ささブロ

鍬を置いて、山を降りた人

頭の整理と粒のレイアウト

静岡でのひとときがとても休息になったようで、また一転楽しく仕事をすることができました。天気も時々曇りのような形でしたけどそれがまた程良く涼しい風を通してくれて快適に作業をすることが出来ました。

 

まだこちらにきて三週間くらいなのですが、はじめの花が咲いたところからぶどうを見てきて、そこからぶどうの成長もめまぐるしく進み、だいぶ実が膨らんできて「なんとなくぶどうの形になってきているなぁ」なんて思いながら作業をしております。

 

栽培は新しい段階に進み「粒抜き」の作業に入っています。色々やりかたはあるようですけど、売り場に並ぶ最終のきれいなぶどうの形になるように粒を抜く作業。うまくレイアウトするという部分ではデザインに似通ったところがあるかもしれませんね。うまく粒を抜いてあげないと窮屈になって実が変形したり、潰れたり、われたりしてしまうみたいですよ。

 

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単純作業のように思えるような作業ですが、ぶどうの房はそれぞれ違うというか個性があるので、ぶどうの粒の付き方もそれぞれ。思ったとおりにはなかなか整えられません。一つ一つ集中して作業をしているので時間がかかってしまいます。その逆を言えば時間がすぎるのもとても早いし、なにより飽きませんね。(ホント効率が全然上がらないのですが・・・)

 

じっとぶどうとにらめっこしながらハサミをもくもくと入れていくのですが、内省的なところがある私にはぶどうの整理をしながら、自分の頭も整理できて一石二鳥といったところ。乱雑な粒の配置を整理することで頭も整理できているんですかね。作業を終えた時には自然と頭がスッキリしているような気がしてなりません。

 

まだまだ栽培については素人ですけど、すでに今の時点でもとても細かい作業をしないとやはり売り物のぶどうにはならないのだなぁと(というかここ最近毎日感じます)どんなものもそうですが、普段何気なく食べているものも、意外と手間がかかったりしているもの。

 

前職が食品製造の会社にいたということで二次産業。今は畑に出て農業をしているのでまたひとつ戻って一次産業と仕事をしているわけです。会社員として働いていた時も流通している食品はここまで手がかかるのだなぁって思いながら仕事をしていたのに、今は農産物を相手にしていることで更に手がかかるのだなと思うわけです。しかも相手にするのは自然ですから。

 

これだけ手間がかかる事を目にすると、食べ物のありがたみを知ることができて「感謝」しながらご飯をいただくことができるようになりますね。それが今のところの一番の収穫でしょうか。