ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

力になれない

昨日の仕事終わって、洗濯だけしたらそのまま静岡に車を走らせました。今週末はもともと車の点検など用事があったから帰るつもりだったのですけど。雪が降り始めるとの予報出たために金曜日はお休みとなり、1日早く戻ることとなりました。おかげさまで雪が降り始める前には帰ることができました。帰ってきたら一目散におばばちゃんにお線香をあげて、買ってきたお土産も仏前にお供えしておきました。まだまだ実感はわかないですけど。実家が静かになってしまったなということが体感として伝わります。

 

帰ってからは、おじじと話をしたのですけど。本当に元気がなくて声をかけてもあまり動こうともしないのです。何をしてあげればいいのかもわかりません。私になりに考えたことをしてあげることはできますけれど。それ以上のことは・・・。今までは仕事から帰ってきたらばあちゃんがいたので、灯りがともっていて、玄関も空いていたのですから。それが暗い家に、一人鍵を開けて入る。食事もない。いつもの家が違った景色にみえているわけですから。その喪失感といったら辛いでは言い表せませんよね。

 

その気持ちはわかっているつもりでも、全てはわからない。だからこそこちらがいくら何かしてあげたい。助けてあげたいという気持ちが先行しても、何を求めているかはわからないし、なにも求められていないかもしれない。自分ができることはご飯に一緒に出かけたり、お酒の相手になったりくらいしか。それ以外何をしてあげれるのかとずっと考えてしまっています。

 

今まで私が思ってきた「何かしてあげたい」「困っている人を助けたい」っていうことは表向きは良さそうにみえることも。結局それも自分目線で「エゴ」なんだよなぁと。自分は仕事でも、イベントなどで関わる人に対しても「させていただいているの」「してあげている」といった気持ちが先行していたのかもとかおもってしまったり。

 

相手が受け入れる状態(助けて欲しいなど求めている場合)でなければ◯◯してあげたい=◯◯してもらいたい」成立しないのですよね。win-winというか。

 

違うかもしれませんけど、営業の話でもお客様の欲しいものを提案するとかニーズを探りあてるだとかもそうなのかなぁなんて。押し付けになってしまうから、何をやってもうまくいかない余計な事になってしうといいますか。だから何をやるにしても「してあげる」状態のままでは。受け入れてもらうことができないのだろうって。

 

だから自分がやりたいことをやっているのは幸せだと思っていたけれど。そう見えているだけで、本当にそれでいいのかなって。それでどんどん自分を突き動かしていたエネルギーがなくなってくように感じてしまうのですよね。

 

だからこそまたどうしたらいいか、自分に納得できることを探す作業が始まっているのですけどね。時間がかかりそうですけど。そうやって向き合わないと、どうなるかっていえば放浪の旅とか海外に逃げちゃそうなので(笑

 

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今日はクマ君を連れて公園に行くとか、街の友人の店を回って、ワークショップができないかとか相談させてもらいながら、ついでに飲みに出かけちゃおう!なんて思ってはみたものの、あいにくの天気。そういう日もあるさということで、実家でクマくんの面倒をみながら、ゆっくり資料作ったり、本を読んだり、夕飯の準備でもして。そんなことをして、ゆっくり自分に向き合う時間となりそうです。