ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

どう思われたいのか

昨日は車の整備で車を預け。代車は無しにして。昼間は静岡の街をふらついてきました。いやぁ、ふらつくといってもカフェや公園に行って、日向ぼっこしながら本を読んだり、空を見上げたり。ただただぼーっとしていた感じ。それでも、前々から行く!って発言していた、友人がバリスタをしているカフェにお邪魔して、おいしいラテを飲むこともできて。さすがの仕事ぶりも拝見することもでき。勝手にエネルギーをもらってきました。本当に楽しそうに仕事をしていて。色々と気づかされる部分が多かったです。

 

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Gemminy'sさんにて

 

その後車を引き取って、自宅でのんびりしていたら。昔からの友人から連絡あって。再び静岡の街に行って少しだけ。飲んできました。初めはちょっと行く気持ちは弱かったのですけど、やっぱり家で腐っていてもしょうがないので、行こう!って決めて。やっぱり行ってよかったなぁと。いつもながらのたわいもない話をずっとしてはいるものの、その中から自分の糧になる部分があったり、とても助けられる部分もあって。酔いの疲労はあっても、気持ちは爽快になって帰れたのが不思議でした。

 

 

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朝霧高原からの富士山

 

 

で。今日の昼過ぎに静岡から山梨に戻ったというはなしです。やはり点検した後の車。そこまで実感としては湧きませんが、調子がいいような気がします。嬉しいですね。しかしまあ、点検の旅に走行距離をみるのですが。一気に加算されてましたね。遠出も最近多いですから当然なのですが。

 

前の車が廃車になったことで、今現在の車に変わっているわけですけど。それが転機?になったのか、その後からおかしいくらい車で遠出するようになりました。昨年末には山口、その前の年は宮崎まで走らせていたわけですから。昔は調子に乗って欧州車とか欲しいとか思ってお金を貯めていたんです。でも目標額にたどり着いたら車への欲がなくなってしまって。別に見栄とかないので、未だ軽自動車なんですけどね。多分次乗り換える車といったら、軽トラになりそうな予感。

 

ここからは急に回想です。

 

今思えば、それも一つの転機だったのかなと思っているんです。なんか欧州車とかオシャレな感じもあるし、デザインともいいなぁとか思っていたのですけど。元をたどれば結局のところカッコつけからなんですよね。また、高校の時に中免をとって「健全」にバイクに乗っていたのですけど。なんだかんだ言って、バイクが好きだからとかではなくて、ほぼ100%カッコつけと、優越感だったのですよね。周囲にこう見られているだろうなって想像していたと思うのです。今思うと恥ずかしいですが(笑 でも相当気持ちよかったのですが。やがてその気持ちは小さくなっていき、今は0ではありませんが。ほぼ車への欲がなくなってしまっています。

 

では車を買うお金がたまるまでになんでそうなったのだろうって考えてみるんです。

 

それは社会人になってから、あるきっかけでその時に読んだ「7つの習慣」の関心と影響力の輪の話や、自分の家庭の環境とか色々な理由があったのかもしれません。会社に入ってからの(当時はそこまで深刻に思っていなかったのですが)かなりのストレス環境に置かれていたようで、それに対処するにはどうしたらいいかと本を読んだりセミナ行ったりしていたら「周囲に左右されない」「別に周囲の人はそれほど私には関心を持っていないから大丈夫」というようなところだったのです。だからストレスとかほとんど感じなったことを覚えています。

 

その考えが湧いてきた瞬間に価値を置くところが変わってしまったのでしょうね。いい車、格好良い車にのっても満足というか、幸せにならないなぁと(ぜったい快適なのでしょうけど)そこから、もともと持っていた資質なのか。自分自身に向き合うことの方が増えていって今現在の自分の軸となる部分が形成されていったのかなと。最近は農業に関わることで、どんどん洗練されていって。さらにカッコつける相手がいないので、よくもわかないし。欲が出てきそうなものは自然と切り離すようになっているので(人間は絶対に欲には勝てないと思っている)それを目の当たりにしている一部の人には「仙人」とか言われる始末w

 

でもそのおかげで、自分が「周囲にどう思われているか」は気にならないのですけど、相手が「周囲にどう思われたい」のだろうか?ってことには興味が湧くようになったのですよ。前述の話であれば「どうして車に対して愛情を込められるのか」とかには興味が湧くわけです。私にはない感情なので。そうすると自分の知らない世界を知ることができて、世界が広がっていくと。

 

じゃあ何が言いたいのかといえば。

 

周囲が気にならなくなると、自分自身に関心の目がいく

自分を尊重すると、相手を尊重できるようになる

 

 

というようなことを思ったのです(このまとめも一種のカッコつけかw)

 

とまあ、昨日飲みながら話をしたり、プチワークをして周囲に気づきを与えるつもりでいたら。結局一番得るものが多かったのは自分でした。という話。教えることって本当に自分のためになるから不思議です。

 

明日は多分雪の中での剪定。足先の冷えが怖くて仕方ありません。