ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

想像した悪いことはほとんど起きない

今日はぽかぽか日和。風も穏やか日差しが心地よくて作業をしていると多少汗ばむような感じ。朝の寒さに屈してついつい厚着で仕事に出てしまうと、日中は上着がいりません。昼間は暖かいといえど、畑周辺にあんなに周囲に茂っていた草花も徐々に色を失い、木々の葉は落ち。寂しい景色となりますね。

 

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ブドウ畑の横の小川

 

 今日もずっと剪定作業をしておったのですけどね。またまたその中で新しいことが。今日作業をしていた畑がですね。もともと巨峰が埋まっていた畑なのですが。収量が落ちてきたので、流行りのシャインマスカットに植え替えるべく、試行錯誤している畑で。苗木を植えてだいぶ伸びてきたので、巨峰を切っていくことになったのです。そりゃあ十数年も埋まっていたのですから、ハサミでも切れないし、手鋸でもちょっと難しいと。じゃあどうするって・・・。

 

そう。チェーンソー。

 

実物見たのは実は初めて、使うのも初めて。まあ見かけたことあるのは、ホラー系の映画とか、ゲームで敵が振り回して襲ってくるような。そんなそんなシーンのみ。まさか私が生きている間にチェーンソーを使って人を襲うことに・・・。 もとい!使う時が来るなどとは思いもよらなかったです。ビビリの私にはだいぶ勇気のいる代物でした。が、一度使ってみると大したことはなかったのですけどね。小さいサイズのチェーンソーということもありますが。

 

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剪定後はとても整理されたようで気持ちがいいです

 

先週は先週で、耕運機を使うし。その前はモア(草刈りまさおくん)、そのまた前はスピードスプレイヤー(農薬をまく機械)、久々のマニュアル車とか。その他運搬機とか。いろいろな機械に乗ったり、動かしたりしているんですよね。色々と初めてのことをする時って、尻込みをしてしまうたちだったのですけど。こうやって新しいことばかりやっていると慣れてきますよね。「初めてやること、経験すること」に対しての恐れに耐性ができた、というよりも楽しくできるようになってきたんです。

 

だいたいのそこから生まれる恐れって「うまくいかなかったらどうしよう」「ちゃんとできるかな」っていうものが私の中では占めていたんです。最悪のパターンってやつです。チェーンソーでいえば「自分の手を切ってしまったら」「もしもはずみで腕が飛んでしまったら」(って、お前は映画の影響ありすぎだよって)それでですね。実際に怪我はしたのか?ってしてないわけですよ(例えが極端かもですが)今年初めてやったことでその恐れ通りの事が起こってしまって・・・自分はダメだななぁ、って思ったことは、数えてみても実は全体の1割にも満たなかったり。

 

となるとですね。

 

「自分が想像した最悪のパターンはほとんど現実には起こらない」

 

ってことに、なんとなく気づいてしまったわけです。

 

その考え方をうまく使うと、将来への恐れもどんどんなくなっていくんですよね。だって現実に起こらない。または起こるかどうかわからないことを想像して、勝手に怖がっている時間とかももったいないですよね。「お前はな!楽観的でポジティブに私は振れているからだよ」ってお叱りをうけるかもしれないですけど。それを差し引いてもあんまし起きないのですよ。あくまで実感としてはですけど。

 

だからといって、仕事上でミスや、不具合に気づいたときに、その考えを使ってしまうと最悪のパターンに陥りがちなので。早めに対処して欲しいわけなのですが。

 

新しいことを行うときに恐れが出てくるのは、人間の本能のようなもので、原始時代に木から降りて食べ物を探しに行くときに、ライオンとかの肉食獣に襲われたりするといったようなリスクから身を守るためだと、本か何か読んだことがあります。でも現代で肉食獣に襲われて命を落とすことはないですから。別にうまくいかなくても死ぬわけでもないし。気楽にやろうよ!っていう、ポジティブな感じで・・・いかがでしょうか。

 

今年もじわじわ年の瀬が迫ってきます。たくさん新しいことにチャレンジする!といったようなことを書いた、去年のやりたいことリスト。最後の追い込みでこなしていかなければ。