ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

目の前で起きていること

葡萄ばたけに行くと、少しですが日陰になっている場所には数日前に降った雪が残っております。農道でもあちらこちらに溶けずに残っている雪も。静岡にいた頃は雪なんか珍しくて、授業中に雪なんか降った日には大騒ぎだったことを思い出しました。それにしても静岡ってやっぱり暖かかったのですね。山梨に戻ったとたんに感じることができます。それでも毎日畑に出て、からっ風に当たっているので寒さの耐性がついているようで、これが普通の寒さなのかなと。冷たくて澄んだ空気を感じながら仕事してきました。

 

しかしまあ、こちらに帰ってきてから本当に不思議なんですよ。別に意識をしているわけでもなしに。鳥の声、川の流れる音、風でなびく木々の音。普段は耳にしていたであろう音がとても良く聞こえる。もしくは耳に入ると言うのでしょうか。こうも感覚が研ぎ澄まされるのかと。もちろん久々の畑仕事だったのもあるでしょうし、自分自身について色々と考えているからなのかもしれませんね。

 

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特に農作業の休憩中には椅子にもたれなから、ずっと畑の近くを流れている小川に目と耳を傾けている時だけは、いつもは色々考えている頭がいい感じに休まるというか、考えなくなるんですよね(わかりずらいですね)目の前の小川の流れだけをじっと見ているだけ。そうすると変な集中した状態になるんですよ。

 

この小川の音はどこから来ているのだろう。

あ、あそこに岩があるからそこにぶつかって流れが変わっているからだ。

結構水しぶきが飛んでるんだなぁ。

水しぶきが飛んだ先の木々の葉にずっとかかっている・・・

よくみると凍ってつららみたいになっているな。

もう夕方なのにまだ凍っている、ずっと日がけだからかもしれない

いや、それとも水面に近いから温度が上がらないからか。

 

大丈夫。別に病んでいるわけではないので、あしからず。

 

そうやって、一見何でもないような小川を眺めているだけでも、発見があるし、色々なことが起きているんです。気にしなければ気がつくことができない部分なのでしょうけど(一種のマインドフルネスに近い?のかしら)毎日同じように、朝起きて、仕事にいって、帰ってきて寝るだけだよと。俗に言う忙しいビジネスパーソンの方々の事を言う時がありますが。その普通の日常の中でも、目に見えていない、気づかない感情の起伏があるんですよねきっと「あ、今自分はちょっと嫌な気がしたな」「なんだか嬉しいな」のような。その感情を味わう、受け入れる事ができると、ストレスが知らぬ間たまって病んでしまった。といったことも予防ができるかもしれません。

 

とまあ、なんか思ったことをつらつらと思ったままに。なんか感化されているんですかね。いつも本を買うときに参考にしている書評サイトで見かけてなんか気になって、即買ってしまった本の影響でしょうか。

 

 

人間を考える (PHPビジネス新書 松下幸之助ライブラリー)

 

なんともね。まだ読み進めている途中なのですけど。宇宙だとか、調和だとか。触れている内容は一見するとスピリチュアルに触れているようにみえるのですけどね。なんだか少しだけわかるなぁと思えるようになってきたのです。今までも周囲の人から、話すことが深いだとか言われることがあったのですけど、また考え方や思想の部分が一段上に上がってしまいそうです。現実世界では何もできてないのに、偉そうにますます頭でっかちになるだけかもしれませんけどw

 

今はそういう物に目が行くので、素直にそれを感じながら。受け取りながら。自分の関心が向かうものは取り入れてみよう。そう思うのでした。