ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

これも一種の学びか

土日は天気の都合でお休みとなりました。土曜は昼間は掃除と買い出しとかして、普段作らない御飯作ったり、ゆっくりお酒飲みながら本を読んだり。イラスト描いたりしたりして充実してはいたのですけどね。

 

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いつのまにか、おいしく浸かっていた「すもも酒」

 

せっかくの休日も台無し。一言で言えばそんな感じ。

 

その用事のためにこっちはスケジュールを開けているわけなのだから。こちらの意向を無視しながら、延々と自分たちの話を続ける。私も温厚なタイプでめったに怒らないのですけどね。多分、昨夜の私は口には出さずとも相当顔に出ちゃっていたなぁと。それほどのことだったのですよね。

 

というわけで。何があったかといえば。

不思議な新興宗教の勧誘だったのですのよねぇ(笑

 

 

ここから先は珍しく負のエネルギー満載なので、不快になる方がいるかもしれません。それでもよければお読みくださいませ。

 

昨夜は新しく知り合った方に食事に誘われていたので、夜は某ファミレスに。まあ私の住んでいる周辺は車か公共の交通機関を使わなければ、移動できないからまあそんなもんかと思って行ってみたら、はじめ2人で食事との事だったのですけど、昔からの知り合いも一緒だということで、三人での食事でした。まあ、普通に食事をして談笑していたのですけど。いきなり不思議な話が始まるのですよね。

 

  • ある先輩にはじめ教えてもらって始めたのだが、富士山の方向に祈りを毎日唱えると、変わることができる
  • 自分も信用していなかったが、やるうちにカラダの中から変わっていく様子を感じることができて、良いことが起こるようになった。

 

そこから、怒涛のように摩訶不思議な話がどんどん始まり。

 

  • 最近は異常気象が続いているのはなんでだと思いますか。
  • 自然災害が増えていますよね。
  • これから中国が攻めてきて、日本は中国のものに将来なるって知っていましたか
  • 日本は経済危機で破綻する。日本はなくなってしまう。

 

追い打ちのように社会の教科書に書いてある日蓮聖人の話になり。その後鎌倉時代の話しに飛びます。

 

  • モンゴルがせめて来た時に神風が起こって助かったのは、教えを守っていたからだ。
  • 昔、日蓮聖人が書いていた書物に、予言が書いてあった。教えを守らなかった人には悪いことが起こっていた

 

こっちが話をする間もなく、どんどん話をしてくるわけです。

 

もうすでに、この時点で笑いを堪えるのが精一杯でした。

 

まあこちらは「あっ、そうなんですか」って、「すごいですねぇ。知らなかったです」ってずっと言っていたのですけど。

 

最終的には

 

「◯◯さんのために、幸せになってほしいのでぜひ話を聞いてほしい。◯◯という会なのですが、ぜひ入ってほしい」

 

なんて言ってるわけですよね。

 

もうね。「◯◯さんのために」「幸せになってほしいので」ってワードが出た瞬間に。恐ろしいほどの怒りがこみ上げて来てしまってですね。

 

だって普段からブログでも書いたことがあるのですけど「どうしたら幸せになるか」ってベースで物事を考えているので、それを私に説こうとしてるんですからね。

 

多分そこから、顔と私の言動にその怒りがにじみ出て逆に怒涛のようにこちらが話をして言ってしまいました。めちゃくちゃ追い立ててしまったのですけど。その一部だけ・・・。

 

 

 

私「中国が攻めてくる?それは誰が言っているんですか?」

 

相「日蓮聖人が書いていたんですよ」

 

「違う違う、□□さんは誰からそれを聞いたんですか?」

 

「そういう考えは昔から・・・」

 

「いやいや、ちゃんと話きいてないでしょ。もう一度いうけど誰から聞いたのそれ」

 

「それは教えを説かれている先生が・・・」

 

「じゃあそれはあなたが日蓮さんだかって書いた書物を読んだわけではないんでしょ?その先生の考えた事ってことでしょ」

 

「いやいや、違いますよ。教えがそうだって」

 

「その先生が言っていたんでしょ」

 

「・・・・」

 

 

 

まあこんな感じでした。

 

これ以上書いてしまうと、また怒りの感情が出てきてしまうのでこれくらいにしておきます。

 

最後は私から。

 

「別に宗教だとかあなた方のやっていることを否定する気はないですが、私にはまず必要ないので別の方に勧めてあげればいいと思いますよ。私はあなた方に助けてもらうほど困っていないし、そんな祈ってばっかりいる時間があればやりたいことをやりますし、祈ってばかりで動かないやつで幸せなやつを見たことないので、教えも別にいらないっすね。」

 

って、多分確か言っていたと思います。

 

私はいやらしい人間なので?途中からは「こんな勧誘される機会はないぞ」って思考が切り替わって、面白いなぁ〜って話を聞きながらその人を眺めていたのですけどね。

 

まあ、ここまで頭が堅い方には初めて会いました。これが一種の洗脳されている状態なのかなとか。かわいそうに。心が弱いからこうなってしまったのかな〜なんて思ったり。

 

昔からの知り合いとかであれば、私なりに余計なお世話と思いつつ、助けてあげようって気持ちになるのですけど。今回はまったく思わなかったです(笑)だって向こうの都合を延々押し付けられた気がしてですね。更にその人が残念なことに一番キライなタイプだったんですよね〜。

 

それまで、何回か食事に誘っていたのは「勧誘」のためだったのか。って思うとなんだかね〜。ファミレスを出て家路につくとき。もう怒り心頭。頭に血が上ってすぐに寝れませんでした。

 

 

という。珍しく負の話でした。

 

 

私も学生時代とか、社会人なりたての頃だったら、もしかしたら断れなくて勧誘されていたかも?とか思ったりしましたけどね。

 

昔何かの本に書いてあったのですけど、本当に辛い時一番楽になるのは宗教などである対象を崇めることだとか。だって祈れば「救われるから」だそうです。だって信じれば救われる。そのとおりですからね。

 

今回は珍しい経験でもありましたし、私は普段「怒り」の感情を出さないので、その「怒り」の感情を出させてくれたんだ。これもありがたいことか。って今この内容を書いている時点では思ってます。相当毒気を抜いてもらいました。きっとw

 

あとは「幸せは強制されるものではなくて、自分で感じるもの」だなぁとつくづく。

 

ここまで読んでいただいた方は大丈夫かと思いますが、このようなことも時々起きるときもあるのでお気をつけの程を。

 

ああ、なんかファミレスに誘われると「勧誘か」って今後思ってしまいますよね(笑