ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

人の生とは

このタイミングで書こうかどうかは悩んだのですけど。今しかかけそうにないし、この感情が残っているうちに書き残しておこうって。

 

 

 

 

 

 

(お読みの後に気分を害されたらすみません)

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の早朝祖母が他界しました。77歳でした。

 

 

ちょうどぶどう畑仕事から帰ってきて、普通にご飯を食べて、そのまま就寝しようと思っていた矢先に、兄弟から連絡があり「ばあちゃんが救急車で運ばれたと」その時にはまだ、調子を崩してそのまま入院することになるだろうとタカをくくっていたんです。「病院に着いたら連絡行くようにするよ」て行っていたので、その連絡を待ちつつ、週末には予定を全てキャンセルして見舞いに行ってあげようと思って、うとうとしていたんです。

 

そうしたら深夜に妹から電話が来て「ばあちゃんが危篤」だとの連絡。すぐに飛び起きて、準備をして急いで山梨から静岡に飛んで行きました。もう深夜一時をまわりそうでした。どんなに頑張っても搬送先の病院には4時前に着けばいいというところ。急いで車を回して病院にたどり着いたのですが、残念ながら間に合いませんでした。

 

ばあちゃんは普段と変わりなくいたとのこと。それを聞いたこともあって。突然すぎるし、対面した時も悲しみの感情が起こる間もありませんでした。実感がわかないというやつでしょうか。なんとなくいつかは来るであろうその日を想像することは正直あったのですけど。そうなったらどうなってしまうかわからないし、もう動けないくらいと想像はしていたのですが。その想像に対して、実際に直面した自分はすごく悲しいのだけれど、冷静だったと思います。

 

最近も多くの人と会い、色々とこれまで生きてきた経験からなのか、直面した時には受け入れようという気持ちが先行していたかもしれません。そりゃあ、どうしようもない気持ちをどこかにぶつけたいこともあったのでしょうけど。それをしたところでどうしようもないのだからと自分に言い聞かせていたのでしょうか。

 

唯一心残りだったのは、苦しみを和らげることしてあげられなかったこと。すぐに駆けつけてあげることができなかったことです。どうしようもないのはわかっているのですが。かわいそうで仕方がありません。

 

自分が初孫だったこともありとても可愛がってもらった記憶しかないし、私は生粋のおばあちゃん子だとおもいます。だからこそ、これから色々としてあげたかったことは数え切れないほどあるけれど、年末にも一緒に買い物やご飯を食べに行ったり、お墓まいりに連れて行ったりできていたし、山梨から帰ってくるごとに出かけていたからか、不思議と過去に対する後悔の念は少ないです。「ありがとう」という感謝の気持ちしかありません。そこは救いかもしれません。

 

周囲の人からは「面倒見がいいとか」「優しい」「芯がある」なんて言葉をかけていただいたことがあるのですけど、それは全部ばあちゃんゆずりのものだと思います。別の言い方をすれば「おせっかい」「頑固」というところなのですけど。そのおかげで人当たりもそれなりに良くできるし、色々な人の縁でつながり、人々にも恵まれていることも実感としてあります。私が人と関わるときの元がそこから来ているとも思えてきます。(どう周囲に受け取られているかは別ですが)

 

 

身近な人をなくすのはとても辛く悲しいことですが、そうやって「人の生」とは何かということを考え触れたことで、その死生観が大きく私を変えていくのだと感じています。

 

今はこうやって書いていることができるけれど、これからじわりじわりと実感が湧いてきて、色々な感情が湧いて出てくると思います。どのくらいの時間がかかるかはぜんぜん見当もつかないですが、その感情をしっかり、ゆっくりと受け止めていきます。

 

葬儀もまだまだこれから。自分の伝えたいことは伝えて。最後までしっかりと送り出してあげたいと思います。

 

 

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妹のひ孫を抱いて

 

 

連絡をいただいているのにご返信できておらず申し訳ないです。またお誘もいただいているですが、しばらくは一人で心の整理をすることになると思うので、しばらくそっとしておいていただければ。何もしたくないってなるかもしれませんし、逆にすぐに動きたいという気持ちがすぐに湧いてくるかもしれません。それまでお時間をいただければ幸いです。