なんとなく先生の言わんとしていることが肌感覚で分かった気がして。また、そんな風に感じて素直に口に出して言える先生の感覚が素敵だなぁと。美の感覚というか、美的センスというべきなのかわかりませんけど。なんか日本人に生まれてよかったなと初めて思ったのですよね。だから個人的には印象深い出来事で。

 

そのような些細な物事の中からも、いろいろなことを感じ取れること、感じ取ろうとすることって私たちにはできるはずなんですよね。今の現代人のイメージだと。そんなことをじっくりと感じている暇がないようにも見えます。私は畑で仕事しているから、自然に囲まれてラッキーなのかもしれませんけど。そうしたことをゆっくり感じる時間を持ってあげると、気持ち・ココロにゆとりが生まれて。ちょっとした出来事にも美であったり幸せを感じることができるかもしれません。

 

明日は、もう雪が溶けて足場はぐちゃぐちゃで良くないコンディションの中でのお仕事になりそうです。雪の中で仕事をするにも今月まで。そう思うと白い冬の光景も残りわずか。じっくりと冬を味わいながら仕事も生活も過ごしていきたいものですね。