ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

話の裏の「本当に思っていること」

海へ、海へ。実家に帰るときはひたすら海の方に向かうんです。幾つか山間を通るし、上りも下りもあるけれど。気分としてはずっと下りなんです。下れば下るほど周囲の山には緑が残っていて、まだ秋なんじゃないかって。そう思わせる景色。ちょうど前日に長野に行っていることもあって、こうも住んでいる地域によって気候というか環境が違うのだなぁと。

 

ということで、とりあえず年末前の貴重な時間でしたけど。急遽タイヤを替えた影響もあって、実家にタイヤや、その他もろもろの荷物を置きに帰りました。静岡の地元。寒いんですけどね。なんかあったかい感じがしますね。自分の立ち位置から見える白い部分って。富士山のテッペンだけ。この時期は綺麗に見えますよね。それは空気が綺麗だとか、雪化粧しているからっていうのもあるんですけど。富士山が綺麗に見える事も冬を感じる一因だと思うのですけどね(地元の方々いかががでしょう)

 

 

実家に帰るときには、かならず祖母の用事に付き合うようにしています。もう原付も乗らなくなってしまったので、行動範囲も狭いのですから。車で連れて行けるところであればどこへでも。また、昼食を外で食べる事は欠かしません。本人曰く「ハイカラなものは食べない」ってことですので、別にオシャレだったり、流行りの店にはいきません。地元の定屋さん、中華系のチェーン店が多いでしょうか。それをおいしいおいしいって食べるのがいいみたいです。で、やっぱり全部食べることができないので。先に私に「食べたい分とりな!」っていうんです。それがまた1/2〜2/3くらい取れっていうんですよね。だからいつも、完全に私のお腹の許容量を超えている・・・

 

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今日は珍しくおじじとおばばちゃんと一緒だったのよ

 

 でもそれがすごく重要なことだったりするのですよね。昔は満足ご飯も食べれなかった経験をしているので。お腹いっぱい食べてもらいたいということ。ちょっと前までは・・・

 

「いつもそうやって残してな。だめだぞ。食べる分だけ頼まないと!」

「そんなに俺はいらんよ。自分でたべなよ!」

 

って強気で言っていたんですけどね。まあ私も歳をとってですね。人に何かをしてあげる時の裏側の気持ちを理解するように努めるようになってきた?ので。食べなって言われれば素直にそのまま食べるようになりました。まあ、食べる量が最近少ないのと、年齢を重ねたこともあって、さらにお腹の満腹度はすごいです。けれどもそれが相手の幸せであれば。私も嬉しいというか。その幸せを受け取れるんですよね。

 

別にこれは家族とか限らずなんですけどね。つい先日行ってきた松本でのイベントで若い子たちと話をしたのもちょっと影響あると思うのですよ。

 

質問をする時って、やっぱり聞きたいことがあるから質問をしているんですけど。本当に疑問に思っていることを言葉で表すことは難しいと思うのです。だから、聞きたいことを質問しているつもりで質問できていないことって。私はあるかなと。だから相手の質問を聞きながら、それを額面通りに受けないで、裏側に本当はこういう質問をしたいのではないか?って考えて。察する努力が必要なのだと思うのです。解答者は「答えてやっている」みたいに偉そうにするのではなくて。やっぱりしっかり疑問を吸い上げてあげる。これができて初めて質問・解答がつながるかなと。

 

こう思うことにつながるかどうか・・・。ブログでも「俺は幸せベースで生きてるんだ!」って格好つけて言っているわけなんですけど。突き詰めるとそれって他人の幸せからくるものなんですよね。「自分が何かしてあげて、幸せになるのが一番自分が幸せだ」と思っているんですけど。でもそれは「自分のエゴの部分もある」んですよね。押し付けというか「相手の幸せはなんだろう?」がスタートだよねって。

 

だからこそ、最近使わないワードや、使うワードがあるんですけど・・・

 

使わなくなった代表格は「〜したほうがいいよ」ですかね。完全にこっちの都合ですもんね。相手のことを思っていうワードに聞こえそうですけど。最近ちょっと私の中では疑問系。

 

使うようになったのは「私は、□□□だと思うよ」「私は、こう思うけど。どうだろう」って感じ。良い悪いではなくて。かならず「私は( I )」で伝えることでしょうか。なんというか相手に選択をしてもらうというのでしょうか。こちらからの一方的な「〜しろ」「ダメだよ」とかは抵抗が出てきました。

 

 

特に!

 

「自分で考えて行動することが大事だよ」って言っておいて、その後に「〜しろ」「ダメ」ってワードが出てきたらその時点でアウトかなと。自発性を奪うワードですよね。もう、こちらからの考えの押し付けになっているかなとか(私はおもってしまった)

 

とまあ、書いて読んでいるうちに。相手の要望は飲んでも、自分の要望を通すな。

 

みたいな感じを私は言っているのだろうか?といつものまとまらない得意の思考ぐるぐるモード。ようはその線引きはどこがベストなんだろうかなぁ・・・というのが頭の中におりましてね。ちょっとしばらくの課題になりそうかなと。

 

いつもながら。考えすぎですかね・・・?

 

 

さて。久々に静岡に住んでいるときによくお邪魔していたお店に行って、のんびりさせてもらいました。

 

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ダークラムのラムバックで

 

行きつけの店の抜群の安定感。これなんですよね。山梨に来てからというもの。外でお酒を飲むことが少なくなりまして。さらに平日お酒を飲むこともさらに少なくなりましてですね。健康そのものなんですけど。やはり近くに行きつけのお店が欲しい!しかしね。ん〜ないのです。いい店がないとか。悪い店があって・・・とかそういうのではなくてですね「ない」んです。お店自体・・・。

 

ないからこそ。お酒を飲む時間がすべて。自分がやろうと思っていることができるのだ!ということにしていたのですけど。やっぱり・・・あると・・・いいなぁ。